祈りの形

若い頃、長い旅をしたことがあってイスラム教圏にしばらく滞在したことがあります。

イスラム教徒(ムスリム)の生活を見ていて気付いたのですが、彼らはお祈りのとき両手を合掌するのではなくて、手のひらを上に向けて小指と小指をくっつけるように左右の手を合わせるポーズをするのです。

そして、お祈りの最後に、その両手で顔を撫でるような動きをします。

日本人の私にとって、神社でもお寺でもお参りといえば両手を合わせるものでしたし、クリスチャンもお祈りの時は手を組み合わせているという印象があったので、あれっ、合わせないんだと目を引きました。

どんな感じがするのかとそのポーズを自分で真似てみたのですが、左右の手のひらどうしの暖かさを感じないので、あるべきものがないような、寸止めみたいな物足りなさを感じたのです。

もちろん慣れていないしぐさだから私にはしっくりこないのでしょうけれど、その手の形に興味が沸いて、親しくなったムスリムの人に
「あのポーズはどういう意味があるんですか?顔を撫でるのはどうして?」
と聞いてみました。

その答えは
「神様はいつも良いものを与えて下さるから、それをしっかり受け取る手の形です。顔を撫でる動作でそれを自分のものにします」
といったような答でした。

イスラム教とはもっと厳格なものだというイメージを持っていたので
「ふ~ん?いいものをくれるからそれをもらうため?意外と現世利益的ってこと?」
と思って、よく分からないままでした。
当時若造だったシロウトが聞きかじりで感じたことですから、信仰のある方や、宗教に詳しい方には、ゴメンナサイ。

いま思えばその時の私は神様という概念を、愛の存在・恩恵をくれる存在とは思えていなくて、むしろ畏れるべき存在、非常に大きな権力を持っていて勝手に色々決めてしまう存在だと思っていたようです。

神様が本当に愛に満ち溢れているならこの世はもう少しマシなものになっているだろう?
本当に力があるのかよ?力があるくせに出し惜しんでいるのかよ?

神様というものをそんなふうに見ていたので「ちょうだい」の手をしてその前で額づく姿は、卑屈なような、媚びているように見えてしまったのだと思います。

でも、ずっと後になって心理学を学び始めてから「投影」の法則や、人間の「罪悪感」などを理解して自分の心を癒していくうちに、あのムスリムが教えてくれたことが蘇ってきたのです。

身の回りで、世界で起こる「ただの出来事」に「良い」「悪い」という色をつけて見るのは私の心を投影していること。

本当は無数にある「愛」や「恩恵」を受け取らずにドブに捨てているのは私の罪悪感や無価値観ゆえ。

それもこれも幻想、勘違い、私が思い込んだダークストーリーだから、もっと受け取ってもいいのだということが腑に落ちて来たとき、私は自然と両手を体の前に大きく差し出したくなりました。

イメージの中で空からたくさんの「なにか」があとからあとからふわふわと降り注ぎ、大きく広げた現実の自分の両手を胸の前でお椀のように合わせて、押し頂くような形になっていました。

「ない!私には与えられていない!」と怒っていたのですが、私がお椀を作っていなかったので、与えられているものがあったとしても受け取れていなかったのです。

湖ができるほどの雨はなかったかもしれないけど、土が湿るほどの雨は与えられていたから、私は生きているのでしょう。

「受け取っていいのかもしれない」
「持っていてもいいのかもしれない」

そう思いながら、胸の前で合わせた自分の手がずっと前に私が質問をしたあのムスリムの祈りの手の形だと気付いて、私はその手でそっと顔を撫でるしぐさをしてみました。

イメージの中でふりそそいでいた「なにか」は、触れると解ける雪みたいに、具体的なコトバにするとたちまち「ウソくさいなにか」になってしまうような気がして、白くてふわふわして光っていて暖かそうな「何だかわからないままのなにか良いもの」を体と心の中にしっかりと入れるイメージを描きました。

きっとそれは愛とか恩恵とかいうものなんだろうなというのはうっすらと感じてはいたのですが。そう言い切ってしまうのはまだ怖かったのだと思います。
ずっと「ない」と思ってきたものだから、「あったの?本当に?」って。

今ではイスラムの礼拝は、与えられたものを感謝して受け取り、そこから良いものを生み出そうとする謙虚な姿だと思えますし、いろいろ勝手に決めてしまうウザい存在だった神様の解釈も変わりました。

「コレいるかぁ?あっ、こんなんあったわ~、ホラこれもやるわ~、持って行き~」と、頼みもしないものをいろいろいろいろくれようとするちょっとおせっかいな親戚のオジサンみたいなんだけど、オジサンが帰ってからすごく欲しかったものがその中に混ざっているのに気づいて「やるな☆」と涙ぐんでしまう感じ。

と、カミサマの話なんか書いていたら、コラムの公開日はクリスマスの直前でした(笑)。狙ったわけではないのですが。
あなたにもなにかとても良いものが降りそそぎますように。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

高梨 弥生

引きこもりからフリーターを経て社会復帰した経験を持つ。その間、心因性アトピー、薬害、うつ状態などを克服。 明確に言葉にできない気持ちを汲み取り、寄り添いながら、見通しよく整理していくことを得意とする。問題の奥にある魂の輝きと愛を見つめ続けることを信条とする。家族の宗教問題、自死を経験。