「誰かのようになれたら」を手放して、自分らしく生きる 〜比較と競争〜

自分の欠点vs誰かの素晴らしさ→絶対に負ける戦い

実際のご相談の中で「私が誰かのようになれたら、きっと幸せになれる」という気持ちを伝えてくださる方がいます。そのお気持ちを察すると、その必死さが伝わってくるようですが、この考え方自体、自分が負けるカタチの比較・競争なので、なかなか切ない結果が待っていることが多いのです。
そこで今回は、比較・競争について解説しながら、自分らしく生きるための考え方をご紹介します。

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■私が誰かのように(素晴らしく)なれたら

例えばこのようなご相談。

ある女性が「私がもっと家庭的だったら、もっと早く結婚できて、今頃は子供がいて・・・きっと今頃、独身でいるわけじゃないと思うんです。」

このお話は、独身の方だけではなく、今恋愛中のパートナーがいらっしゃる方から伺うこともありますよ。

この「私は〇〇(誰か)のようになれたら」というお悩みには、比較と競争が隠れていることが多いものです。

しかもこの比較、競争は、いわゆる前向きで健全な比較、競争とは違い、絶対に勝てないものが少なくありません。

なぜなら「自分の欠点」と「誰かの素晴らしさ」を比べているから。

自分にはないものばかりを探していると、ついついこの比較・競争の罠にハマってしまうものなのです。

 

■比較・競争が自分への罰になるとき

僕たちは知らぬ間に「誰かのようになれないから愛されない、評価されない」と感じている場合があります。

私が〇〇のようになれないから。△△さんのようにできないから・・・。

どこか「自分は自分」と理解していても、知らず知らずのうちに誰かと比較してしまうことがあります。なぜ比較しているのかの理由が明確にわからないまま比較し続けていることが多いんです。

その比較・競争には、誰かへの嫉妬や、劣等感を伴うことも多いものです。自分の比較対象のことをよく思えないだけじゃなく、羨ましいやら悔しいやら、いろいろ感じるものですね。

だから、嫉妬や競争をしている自分にがっかりしてしまったり、誰かのようになれない自分に対しても否定的な目を向けるようにもなり、その結果、なかなか自分を肯定しようにも肯定できなくなることがあります。

ただ、そもそもこの比較・競争が絶対に勝てないものならば、そもそも競争すること自体「自分を否定する材料」のなっているといえます。

つまり、「誰かのようになれない」と悩んでいる人ほど、「誰かの素晴らしさを使って自分を罰する」パターンを持っているもの、といえます。

もちろん比較や競争が悪いものであるとはいい切れません。前向きでお互いに切磋琢磨するような競争意識は意味のあるものですし、競える相手がいることでさらにやる気を持てることもあります。

人との比較や人の評価の中で生きることも、そこからなにかを学び取ったり、自分自身をいい意味で律し背筋をピンと伸ばすような意味で使うことだってできます。

問題となりやすいのは、比較や競争の勝ち負けの部分を、自分や相手を責めたり、判断する材料に使ってしまうことにあります。

 

■さらに隠れた親との関係性とその影響

このような絶対に負ける比較・競争を続けている方の心を見つめていくと、「親子関係の中でも同じような比較・競争が起きている」場合があります。

例えば、お父さんが偉大で力のある方だったとして。その息子さんが「自分はお父さんのようになれないからダメだ」と、お父さんを自分を責める材料に使う場合があります。

もちろん「お父さんのようになれない」と思う子供さんほど、同じように成功してお父さんを喜ばせたい、と思っている場合が多く、その動機を丁寧に見つめると決して悪いことではない場合が多いのです。

ただ「お父さんを喜ばせるために自分で頑張り、お父さんの力を借りちゃいけない」と思いこんでいるうちに、父親が目の上のたんこぶのように感じている人も少なくありません。

どこか父に認められたいという気持ちを抱えながらも、その父と比較・競争を続けることになるんです。

そして、お父さんと比較して足りない自分(その一部)を感じると、自分を認めることができなくなります。

この競争が手放せない限り、「実は父親の力は子供である自分を守り活かすもの」として受け取ることができないので、自立が強まっていきます。

このパターンは、大人になってもなくならない場合があり、何事もつい自分の力にこだわりすぎる反面、すごく人の目や意見を気にしていたり、仕事や恋愛などでも、自分と他の誰かとの比較・競争を仕掛けて、自分を責めるパターンが続いてしまうこともあります。

すると、次第に自分を見失うことににもつながっていきますし、自分にはどのような価値があるのかがさっぱりわからなくなることもあります。

 

■自分を認めるから、対等さを感じられる

だから、ついつい他の誰かと比較をしてしまうなら、「自分らしさ」を認め、受け容れていくといいですね。

誰かのようになれなくても、自分は自分でいいところがある。

そう認めるには、今の自分の良さを認め、若干足りない部分があっても、その自分を受け容れ、否定しないように意識していきます。

まずは自分の良さをコツコツ認めていき、それを人のため、誰かを愛するために使うと、より「自分は自分でいい」と感じられるようになっていきます。

人に愛情などを与えれば与えるほど、自分がよい気分になりますから、自分にメリットがありますね。

自分には無理だから、自分が行動しても大きな意味がないから、と感じているとき、実は誰かと比較しながら自分を否定してしまっていることに気づいてみてください。

あなたが何かしらの行動をしないことを否定的に見るよりは、「誰かを使って自分を否定している」という気付きがが大切ですね。

絶対に負ける比較とは、たとえ悪意なんてないにせよ、誰かを自分を罰に使っていることと同じ。それに気づいて手放すと、(誰かを自分への罰にしている)罪悪感も手放せますから、恋愛や対人関係の中で感じる気まずさ、怖れ、分離したい気持ちが徐々になくなり楽になっていきますよ。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。