敏感すぎる自分を大切にして生きる

「気にしすぎじゃない?」
「もっと鈍感になるといいね」
そんな言葉を人から言われて悩んでる敏感で繊細な方が、生きやすくなるきっかけをつかんでもらえたらと思いコラムを書いています。

思い返すと、私がこの言葉を身近な人から中学生の頃くらいからずっと言われていました。
言う人が何も悪意など無いのもわかっていましたが、私は、その都度「私は気にしすぎなのだ、気にしないようにしよう。直さなきゃ!」と鈍感になる努力をしていました。
しかし、努力しても大人になっても余り変わりませんでした。

私が心の世界を学ぶようになってから、敏感で繊細な私の感覚は才能なんだと知りました。
それは肌の色や背の高さなどのように、生まれながらに持ってるナチュラルな性質でした。

そして直さなきゃいけない欠点のように思っていたのは大間違いで、ここを活かして生きる、長所として見えるようになったことで、私はとても生きやすくなったのです。

周りの微細な変化をキャッチする、不安を感じ予測して対処したくなる、その自分の感覚を疑い否定すると“自分が自分でいることに自信を失う”のかもしれません…。
それはとても生きづらいです。
まずは感じてる感覚を受け入れていく、否定しないで感覚にまるっとOKを出すことが一番最初にやっていくことかもしれません。

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感じる対象が他の人や空間や音や光などの外からの影響を受ける“自分の外の中に感じるもの”と、自分の中から発信してうまれる直観力や発想力だったり“自分のこころの中で感じるもの”と2つの世界があるように思います。
 

①“自分の外の中に感じるもの”

外から影響をうけて感じる感覚についてですが、私は敏感体質なのですが、小学3年生の時に冬のSALE中にお店のスピーカーから流れてくる大音量の音楽で気を失い、医務室に運ばれて嘔吐する体験がありました。
振り返ると似たようなことが後にも何度かありました。
私は音の影響を受けやすいタイプのようです。

私がカウンセリングをしていてご相談を受けることが多いのが、敏感すぎる方が「人に振り回されてとても疲れる」という悩みです。これも自分の外からの影響うけて感じてるところですね。

・上司の声のトーンがあがるとそれだけでひどく緊張する。
・同じ空間にイライラした人がいると落ち着かない。
・相手の顔色が一瞬変わるのをみて、とても気になる。

こんなお話しを聞くと、敏感で繊細だからこそ、人の痛みを誰よりも知ってるからこそ、誰かの感情を無視できないのだなぁ。優しい方だなぁと私はいつも感じています。

しかし、他の人に対して敏感に感じ取った感情は、実は自分の中に抑圧していた感情や、怒りや悲しみなど見たくなかった自分の感情が外の世界に映し出されて感じている可能性もあったりします。
なのでそもそもこの感情は、相手の感情か自分の感情か気付けて切り分けできるようになるといいですね。

そして敏感な方は、自分と同じように相手も感情を抑圧しているのかもしれないと理解できたり、相手の痛みにそっと歩み寄れる素晴らしい才能をもっておられる人が多いように私は思います。

また、ひどくストレスを感じてる場合などは、もし思い出せたら「誰かの感情を自分の気持ちや感情よりも優先していないか?自分を後回ししていないか?」そう自分に問いかけてみてください。

そんな時は、相手と自分の間に“境界線を引く”ことをしていきましょう。

私が以前よくやっていた境界線を引くイメージのやり方は、神聖な光の輪や、割れないシャボン玉のようなものに自分が包まれ守られてるイメージだったり、強靭なガラスの板が相手との間にあるようにイメージしたりしました。
皆さんのイメージしやすいものを作っておくといいですよね。

境界線を引くことで、自分の痛みを見つけやすくなります。
そして自分の痛みをみつけ自分が癒されたら、周りの人に敏感に反応するとき「恐れ」の感覚だけでなく、平和な気持ちで周りを理解していきやすくなりますよ。
 

②“自分のこころの中で感じるもの”

次に自分の中からうまれてくる直観力や発想力だったり、内から感じる感覚のほうをみていきます。
ここはとても良いものとして上手に育ててあげて欲しいです。

それには嬉しい感覚も嫌な感覚でも、まず分かり合える人に話していただきたいです。
そのためにも、その敏感な同士、同じ感覚の仲間を探すのです。
持ってる感覚を共有できたら、例えストレスを感じてても随分軽減されますし、良い感覚を承認しあえたら気軽に表現しやすくなります。

これまで人に話をしてても、この微妙な感覚を誰かとわかりあえなくて寂しいと感じた事はありませんか?

一生懸命に話してみても何だか表面的にしかかみ合わないような違和感を感じた方は、それは伝え方が悪いのでなく、相手に理解力がないのでなく、性質の違いや感じ方の違いだと理解したらいいと私は思います。

敏感体質の仲間を探して、感覚を普通に受け止めあえる喜びが味わえたら、自分が自分であることにきっと自信が取り戻せていきやすいと感じます。
そして自分を否定しなくなったら、タイプの違う誰かも受け入れやすくなります。

敏感もいい、鈍感もいい、その違いを認め合って、相手のままを受け入れ、そして自分のままを受け入れることです。
「みんな違ってみんないい!」っていう多様性を楽しめる世界は素敵だと思います。

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また、感覚のセンサー機能の感度が良すぎる、実はこれは情報過多でストレスを抱えるだけではないのです。
良い機能でもあるんですよ!

見落としそうな些細な美しいものに反応する力、琴線に触れやすく想像力が豊かだったり、創作や表現が好きで人の心を突く作品を作ったり、表現しなかったら周りからは理解されないですが豊かな世界を内なる心に秘めてもっています。

それは別にアートを描く、音楽を演奏するなどでなくてもいいのです。
「お花が綺麗!夕焼けが綺麗!あの人の涙が綺麗!あぁこんなところに私は感動しちゃう~!」と些細なことでも喜びや感激を強く深く感じられる事が才能だと認めて増やしていくことだと思っています。

「この敏感体質の宝に目をむけて、些細な喜びを掘り起こしていくことにエネルギーを注ぎましょう!」と私は強く言いたいのです。
ここの部分を楽しんで生きようとする、この自分を活かそう思うほど人生は軽やかになっていくと思っています。

私は敏感な自分を否定して自信をうしなっている生き方から、敏感な自分を活かし大切にする生き方に変わり、とても生きやすくなりました。
これからも人との繋がりを通じて、私達みんなが自分の持ってる感覚を好きでいられる世界が広がるといいなと願っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

アルコール依存の家族を持つ人への理解があり、過食症、パニック障害、離婚を経験。明るさ・ユーモア・温かさがお客様に熱く支持されている。パートナーシップや家族問題に粘り強く寄り添い、解決に導く。 心理アプローチを使い抑圧してる感情と笑顔を取り戻し、夢を実現していく事を得意とする。