羨む事をやめて憧れてみよう~幸せの方向に舵を切る~

羨む気持ちには、羨んだ事が実現しないという気持ちが潜んでいます。

なぜならば、それが実現する事がわかっている場合には、羨む気持ちが出てこないからです。
ではなぜそれが実現しないと思っているのでしょうか?
多くの場合、実現すると思ってしまう事でそうならなかった時に傷つくのが嫌だからです。傷つくのは、殆どの場合自分自身を何らかの形で責めている時です。

そしてそれは、羨ましいと思っているものを手にできない原因を作り出している自分自身を責めています。
羨んでいる時は自分自身を責める感情があり、それを感じる事が怖くて足がすくんで前に進めなくなってしまいます。「なりたい自分」にはなかなかなれません。
しかし、その羨む気持ちを憧れる気持ちに変えると、結果は大いに違ってきます。
憧れる気持ちはその相手に近づきたいという気持ちで、自分を責めるような気持はありません。怖れる必要が無いく、前進していく事ができるのです。

◎リクエストを頂きました◎
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私は、「人生がうまくいっているな」と感じる人に出会うと、その人が羨ましくて仕方がなくなってしまいます。
同時に、自分の生活が色あせて見えてしまうのです。
そのため、何か問題を抱えている人を周りに集めてしまう傾向があります。
顕在意識では、優れていると思える人の中で、自分を高めて行きたいと思うのですが、なかなか現状を変えることが出来ません。

昔付き合っていた男性が弁護士になったのですが、妻子と一緒にアメリカに渡り、アメリカの弁護士事務所で働いている話に、とても羨ましく感じました。
私は昨年結婚し、幸せな生活を送っているのですが、こういう話を聞くと、とても羨ましく思います。
最近分かってきたことは、特に羨ましく思う点が社会的地位やお金に関することのようです。
もし可能でしたら、心理分析をお願いいたします。
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1.「羨む事」には心のリミッタが働いている

僕が子供の頃の話。
友達が新しいおもちゃを買ってもらったり、夕方遅く家に帰っても怒られないという話を聞くと、とても羨ましく思ったものです。
そして、「どうせ親に言っても買ってもらえないし」とか「どうせうちの親が遅く帰って良いなんて言う筈がないし・・・」と思っていました。

「羨む」ということには、この「どうせ」がつきもののようです。
心のどこかで、「どうせ」とそれが実現しないと諦めている部分があるのですね。
逆説的になるのですが、例えば夏休みに憧れのヨーロッパ旅行に出かける事が決まっていたとしましょう。
友達が「明日から、ヨーロッパに行くんだ!」と話をしたとしても、別に羨ましくはないですね。
しかし、夏休みの予定無し、休暇も取れるかどうか怪しい状態だとしたら、「いいなぁ、羨ましい!」となりますね。

このように、ヨーロッパ旅行に行ける事がわかっている時には、友達がそれを手に入れたとしても、「どうせ」などという事にはなりませんね。
このように羨む気持ちというのは、心のどこかでそれが手に入らないのではないか、と思っている時なのです。
いわば自分で自分に仕掛けた心のリミッタのようなものですね。

2.私たちはどうして心のリミッタを持つのか?

では、そんな心のリミッタを外すと自分がどうなってしまうのが嫌なのでしょうか?
一般的に人が怖れていることの多くは、傷つく事です(心のより深い部分では幸せになってしまう怖れや成功する怖れも結構みなさんお持ちなのですが、それはまた別の機会に)。
多くの場合、期待してその通りにいかなかった時に傷つくのではないかと思ってしまうのですね。
どこかで自分自身の事や、他の人の事や、これからの状況に信頼を置いていないわけです。
だから、傷つかないように予防線を張って心にリミッタをかけてしまうのですね。

では、期待通りに事が運ばないと、どうして私たちは傷ついてしまうのでしょうか?
傷つくという事は、自分自身の何かを心のどこかで責めている時にしか起こりません。例えば、朝寝坊して会社に遅刻したとしましょう。「遅刻した自分は悪い」と感じるのが一般的ですね。自分を責めている訳です。そんなとき会社に着いていきなり「遅刻するな!」と上司に怒鳴られたとしたら、より大きく傷つきますよね。
しかし、電車が遅れて会社に遅刻した時はどうでしょうか?

「遅刻した自分が悪い」とは責めていないのが一般的ですね。そんなとき会社に着いていきなり「遅刻するな!」と上司に怒鳴られても、遅れた事については傷つかないですね(わかって欲しいや信頼されていないなど別の感情で傷つく事はありますが)。
このように「会社に遅刻して上司に怒鳴られる」という同じ状態であっても、傷つくかどうかは、自分を責めているかどうかで異なるわけです。

では、期待してその通りにいかなかった時に、私たちは自分の一体何を責めているのでしょうか?
それは自分自身ですら気がついていない事かも知れませんし、簡単に思い当たる事かもしれません。

3.自分が自分の何を責めているのかを見つける方法

簡単な一つの方法は、「羨ましい」と思っているものを手に出来ない原因をつくり出している自分自身を責めている、と考えていただくと良いと思います。
例えば、「食べても、食べても太らない人」を羨ましいと思う人は、痩せたいという思いがありますから、太っている私を責めています。また、同時に食べる事を制限しようと思っているのに、ついついケーキに手が伸びてしまう私も責めているのかもしれません。

また、「カッコイイ彼ができた友達」を羨ましいと思う人は、カッコイイ彼が欲しいと思っていますから、カッコイイ彼が出来ないような私の様々な部分を責めているのかもしれません。
リクエストで戴いたように、社会的地位やお金を持っている人が羨ましいと思う人は、それらが成功のシンボルと感じておられる様ですから、成功をしたいと思っておられて、あるいは自分の実力の証明をしたいと思っておられて、成功できない私(うまくいかない私)や、実力が無い私を感じて責めておられるのかもしれません。

4.羨む事を止めて憧れてみる

羨んでいる時は、自分自身を責めているネガティブな感情がそこに潜んでいますから、それを感じる事が怖くて足がすくんで前に進めなくなってしまいます。これでは「なりたい自分」になかなかなれませんね。
しかし、その羨む気持ちを憧れる気持ちに変えると、結果は大いに違ってきます。
なぜならば、憧れる気持ちはその相手に近づきたいという気持ちだからです。

そこには、相手と競争して自分自身の何かを証明しようとする気持ちや、自分を責めるような気持はありませんから、怖れる必要が無いわけですね。だから心のリミッタも働きません。
そしてどんどんその状態に近づいていく事ができるのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。