好きになる感覚が分からない、怖い。

相談者名
anzi
昔から人付き合いやコミュニケーションが苦手でした。
社会に出る為に接客のアルバイトで鍛え、今も営業の仕事に就いて8年目になります。

人に会う時や人前に出る時は別人を演じていると思っています。
そうすれば初対面の人との会話も、スピーチすることも人前で歌うことすらも苦ではなくなりました。
「好かれる為の自分」を思えば演じることが出来ました。

その分、仕事やそういう場を離れた後、ドッと疲れるのは何年経っても変わりません。
一人の時が一番安らぎます。

しかし、歳を重ねる毎に不安ばかり増えてゆきます。
このまま一人でいることへの不安や、寂しさもあります。

それでも、人が好き(特定のこの人が好き)という感覚が分かりません。

自分は人に好かれる人間でなかったので、演じることで社会に適応してきました。
演じることがなければ誰からも相手にされなかったと思っているので、それ以外の自分に価値がないことは
自分でも、掌を返した周りの対応からも明らかです。

人を好きになって、好かれるために、受け入れられるために一対一の閉じた空間で四六時中「相手の望む自分」を演じる自信も
ありません。
きっと精神的な破綻を起こすのが目に見えます。
それでも、自分とは違う人間である他人は自分にとって利益のない、要求に応えられない人間に対し厳しい評価を下すのも分かっています。

「受け入れられるため」だけに生きてきたので「好き」の感覚が分かりません。

「誰々といる時が一番落ち着く」という言葉の意味が全く分かりません。

「落ち着かせてもらうためにどれだけ対価を支払えばいいのだろう?」
と考えるだけで疲れてしまいます。
普通の人が普通に出来る感覚が理解できない自分に苦しみます。
「誰になればいいんだよ(許してくれるんだよ)」なんて良く思います。

人を好きになるって一体どういう感覚なのでしょうか。
プライベートでも「(好かれるために)誰かを演じなくてはならない」と考えると億劫過ぎて人と会うことすらも嫌になります。
「誰かが無条件で自分を受け入れてくれた」なんて経験があれば違うのでしょうか。
残念ながら自分は演じなければ存在を否定されてきたので分かりません。

カウンセラー
嶽きよみ
anzi さん はじめまして。
今回 担当させていただきます、嶽きよみ と申します。
どうぞ よろしくお願いいたします。

> 昔から人付き合いやコミュニケーションが苦手でした。
> 社会に出る為に接客のアルバイトで鍛え、今も営業の仕事に就いて8年目になります。

わざわざ苦手な分野をアルバイトで鍛えてから、社会に出られたなんて、anzi さんは、ご自分に厳しくて、とても努力家の方なんですね。
しかももう8年も、営業のお仕事を続けられているなんて、本当にすごいなぁ
と思います。

でも、

> 人に会う時や人前に出る時は別人を演じていると思っています。

常に 演じている感覚があるのは、すごくしんどいことですよね。
一人の時が一番安らぐ、と おっしゃるのも、無理はないと思います。

> 自分は人に好かれる人間でなかったので、演じることで社会に適応してきました。

きっとanziさんは、過去にとても辛い経験をされたのですね。

それがどんなことだったかは分かりませんが、もしanziさんが、その原因が
、ご自分に価値がないからだ、と思っていらっしゃるとしたら、それは 誤
解だと思います。

そして、もしそんなご自分を今も責めていらっしゃるのだとしたら、それは
anziさん自身を傷つけ続けていることにもなりかねないと思います。

また、anziさんは、「演じる」ということで、「自分」と 「好かれる人」を
別の人と思っていらっしゃるようですが、本当にそうでしょうか?

本当は、anziさん自身の中に人から好かれる要素というものが たくさん
あるからこそ出来るのではないですか?
もしかしたら、過去の経験から、anziさんに「自分自身は好かれない」「受け
入れられない」、という観念があるために、好かれる自分を 自分自身とは切り離して、別人のように感じているということはないでしょうか?

もしそうだとしたら、まずは anziさん自身が、いろんな側面の自分をどん
どん受け入れてみてはいかがでしょうか?
そうして、自分を好きになる、ということが出来れば、人を好きになる、と
いうことが感じやすくなるのではないかと思います。

> 人が好き(特定のこの人が好き)という感覚が分かりません。

「好き」「嫌い」というのは、頭で考えて「わかる」ものではなく、もっとシンプルで感覚的なものではないかと思います。
むしろ、考えれば考えるほど わからなくなってしまうものなのかもしれませ
ん。

つまり、好きになる感覚がわからない、というのは、今 anziさんの感覚的
な部分が閉じてしまっている、または、鈍ってしまっている、と 言えるの
かもしれません。

感覚的な部分が閉じてしまうのは、anziさんも書いて下さっている「怖れ」
というものが原因であることが多いと思います。

「好き」というのを感じられる時は、心が開いている状態とも言えるので、
心を開くのが怖い時は、好きという感覚もやはり感じにくくなってしまうん
ですね。

> 「受け入れられるため」だけに生きてきたので「好き」の感覚が分かりません。

受け入れられることばかりを考えながら生きるのは、すごくしんどいことで
すよね。
受け入れられないことを考えると、すごく怖くなってしまったりもします。

でも、もしanziさん自身が「受け入れる」ということを考えてみたらどんな感
じでしょうか?
そんなの無理!!って感じでしょうか?

「受け入れられる」というのは、相手に選択権がありますよね。でも、「受
け入れる」というのは、自分に選択権があります。

「好き」という感覚も、あくまで自分自身の感覚なので、生き方のベクトル
を少しを変えることでも、好きという感覚を感じやすくなるのではないかと
思いますよ。

もし、何かトライしてみようかな、と思われたら、

まずは、誰かといる時、「居心地が悪いと感じている自分」、「落着かない
と思っている自分」、「別人を演じている自分」など、そういうanziさん自
身を受け入れてみることから始めてはいかがでしょうか?

そして、もう一つ、自分に対する価値を高めて行くことも大切かなと思います

anziさんが、自分自身の価値を感じるのが難しい時は、誰かほかの人のいいと
ころを見つけてみるのもいいかもしれません。
anziさんが、ほかの人に見つけたいいところは、実はanziさんの中にもあるも
のなんですよ。それを「そうか、自分にもあるんだ。」と受け取ってみてくだ
さい。

ひとりでやってみるのが難しい時は、ぜひカウンセラーにも頼ってみて下さい
ね。

ご相談ありがとうございました。

嶽きよみ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

柔軟な視点で問題を捉え「人間関係」「自己表現」「セクシャリティ」に関する悩みを多く扱う。 特に、現役で自身のビジネスも続けていることから、やりたいことを見つける、夢を叶える、など自己実現のサポートを得意としている。 「見た目の印象とは違い、声に癒される」との声が多く寄せられている。