ぶつかり稽古

先日のこと。
私がカウンセラーになるために通っていた、カウンセラー養成スクールの後輩から電話がありました。
相談があるのですが…という切り出しだったので、こちらも回答を返すのですが、なんだか雲行きが怪しい。
何を言っても反論してくる。
自分の欲しい回答以外は認めません!とも思えるような、全くかわいくない態度。

一瞬「コイツ何のために電話してきたんだ」と電話を切りたくなったのですが、同時にあることに気付きました。

「あれ?‥これ知ってる!私もやってたわーこれやってたわー」

彼の態度は、私が4年前に、ある人にとった態度と全く一緒であると気付いて、驚き腰が抜けそうになりました。

 ※ ※ ※

私が通っていたカウンセラーの養成スクールには初級コース、中級コース、上級コースとステップアップしていく仕組みがあります。
入りたての初級さんに中上級の先輩が一人ついて、初級さんの面倒を見るというファシリテーター制度というのがありました。

4年前、私が初級に入ったときも、女性の先輩がファシリテーターとしてついてくれました。
第一印象は大人っぽくて清楚で控え目、しかし何があってもあまり動じない人のように見えました。

カウンセラー養成スクールでは、ヒーリングワークという心理実習をします。
カウンセラーとして必要な資質「感情を扱う」ことを学ぶためです。
「ヒーリングワークに参加して自分の心と向かい合っている」と、癒やしがおきる過程で傷ついた時のきもち(悲しさや、寂しさ)がこみあげてくることがあるのですが、そういう時にも先輩は冷静にしている、そんな印象でした。
先輩はさらっと静観しているけれども、私は自分の感じている感情に四苦八苦している。
そんな風に感じて、先輩と私は全く違う人種なんだなと感じていました。

ところで初級さんはレポートを提出してファシリテーターがコメントをくれるのですが、このレポートというのが、心理学ですので自分の中身をさらけだすような文面になるわけです。

先輩に壁を感じていた私は、内面をさらけ出すのは抵抗が出てきます。
自己嫌悪の強かった私は、自分の内面こそ人に見られたくないわけです。

先輩と私は全然違うから、どうせわかってくれないし。
全然自分を見てもらえている気がしない、わかってもらっている気がしない。
先輩が私を分かってくれないのは、先輩に落ち度があるから。

そのように決めつけて、私は先輩に自分の不満をぶつけるように悪い態度を取り始めます。
それでも先輩はあまり表情を変えずに、淡々と対応しているように見えてそれが余計にイライラするのです。

「ファシリテーターを違う人にしてもらいたい」
怒りを感じたくない私はスクールにそのように申し出ました。
そこでスクールの先生からこのようなメールをもらったのです。

「ファシリテーター制度というのは、あなたの面倒を見るための制度というよりも、あなたの先輩である(自立の人)との関係について、二人でどのように関係性を作っていくかを学ぶためのもの」

対人関係では「依存の立場」をとるか「自立の立場」をとるかに区別されます。
依存は面倒を見てもらう側、自立は面倒を見る側です。
子供時代とは異なり、大人のパートナーシップには対等さが求められるのですが、どうやら私は「自分は面倒見てもらう側」と決めつけていたのです。

自分は助けてもらう側!あなたは助ける側!
だからあなたは完璧な先輩であってくれ!!
要は「私が未熟な分だけ先輩に頼りたい、先輩もっと私がもたれかかれるようにしっかりしてくれよ、完璧に頼らせてよ、全てを受け入れてよ」と怒っていたようなのです。
しかし先輩だって人間ですから、完璧ではありません。
相手に完璧さを求めるという依存的な関わりは、対等さという所には行きつかないようなのです。
そして自分を依存側に置くことは、「私は無力だ」と宣言するようなものなのです。

 ※ ※ ※

後輩の電話を受けて、彼のわかって欲しい気持ちが、昔の私が先輩につっかかっていた時の気持ちとみごとにリンクしました。
するともう、くすぐったくって、はずかしくって。
そうしてはじめて、あのときの私につっかかられて喧嘩を売られた先輩の気持ちを理解できたのです。

あーあ、コイツ本当に手がかかる面倒な奴だなぁ。
怖くて喧嘩ふっかけてきてるんだろうなぁ
私にわかって欲しい気持ちがあるのだろうなぁ
しょうがない、付き合ってやるか

心理学では依存と自立の関係は逆転すると言われています。
権威的だった親が、年を取り弱って子供に面倒をみてもらうというように。
依存的立場だった人は、自立的立場だった人が自分を扱ってくれた通りに、その人にお返ししようとするのです。

だとしたら、私の彼への接し方はわかっている。
先輩がしてくれたことを全部覚えています。
分かって欲しいと駄々こねる私に、いつまでも分かり合えるまで付き合ってくれたこと。
それで分かり合えなくても、駅で人目もはばからずハグをしてくれたこと。
いつも私の未来を信頼して見守り続けてくれたこと。

後から先輩に聞いた話ですが、私のつっかかりが激しいので、先輩たち上級生の中では「ぶつかり稽古」と言われていたそうです。
本当はぶつかり稽古しなくたって、分かり合うことはできます。
怒りで表現しなくとも、その下のわかって欲しい気持ちを開示できればそのほうが楽ですし、誤解も生まないでしょう。
それが絆をつくっていくのです。

でもそのわかって欲しい気持ちを開示するのは、勇気がいるし、自分への信頼も自信もないと難しいこともわかるのです。

後輩の彼はきっとぶつかり稽古以外の方法を知らないのかもしれない。
当時の私のように。
それなら後輩のぶつかり稽古に付き合ってみようかなと思っているのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

青井あずさ

離婚危機や家族・親族との軋轢を越えてきた経験から、パートナーシップや家族関係を中心に人間関係の問題全般を扱う。持ち前の感覚と感性を使い、クライアントの繊細な感情を読み取り、表現することに長けている。痛みや苦さを癒した先に見えてくる自己実現までをサポートすることが得意。