両親と京都旅行

私は先月、遅い夏休みをとって名古屋の実家に帰省しました。
なんの予定も入れず、家でのんびり過ごしていましたが、中1の姪が「金閣寺に行きたい!」と言いだし、急きょ京都に行くことになりました。

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普段なら「そんな急には無理だよ~」と、姪に言って話は終わるところでしたが、今回は少し状況が違っていました。
それは、夏に手術をした母の病状が思わしくなく、姪の持病も悪化しているようで、実家の雰囲気が暗く沈んでいたのです。

「旅行に行ったら、みんな前向きになれるかもしれないね」
そんな願いを込めて、思いきって両親、妹、姪そして私の5人で1泊2日の旅行に行くことにしたのです。

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それから急いでホテルを探し、それぞれが手際よく準備をして出かけたまでは良かったのですが、年老いた両親には慣れないことの連続でとても大変な様子でした。

何十年ぶりに乗る新幹線は自動改札機でとまどい、バスの乗り降り、ホテルの部屋の使い方など、ささいなことでも娘たちのサポートが必要になっていました。

父は、父親としてのリーダーシップを発揮したい思いと、孫を守る優しい気持ちがありながらも、昔のように動けないもどかしさを感じているようでした。

私は私で、頼りがいのあった父が今は誰よりも弱々しく、私たちの後をついて歩く姿に、とても悲しく寂しい気持ちになりました。
そんな父を見ているうちに、父にふつふつと怒りの感情がわいていることに気づいたのです。

怒りは第二次感情といいます。
私の本当の気持ちは第一次感情にありました。
それは「お父さん、私の悲しさ寂しさをわかってよ!お父さんがしっかりしてくれないと私が困るじゃない(涙)」わかって欲しい、助けて欲しい、愛して欲しい…それが私の素直な気持ちだったのです。

しかし、そんな子どものような気持ち、気恥ずかしくて感じたくありませんから「こんな感情はいらない!」と、無意識に怒りで蓋をしようとしたのです。

私は父に素直な気持ちを伝えることはしませんでしたが、怒りがわいて来るたびに、それらを自分で見つけて認めていきました。
「そうだよね、寂しいよね」

どんどん認めていくうちに私の怒りは出て来なくなりました。
ただ今、目の前の父に私ができることはないか、それだけを考えられるようになったのです。

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旅行の話しに戻りますね。
ホテルの部屋割りは、両親と私、妹と姪のふたつの部屋にわかれました。
「最後に3人で寝たのはいつだろう?」と、私は両親が寝てから考えていました。

下に弟が産まれてから、私は祖母の部屋で寝起きをしていたようなので、最後は多分2歳になる頃です。
記憶をたどっても、母と手を繋いだ記憶も抱っこされた記憶もありません。

寂しい幼少期。
私は数年前まで両親に怒りを感じて生きてきました。
特に母には恨みさえ感じていました。
それが今、父と母は私の横で静かな寝息を立てて眠っています。
「これは現実?」

とても不思議な光景に感じられました。
記憶にはないけれど、少なくとも私は2歳になるまでは両親とこうして寝ていたんだよな。
そう思うとあたたかい光に包まれたような安心感がうまれ、やがて私も眠りにつきました。

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翌朝、私は急用で先に実家に戻ることになりました。
母は私が帰ることで、無事に旅行が続けられるだろうかと、口には出しませんがとても不安そうな顔をしていました。
そんな顔をする母を不憫に思い、私はそのまま京都に残ることにしたのです。

それを母に伝えると、母が思わず私の腕をつかみ、「行こうよ!一緒に行こうよ!」と言うのです。
はじめて触れた母の手の感触でした。
ゴツゴツと歳をとった老人の小さな細い手、私はこの母の手を一生忘れないと思いました。

短い旅行でしたが、私は両親をサポートしたことで、これまでの心理的な子どものポジションから、大人のポジションに変われたと思います。
そして、両親と私の3人の時間。
たくさんは難しいかもしれませんが、これからも作っていきたいと思います。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、夫婦関係、親子関係などの対人関係全般を幅広く扱う。 モットーは「母のように優しく、どんなネガティブな感情も否定しないで受け止める」であり、その包容力やきめ細やかなサポートに定評がある。 「とてもリラックスできる」「自分でいられる」など、安心感に包まれる時間を提供するカウンセラーである。