怖れとつきあう法~原因別乗り越え方~

「怖れ」は4つ程度に分類できる

怖れの原因は遺伝的な怖れ、学習に基づく怖れ、感じたくない感情を感じる怖れ、ニーズを抑圧するための怖れのおおよそ4つ程度に分類できます。
それぞれの原因に応じた対処法を行うと、怖れは小さくなり、時には消すことができるようになります。
ただ、いずれにしても最初の一歩を踏み出すための“勇気”は必要になってきます。

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怖れは、もともと私たちの身体や心を守るためのツールです。
従って、怖れを感じること自体は自然な反応で、何も悪いことではありません。

しかしながら、過剰な怖れや不必要な怖れは、私たちが何か前進をしようとしたときにそれを阻もうとします。

今抱いている怖れが必要な怖れなのか、過剰な怖れであるのかは状況によるので一概には言えません。

しかし、自己顕示的な気持ちや犠牲的、義務的な気持ちではなく、自分自身が前に進もうと思っている時にそれを阻むような怖れは、過剰な、あるいは不必要な怖れであると言えるでしょう。

人間が怖れを抱く原因は、おおよそ4つに分類できるのではないかと私は考えています。

 

第1番目は、遺伝的な怖れです。

例えば、私達の多くは蛇を怖れますが、何万年も前、人類の祖先が樹上生活をしていた頃、そこに忍び寄ってくる敵に蛇がいましたが、私たちはそれをいち早く見つけるために、蛇を目で捉えると脳の一部がそれに素早く反応し認知するという機能を持っています。そして、蛇を怖れることで身を守ろうとしているのです。

この怖れはある意味“本能的な怖れ”なので、これを緩和するのは少々厄介かもしれません。しかし、必要であれば次にお話する学習に基づく怖れを緩和する方法と同様の方法で緩和することができます。

 

2つ目は、学習に基づく怖れです。

私たちは子供の頃から親などの養育者に火に手を近づけると火傷するからダメだとか、親が怖がっていたので雷は怖いものだとか、様々な事を教えられます。また、自身の経験から学ぶ怖れも沢山あります。これが心に残って怖れの対象になります。

心理学の実験で、マウスに大きな音を聞かせた後に電気ショックを与えると、マウスはやがて大きな音を聞くだけで怯えるようになります。マウスは大きな音と電気ショックの関係を学習するのですね。

私たち人間も同様に、例えば、子供の頃に両親が大声で喧嘩をして怖い思いをしたことがあると、大きな音がすると怖れを感じるようになることがあります。小さい頃、犬に噛まれた経験がある人は、犬を見ただけで恐怖を感じるようになることがあります。

この学習による怖れは緩和することや消し去る事ができます。例えば、先のマウスの電気ショックの例で言えば、大きな音の後に電気ショックを与えることを止めてそれを暫く繰り返すと、大きな音を聞いても怯えなくなります。このように、経験した怖れがそうではないと学習できれば怖れは緩和したり消し去ったりすることができるようになります。

ところが、怖れがあるとその「大丈夫な経験」をすることすら、怖くてなかなかその一歩を踏み出すことができないのですね。

また、怖れが生じると、鼓動が早くなるなど、身体的な“症状”も現れるので、その症状自体が怖れの対象になったりもします。

従って、怖れを乗り越えるにはいくばくかの勇気が必要ということになります。少しずつの経験でいいので、怖れている事にチャレンジしてみると、次第にそのことに対する怖れが緩和されていきます。

例えば、高所恐怖症の人に対してそれを緩和する方法の一つに、高い場所を経験させるという方法があります。少しずつ高い所に連れて行き、そこで何も起こらないことを経験させると、徐々に高所恐怖症が取り除かれていきます。ここに何らかのご褒美があると、その効果は大きくなります。

 

