私って変?

相談者名
こはる
私は40代後半の主婦、子供が3人、私は3人姉妹の次女として育ちました。私は子供の頃から母の意に沿わないことを言ったりやったりすると「お前は変な子だね」と言って育てられてきました。家族の中の母にとってもう一人の変な人、それは父でした。父の母と違う判断や感覚に対しても「全くあんたは変な人だね」よく言っていました。母にとって私は父似で、父に似た嫌な部分を私に感じると「全くあんたはお父さんにそっくりだ」とよく言われました。私=変 父=変 父に似ている私=変の2乗ですね。単に口癖だったのかもしれませんが、私は20代前半まで自分は本当に“変”だと何も疑わずに思っていました。大人になりある人に私は全然変じゃないと言ってもらえる機会があり、自分は変ではないと知り救われ、その後長い時間をかけて母のことも受け入れることができ、自分が“変”という思いからも解放されたと思っていたのですが。
先日夫婦の間で高校の同窓会の話が出ました。私たちは高校の同級生で地元に住んでいます。私が同窓会に出ないというと、主人の口から、「まったくおやじさんの娘だね。だいたい自意識過剰だから…」という言葉。確かに父も同窓会に出ない人です。でもそれだけで父=私=変まがいの言葉が主人の口から出たことがショックで、思わず同窓会に出る人出ない人について口論になってしまいました。主人の中には同窓会に出る人=世間的に○、出たがらない人=×と言う式があるようです。私には別に同窓会に出ないことに過去に大した理由があるわけではなく、金銭的なことや、着ていく服がないとか、その他もろもろが面倒で、私にとってそれを超える魅力が同窓会にないだけなのに、同窓会に出ないってそんなに変?でもこの自分のこだわり方に他に何かあるのかと気になり始めました。それに人から「変」まがいなことを言われただけでここまで動揺するこの自信のなさは何?ずっとモヤモヤしています。よろしくお願いいたします。
カウンセラー
吉村ひろえ
こはるさん、はじめまして。
担当させて頂く、吉村ひろえと申します。
よろしくお願いします。

こはるさんは子供の頃からお母様に「お前は変な子だね」と言われてきたのですね。
お父様の嫌な部分をこはるさんに感じると「全くあんたはお父さんにそっくりだ」とも。
その言葉を1,2回言われただけなら特に気にもならなかったかもしれませんが、幾度となく言われるとジワジワとこはるさんの心に刷り込まれ、『自分は本当に“変”』と信じ込んでしまわれたのだと思います。
子供の頃から20代前半まで、自分を”変”だと思い込んでいた長い時間こはるさんはどのように過ごされたのでしょうか?
『私は本当に”変”だ・・・』と、その思いがいつも心の真ん中にデンと居座って自然に振舞えなかったのではないでしょうか?
それはとても人の目が気になったり不安を感じて緊張していたり窮屈さを感じておられたかもしれません。

けれど、ある人に「変じゃない」と言ってもらいやっと、『自分は本当に“変”』という呪縛が解かれこはるさんを”変”だと言い続けたお母様を受け入れていかれたのですね。
そこに至るまではお母様を理解しようとされたり、許そうと努力をされたのではないかと思います。

けれどご主人との会話の中でもう治ったと思っていた古傷に触れられ、また痛み出したという感じでしょうか。

同窓会に行かないからって別に”変”でもなんでもないですよね。
行っても行かなくてもどちらでもいいと思います。
いろんな理由で出席する人・欠席する人がいて、どちらが正しいも間違いも、良いも悪いもありません。
けれど、こはるさんは

>この自分のこだわり方に他に何かあるのかと気になり始めました。

と書いてくださっています。
同窓会に行く行かないということより、そのこだわり方が気になられるのですね。

確かに、金銭的なことといっても会費がひと月分のお給料が吹っ飛ぶほどではないだろうし、着ていく服がないといってもフォーマルな格好で行かなければならないわけではないと思います。

ではなぜこはるさんは行かないことにこだわるのでしょうか。
金銭的なこと、着ていく服のこと、その他もろもろ面倒なことがすべてクリアになったとしたらこはるさんは同窓会に出席しますか?
そして出席したとしたら、こはるさんはそこでどんな気分を味わうでしょう?
ちょっと想像してみてくださいね。
この、その時その場で感じるであろう感情に行かないことにこだわる本当の理由が隠れているかもしれません。

>それに人から「変」まがいなことを言われただけでここまで動揺するこの自信のなさは何?

ご相談内容を読む限りではご主人は「まったくおやじさんの娘だね。」とは言っておられますが”変”とは言っておられません。

>父=私=変まがいの言葉

と捉えておられるのはこはるさんですね?
こはるさんの中で、父=私=変という図式が今もなお成り立っていて、ご自身でそのことを嫌っていたり気にしておられるようです。
私達は自分で嫌っているところや気にしていることを言われると、傷ついたりムキになったりします。
たとえば、とてもスリムな人に「おデブちゃん」と言っても「ん?なにが?」と疑問に思ったとしても傷ついたりムキになったりしませんよね?

自分で自分のことを嫌う感情を自己嫌悪といいます。
この感情があると人も自分を嫌うだろうと人との距離を作ったり、人と自分を比べて劣等感を感じたり、「こんな自分はダメだ」と自分を責めてしまいます。
このような状態では、自分に自信は持てませんよね。

また、ご主人は「自意識過剰だから」と言っておられますが、これについてこはるさんはどう思われましたか?
自意識過剰の言葉の意味は 《自分が他人にどう見られるかを必要以上に意識すること》 ですね。
自意識過剰になる時は恐れや不安がある時です。

自己嫌悪があったり自意識が過剰になっている時私達は良い気分ではいられません。

けれど、自己嫌悪を手放すことは出来ます。
自己嫌悪を手放すということは、自分が嫌っている要素をなんとかしよう、とがんばることではなく『そのままの自分でも良い』 と自分を認め受け入れ許すことです。

ぜひ、自己嫌悪を手放すことにチャレンジしてみてください。
至らないところがあっても自分を大切に扱い、愛し慈しむことが出来ると、過剰な自意識からも解放されるでしょう。

おひとりで難しいときはカウンセリングも利用なさってみてくださいね。
こはるさんの気持ちがスッキリされ、生き生きと毎日を過ごされるよう願っています。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

吉村 ひろえ

恋愛や夫婦、浮気、離婚などのパートナーシップから対人関係、子育て、また、死や自己受容のテーマなど幅広いジャンルを得意とする。 女性的で包容力があり、安心して頼れる姉貴的な存在。クライアントからは「話しをすると元気になる」「いつも安心させてくれる」などの絶大なる支持を得ている。