パパとママのための「夫婦の呼び方」

「パパ、あの件、お願いね」
「ママ、これ、よろしく頼むよ」

夫婦のお互いを「パパ」「ママ」と呼び合う会話、していませんか?

もちろん、夫婦がとても幸せで仲良く、ラブラブで、こどもたちも安心して元気に過ごせていたとしたら、なんら問題ありません。

でも、もしです。夫婦のお互いを「パパ」「ママ」と、呼び合っていて

✅ お子さんの元気があまりない
✅ お子さんがなんらかの問題を抱えている

と、感じていたり、夫婦のすれ違いや、喧嘩、セックスレス等を抱えていたとしたらです。
ある一つの考え方ですが、お子さんが夫婦の問題を引き受けてくれている可能性が、あるかもしれません。

 

■夫婦の問題をこどもが引き受けてくれている

「お子さんが、夫婦の問題を引き受けている可能性があるかもしれない」
というのは、どういうことでしょうか。

私たちは、家族の誰かがピンチなとき、
「できるかどうかはわからないけれども、できるものなら、なんとかして助けたい」
と、心では強く願うようなのです。

それは、どれだけ年齢が幼くても同じだと言われています。でも、幼いこどもたちには親御さんを直接助ける手段をほとんど持ちません。

そういったとき、お子さん自身が「問題を抱えること」や、「元気のなさ」という形で、
「家族に問題があるから、向き合ってほしい」
と、なんらかのSOSを表現してくれることがあります。

また、
「こども自身が問題を起こすことが、夫婦の衝突や喧嘩などを回避させよう」
と、願っている結果だったということも、あったりするのです。

・こどもたちが、本当にほしいもの

なぜ、こどもたちは、人生をかけてまで、親御さんのことを思ってくれるのでしょうか。

「お子さんが本当に欲しいものは、なんだと思いますか?」
よかったら、お子さんを思い浮かべて、ご自身に問いかけてみてください。

「うちの子が欲しいものでしょ? うーん、ゲーム? お菓子? スマホ? お金?」
などのお声も聞こえてきそうです。

はい、それもたぶん、お子さんの喉から手が出るほど、欲しいものだと思います。
でも、「本当に」こどもたちが欲しいものは、文化や国籍を超えてたった3つ

① 両親の仲が良いこと。
② 両親の笑顔
③ その笑顔の両親に愛されている、見守ってもらっている感覚。

だと、言われています。

 

 

■パパとママ

ご夫婦の間で、もし、「パパ」と「ママ」と、呼び合っていたとしたら。お二人の関係が、こどもが中心になりすぎているかもしれません。

「パパ」「ママ」というお互いの呼び方そのものが、こどもを中心とした呼び方だからです。言葉には、「ものの見方」のパターンがあらわれます。

あまりにもこども中心に日々を過ごしてしまうと、自分自身から軸がずれていきかねません。その結果、いろいろとご自身や家族にしわ寄せがでてきてしまうこと、あったりします。

・こどものための「よかれ」の、行く末は

なんのために、親御さんはお子さん中心の日々を過ごすのでしょうか?
お子さんのための、「よかれ」なんだと思います。お子さんへの優しさや、思いや愛がいっぱいあり、いい親御さんなのだと思います。でも、お子さんに思いを集中しすぎてしまった結果、夫婦関係があとまわしになってしまって、喧嘩ばかり、すれ違いばかりになってしまったら……。お子さんによっては、

「自分が生まれてきたから、パパとママは喧嘩ばかりなんだ」
「自分が悪い子だから、パパとママの仲が悪いんだ」

と、夫婦の問題を全部自分のせいにして、自分を責めてしまい、お子さん自身の存在理由を失ってしまう可能性もあるものです。

 

■夫婦が抱える、寂しさや我慢

こども中心の生活をすることは、諸外国にくらべ、日本はいまだに根強いようです。その結果、夫婦のお互いがなんとなく慢性的に寂しさや我慢を感じることもあったりします。

また、その寂しさや我慢を「親だから、大人だから」と、我慢しがちです。しかし、その我慢がたまりにたまると、怒りにかわってしまったりします。

「些細なことで夫婦喧嘩をしてしまう」
その根っこには、慢性的な夫婦のお互いの寂しさや我慢が、実はあるのかもしれません。

 

 

■おれ、きみの「パパ」ではありません。

私も産後、夫に
「パパ」
と、呼んでみたことがあります。

夫からあっさりと
「おれ、きみのパパではありません。その呼び方、やめて」
と、却下されました。

当時、娘にアトピーもありました。肌というのは、肉体を守る境界線そのものです。我が家のケースでは、娘の肌に炎症がおきるくらい、私の思いが娘に集中しすぎていたという表れでもあったように思います。

そしてその結果、私は夫のことを、心からは見ることができなくなりました。夫は助けようとしてくれているのに、私は孤軍奮闘と感じる毎日。受け取っていないのは私なのに、私は積もり積もった我慢と、寂しさ、依存心を
「なんとかするのが、夫でしょ」
とばかりに、夫を親代わりにしようとしたのだと思います。今更ながら、夫があの時、
「パパ」
と、呼ばれることを却下してくれて、本当によかったなと思います。

徐々に、娘のアトピーも、よくなっていきました。

・パートナーは、親代わりではない

「パパ」「ママ」と、夫婦で呼び合うことで、パートナーを心のどこかで親代わりにしてしまう可能性があります。そうすると、今まで我慢してきた甘えや依存、相手への文句や不平不満が出やすくなることがあります。

そのうえ、家族にセクシャルな思いを抱いては大変なことになります。お互いに呼び合っている「言葉」は、心理的に影響します。「パパ」「ママ」と呼ぶことで、心理的に、性的なつながりに抵抗を産みやすく、セックスレスの問題にもつながりやすかったりします。

 

■名前で、呼んでみる

夫婦関係のマンネリを抜け出すのは、実に勇気がいります。でももし、マンネリを抜け出せたら。今は信じられないかもしれませんが、新婚時代とはくらべものにならないほどの「ロマンス期」が訪れたりします。その時には、いつの間にか、お子さんが元気になっていたり、お子さんの問題も解消しているケースを、私は何件も見てきました。「問題」だと思ったことが本当は、親御さんへのお子さんの心からのプレゼントなのかもしれません。

みなさまの何かのお役に立てることがあれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

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恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。