第3番目は、感じたくない事を感じる怖れです。

例えば、完璧主義の人は自身の内側に“不完全な私”という自己概念があり、それを感じたくないために完璧主義になります。

ここでいう完璧主義とは、一般に想像される何でも完全にこなす人ではなく、完璧にできることには手を出して上手くこなすけれども、完璧に出来ないことには手を付けない人のことです。

完璧に出来ることしかしないので、周りから見ると何でも完璧に出来る人のように見えるのですが、実はそんなスーパーマンは世の中どこを探しても存在しません。完璧に出来ることのみをやるので、やることなすことすべて完璧と見まがうのです。

このように、完璧主義の人は自分の不完全さを感じたくない、即ち完璧に出来ないことを現実化したくないので、そんなことを行うことに怖れを感じ、顕在意識的に、あるいは無意識的に回避します。

また、“自分は悪い人間だ”“自分は罰を受けるべき人間だ”“薄情な人間だ”“価値が無いい人間だ”など様々な感じたくない感情に対して私たちは怖れを抱きます。

更に、このカテゴリーの中に“成功する怖れ”があります。「成功する事に怖れを感じる?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、例えば宝くじ2000万円が1回のみならず2回も続いて当たってしまった場合、「もう、私の運は使い切った」とか「人から妬まれる」といった不安を感じる場合があるのです。

これら、感じたくない感情を感じることに対する怖れは、その根本原因である出来事に対して理解をしたり、自分や人や状況を許したりすることによって、自分の心に刺さった棘を抜く事や、それまで自分の生きざまを形作ってきた観念やルール、考え方や価値観などを変えることによって緩和したり、感じなくしたりする事ができます。

ただ、長年おつきあいしてきた感情的な事柄や既に無意識下に落とし込んでいる事柄を理解したり許したり、変更したりすることに対しては心の防衛反応からくる抵抗が働くので、その原因を1つ1つほぐしていく必要があります。

 

第4番目は「こんなものが欲しい」とか「こうして欲しい」とか「こうなりたい」と望んでいるニーズを抑圧するために、怖れを使っている場合です。

私の知人に肉が食べられず、肉を見るのもおぞましいと感じる人がいました。

最初は、子供の頃無理やり食べさせられたとか、肉に当たってひどく辛い思いをしたなどの原因で嫌いになったのかなと思いましたが、小さい頃は食べることができたそうで、特に無理やり食べさせられたり、肉が当たったりという記憶はないとのことでした。

「なんでだろう。不思議だな」と思って根掘り葉掘り聞いてみると、いくつかわかったことがありました。

先ず、お父さんは肉が大好物だったこと、お父さんの晩酌にはプラス1品で簡単な肉料理が出されていたこと、小さい頃にお父さんにおねだりしてお父さんからそれをもらって食べていたこと、そしてある日「それはお父さんの物だから食べちゃダメ」とお母さんに叱られたことがあるとのことでした。

どうやらそれ以来、その知人は肉を食べなくなったことを思い出しました。

その知人は、食べたいというニーズを抑圧する必要を子供ながらに感じて、肉を食べることを禁止し、禁止の手段として肉を見るのもおぞましい感じを抱くようになったようでした。

このような怖れは、自分にかけた呪縛ですから、それを理解してチャレンジしてみると、その呪縛が解けて怖れを感じなくなるようになります。その知人も、今では肉が食べられるようになりました。

さて、怖れは、怖れている事が起こるのではないかと思っている時が一番ピークの時です。怖れている事が起こってしまえば、新たな怖れや異なる感情が生じるかもしれませんが、それまで思っていた怖れは無くなってしまいます。

バンジージャンプで飛ぶ前に怖れがピークになり、飛んでしまえば、余韻は残るかもしれませんが、怖れは消えてしまうのです。

怖れは深刻に捉えるほど深まります。深刻さの原因は考えることにあります。考えることは防衛の為であり、防衛は最悪の状態を想定する事になりますから、怖れを増強します。

それよりも寧ろ、怖れの原因を自分なりに見極めて、深刻さから少しでも解放されれば、怖れをうまく扱えるようになります。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大谷 常緑

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。