長生きしてね

最近の母を見ていて思うこと、感じることがあります。
母は86歳。 3年ほど前に大腿骨骨折して入院してから、軽い認知症を抱えながらもヘルパーさんやデイサービスを使って1人で暮らしていました。
週に1度は妹が様子を見に行き、私も月に1,2回の週末は東京から関西の実家へ顔を出していました。

その母が、昨年12月に2度目の入院となりました。
家の中で倒れていたところを、迎えに来てくれたデイサービスのスタッフさんが見つけて下さり、救急車で救急病院へ運ばれたのでした。
妹から私に連絡があったのは、その日の夕方でした。
病院では脳出血とかを疑いいろいろ検査をしてもらったようですが特に問題はなく、妹がスタッフさんから聞いた状況から推測したのは、母は部屋で転んでしまって自力では起き上がれなかったのではないかということでした。

その週末に病院へ行くと、母は自力ではベッドからも起き上がれない様子で、顔つきは生気がなく、このままどうなってしまうのかと本当に心配な状況でした。
翌週も病院へ行くと、前回よりはほんの少し、しっかりした顔つきになっていてホッとしました。

その後、実家近くのリハビリ病院へ転院し、毎日リハビリを受け、ほぼベッドで1日を過ごしてはいますが、パジャマから服に着替えるようになり、顔つきや意識は倒れる前と同じくらいになってきました。
とは言っても、認知症で今聞いたこともすぐに忘れてしまうし、自分から何かをしようという気力も起きない様子ですから、また元気に動きまわれるようになるわけではありません。
以前のようヘルパーさんやデイサービスの力を借りても、もはや一人で住むことが難しいことは明白です。
今後どうしようか、そんなことを妹とも話しながら、私は東京からその病院へ通っていました。

前回の入院時(3年前)には、「いつまで病院に閉じ込めとくのか。はやく家に戻りたい」とスマホでLINEを送ってくるぐらいの母も、今回は一切そんなことは言いません。
家の電話やスマホやも倒れる前から、もう使い方がわからなくなってきたようで、元々スマホにも興味はなかったため手に取ることもなくなっていました。
なので、この1,2年は、実家に帰るたびに、いつ「あなたどなた?」と言われるかもしれない、そう思いながらの帰省でした。
今回も病院へ行くたびに、もう私のことがわからなくなっているのではないか、そんなことを考えながら新幹線に乗っていました。

幸いにも、私が顔を見せると、「あら、」と笑顔を見せてくれます。
「あ、まだ私のことがわかるんだ、よかった!」と私は心の中でつぶやきます。 
それから、いつもの会話が始まります。
 
「いつ来たの?  」 「今、来たよ」
「どこから来たの?」 「東京から。」
「遠いところ、大変だったでしょう。」 「大丈夫、慣れてるから。」
「今夜はどこに泊まるの?」 「〇〇(町名)のお家。 実家に帰るよ」
「お布団あったかしら?」 「あるから大丈夫だよ」
「そう、よかった」
という感じで、ニコっとして落ち着きます。

母はまだ普通に会話は出来るので、知らない人が近くで私たちの会話を耳にしたなら、認知症とすぐには気づかないのではないかと思います。
けれど、またすぐに、さっきの会話が始まります。
10分~15分くらいの間に、これを3回は繰り返します。

母に認知症の様子が見られるようになった頃は、同じことを何度も聞かれることに、苛立ちや悲しさがありました。
元々身体も元気で病気をすることもなく、父が亡くなってからも私や妹家族に迷惑をかけないようにと一人で頑張ってきてくれていた母が認知症になるなんて思ってもいませんでした。
だから、「なんで同じことをきくの、そんなあなたじゃないでしょう! しっかりしてよ。」とつい思ってしまっていました。 
病気なんだから仕方がないと頭では理解していても、私自身が心の整理がついていないので、そのような母を認めたくない、受け入れられない、そんな気持ちが強かったのだと思います。 

けれども、この1年くらいで、ようやくそんな母に諦めがつき、彼女の世界に付き合おうと私は思えるようになったみたいです。 
今の母を受け入れられたことで、私の心も少しラクになったようで、そんな母を見ながら「かわいらしいなあ」と思うようになりました。 

母は昔から、周りの人にすごく気を使う人で、私はそんな母を見るたびに「どうして人のことばっかり気にするの。人ばかり優先するの。もっと自分の思ったようにすればいいのに。」と思っていました。
たまに誰かの愚痴を言うことはあっても、人の悪口をやたらと言うような人でもありませんでした。
だから、私は母のことを無理して人に合わせている人、でも、本当は違うことを思っている、いい人を演じているんじゃないのと感じていて、ガマンばかりしている(と私は思っていた)母のことを嫌な感じで見ていました。
だけど、認知症になっても、やはり今までと同じように人に気を配ろうとしたり、誰かがしてくれることに感謝をしたりする母を見ると、それがずっと彼女が大事にしてきたことのように思います。
もちろん、昔の母と比べると、自分のことしか見えなくなっていることも増えてはきていますけれど、それでもまだまだ自分勝手になるにはほど遠いくらいです。 母に対して自分勝手なイメージを持ち続けたことに反省!です。

その母とは2月中旬に会った後、新型コロナウイルスの影響で3月上旬に病院から面会禁止の連絡があり、現在の緊急事態宣言もあり会いに行けずじまいとなっています。
最後に会った時、母は「お家に帰りたいなあ」と初めて口にしました。
「暖かくなったら帰れるから、もうちょっとここにいようね」と言うと、「そうね」とこたえる母を見ながら、こんなにもおとなしくなってしまったと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。(前回の入院時は、家に帰りたいを連発してすごく頑固になっていたので。)

母は今月中に、リハビリ病院からグループホームへ移ることが決まっています。 
どうしているかなあと日々母のことを考えながら、会いに行けないこの状況の中で、出来るだけ母のために祈るようにしています。 
元気でいますように。 ケガをしませんように。
長生きしてくれますように。 
そんなことを思っています。 
でも、本当は母のためにと言うより、まだまだ母に生きていてほしいと思う自分のための祈りなのかもしれませんね。
あなたが居なくなってしまう覚悟が出来ていないから・・・ もうしばらくは長生きしてくださいね。

みなさんにとっての大切な方も、いつも元気でいらっしゃいますように。
PPAP (Pray for People And Peace!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

松尾 たか

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。