話すは癒す

きょうは、話すことは癒しに通じる、ということについてお話ししてみたいと思います。

話をすることで自分の中で何が起こるのか、そして自分のなかでどういう変化が始まるのか、そのあたりを、わたしがカウンセラーになる前にした経験を通してお話します。
カウンセラーの目線からではなく、一クライアントが感じたこととして読んでいただけたらと思います

わたしがお話する話は二つです。

一つは比較的最近の話で、何年か前のこと、あることで悩んでいた時期があります。
悩んでいた内容については、ここで触れることできないのですが、かなり長い間思い悩んでいたことで、どうしたらいいのだろうと一人悶々としていた頃です。

一人でずーっと悩んでいて誰にも相談もできずに、どうしようどうしようとばかり思っていました。
そういう時にある施設の存在をしり相談に行ったのです。

相談員を前にして状況を話し始めました。
話をするうちに胸に感情が込みあげてくるんですね。
これ以上しゃべったら涙があふれてきてどうしようもない、と自分でわかるわけです。
それでもこらえて話しているうちにどんどん涙が出てくる。
自分ではどうしようもコントロールができない。

相談にきて、話ができないほど感情がこみあげてきて、涙がでんどんあふれてくる。
年配のいいおっさんが、こどものように泣いてしまうなんてどうしてしまったんだという思いと、まずい、と言う思いと、格好悪いという思いとが入り混じりましたが、自分ではどうしようもありませんでした。

その時に、こんなにも苦しい思いを抱え込んでいたんだなあ、ということが初めてわかりました。
自分の中ではそれは悩みではあるけれど、そこまで自分が悲しんでいるとは思っていなかったのです。
平気なふりをしている自分、強がっている自分がいたわけです。
弱みを見せてはいけないと思っている自分がいたのです。

それを相談員の方にお話しすることで、いままで押し殺してきた胸の中のつかえが一気に噴出したという感じでした。
出し切ったことで、少し気分の晴れた感じがしました。

相談員は、わたしの言うことに、少しも言葉を挟みませんでした。
ただ、黙って、わたしの言葉に耳を傾けてくれました。
わたしの苦しみを受け止められた気持ちになりました。

二つ目は30年位前になるでしょうか。
ブログでもパニック障害の経験があるということをわたしは書いています。
それは、学生の頃で、当時はどこに行ったらいいのかわかりませんでした。
病院にも行かず、自力で直した後、10数年ぶりにパニック症状が現れ出しました。
その時にカウンセリングを受けました。

自分の症状を言葉に出して説明していくのですが、そのとき、いちいち説明する自分の症状に、ばかばかしい、という気持ちが湧いてきました。
なぜ、こんなことで悩まないといけないんだろうという疑問が自分の心の中に芽生えてきたのです。
何回か、カウンセリングを続けている間に、もういいか、という気持ちになってきたのです。

回を重ねるたびに、こんなことよりもっと大事なことがあると思えるのです。
こんなことに時間を使えないとも思いました。
自分の中でパニック症という問題がだんだん小さくなっていったのです。
それは、言葉として吐き出したから出てきた疑問だったと思います。

話をする一番の効用は、吐き出すこと。
胸に溜まっているものが、言葉とともに感情として出ていくようです。

また、話をするということは不思議なことに、自分はこれで普通だと思っていることが、口から言葉として出て再度耳から入ってきた瞬間に、人の言葉を聞くような感覚になって客観的に感じる。

そんなことを考えていたんだ、そういう風に思っているんだ。
でも、こういう風に考えてもいいよね。
といろんな思考が渦巻いてきます。

話すは癒す、だと僕は思っています。
クライアントとしての自分の経験と、カウンセラーとして僕と話しをされることで気づきを得られたり、感情を出される方を見てそのように思います。

いま悩んでがいる方に、話すことで起こる自分の変化を感じでもらえたら嬉しく思います。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大西 三千男

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。