「頑張る」を誤解していた私

「頑張って」
「頑張る」

皆さんは、そう聞いた時、はたまた自分で言う時、何を感じていますか?

私の中では、長い間、人にも自分にも言ってはいけない言葉でした。
言わざるを得ない時や、言ってしまった時は顔では笑顔でも時間が経つごとに落ち込んだりしていたのです。

「『頑張る』ひとつに考えすぎじゃない?」
自分でも、そんなふうに思うことがあります。

私自身も「頑張るって私の中で、どんなイメージなんだろう」と、ぼんやりと想像してみたのです。
そしたら「もう無理です」とボロボロの奴隷に鞭打つご主人様…という千年以上前の映像が頭に浮かんできました。

それは、「そんな言葉、自分にも誰にも使いたくなくなるわ」と妙に納得したんですよね。

けれど、それを言いたくなくなったのには私の中でも理由がちゃんとありました。
私が心理学に興味を持ち始めた時期は、「鬱になってしまった人に頑張ってと言ってはいけない」とメディアで多く言われていた時期でした。
それを自分の中で素直に信じたのかと言われると…そうなのです。
自分でも頑張りたくても頑張れなくて辛かった時と重なっていたこともあり、なおさらつるっと滑るように私の中に入って信条のひとつのようになってしまったのです。

その時、私はちょうど大学で就職活動の時期でした。
就職自体も難しいと言われていた時でしたが、それ以前に当時の私は人と話すのがとても苦手でした。
同性はまだいいけれど、異性は怖く、学生の時は極力、苦手な人とは関わらず無難に過ごしてきたのです。
でも、社会に出て働くとなると話は違う…どうしたらいいのかわからないと独りで抱え込んでしまっていました。

けれど、親には心配をかけたくなくて就職活動をしているふうを装っていたんです。
当然、親は私が頑張っていると思っているし、「頑張って」とよく言われていました。
でも、活動しているように見せているだけだったので結果は惨憺たるものでした。

あの時の息が詰まるような申し訳なさは今でもよく覚えています。
そして、その「もう頑張れない」が「変わりたい」になって心理学の世界に足を踏み入れたのです。

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「頑張る」が苦しい時、私達はいつの間にかそれが「頑張らなくてはいけない」に自分の中で変化しているんですよね。
そんな時、私達の中にはいつの間にかゴールがなくなってしまっていたりします。

そして私自身もそうでしたが、同時に頑張れない自分のことをとっても責めてしまっていませんか?

私は、「できない私が悪い」「頑張れない私がダメ」と自分のことをとっても責めていました。
そんな時、私達は誰かと一緒にいるように見えても心の中では誰とも繋がらず、独りぼっちになっていたりします。

そうなるとだんだんと視線もうつむきがちになってきて、「頑張って」と誰かが言った言葉を自分が自分を責めている分だけ、相手に責められていると感じてしまいます。
自分からも相手にも責められるなんて嫌ですから、余計に独りになりたくなりますし、「私のせいじゃなくて社会が悪い」「あの人が悪い」なんて気分になったりします。

私も、そうでしたし、そんなふうに誰かのせいにしている私が一番悪いって思っていました。
自分が被害者になったり、加害者になったりしていたんですよね。

でも、「頑張る」って本当は誰かや自分を責める言葉なのでしょうか?

当時、自分や誰かを責めることでいっぱいいっぱいだった私は忘れていたんです。
誰のために頑張っているのか、何のために頑張ったのかということを。

それは、カウンセラーになるために入った養成スクールでたくさんの仲間が思い出させてくれました。
セミナーのアシスタントで上手くできなかった私に「一緒に頑張ろう」と言ってくれた仲間もいました。
何より、そんな仲間が頑張っている姿を応援できること、そして夢が叶った時に一緒にお祝いできることがとても嬉しかったのです。

一緒に頑張りたい人、何より応援したい人に出会えたことで私の中で頑張る意味が大きく変わったのです。

本当は「頑張る」の先には必ず、頑張ったゴールの先にその喜びを一緒に感じたい誰かがいます。
「頑張って」と誰かに伝える時には「あなたなら大丈夫」という応援や信頼があるんです。
それは、独りになるのではなくて「誰かと一緒にいる未来」なんですよね。

思い返せば、私自身も頑張ろうとしていたのは親を笑顔にしたかったし、友達と一緒に社会人になりたかったからでした。

それに私のことを責めている人は、私以外にはいなかったのです。

親にも就職活動をしていると装っていることなんて、実は何となく気づかれていたかもしれません。
それでも、私のことを信頼して見守ってくれていたんだろうと今ならわかります。
だって、子供が就職活動サボってるなんて、私が親の立場で気付いたら、もっと怒っていたかもしれないなんて思うんです。
家を追い出されても全くおかしくないかもしれません。
今では、「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。

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私達は、誰かと関わって過ごしている日常の中で頑張っていないことなんてないんじゃないでしょうか。
そして、その中には必ず「幸せにしたい誰か」や「喜びを分かち合いたい誰か」が原点にあるのかもしれません。

私は、あの当時、「頑張る」を言ってはいけない言葉にしてしまっていまいたが、本当は信頼や応援を伝える言葉にしても良かったんですよね。
皆さん自身も、自分に鞭打ちためではなくて「頑張る」の中にある繋がりを一度、ゆっくり感じてみてあげてください。

それは、あなたにしか感じられないし、創っていけない。
そんな素晴らしい「ご縁」になるはずです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

お客様からは「話していて安心できる」「気持ちが落ち着く、整理できる」と定評がある。自身の過去のいじめから来る対人恐怖(男性恐怖)、過食症を克服した経験を持ち、繊細な感受性でお客様ひとりひとりの心に寄り添い、どんな時もお客様の魅力と光を見続けるカウンセリングを心情としている。