何を大切にするか

相談者名
taka
初めて描きます。
かなりわかりにく文章になってしまいましたがよろしくお願いいたします。

私は現在某大学で大学院の修士2年をしています。
昨年指導教官からセクハラにあい、今年から研究室を変わりました。
学校側に訴え出ることはしませんでした。
しかし、今年は今年で能力不足との烙印をおされ、研究室を出ることとなりました。
修士論文発表は去年の内容で書くことになり、再び去年の指導教官と接触するようになりました。
彼の態度は相変わらずで、また私に触れてきたりと同じことが起こりました。
しかし、私は能力がある、今の研究室の人とは相性が合わないだけ、他では上手くいかないと思うとか、自分と一緒に研究をしたら一流の研究者になれる、もう二度とセクハラ行為はしないから一緒に研究をしよう、と言われました。
また、彼はセクハラ教官ではありましたが、自分を慰め励ましてくれる存在でもありました。
もちろん、彼のゆがんだ思いゆえにそういうことをしてくれたのかもしれません。
私の中ではその人を許せない、訴えてやるという思いと、将来第一線で活躍する研究者になりたいという自分の思いが揺れ動いています。
彼と研究を進めてよい論文を書いたほうがいいのではないか、彼と話しているうちにそのような思いがわいてきます。
そして、セクハラ事件の時に自分のために時間を割いてくれた多くの人のことも考えると、一緒にやるのは難しいだろうとの思いもあります。
普通に考えたら、他の大学でもう一度やり直せばいいのだと思います。
しかし、その教官に、人には適所がある。
そこで無ければ上手くできない、自分とやれば絶対に間違いない、と言われるとただでさえ今の研究室で自身をすっかりなくしている私の気持ちは揺れ動いてしまいます。
他力本願を願っていては自身ももてないし、結局は上手くいかないということも分かってはいるのですが、そして、そのせいで去年は失敗したことも。
自分でも認めてくれるだれかにすがりたいだけなのかもしれません。
でも情けないのですが、どのように考えすすんでいったらいいのか分かりません。
ご助言を頂けたらと思います。
よろしくお願いいたします。

カウンセラー
深澤三津子
『拒絶しないでNOと言おう!』

takaさん、初めましてカウンセラーの深澤三津子です。
ご相談いただきましてありがとうございます。

最近、修士課程や修士後の道についての人生や恋愛ということで、
ご相談を受ける機会が増えてきました。
そんな中、大学院やその周囲の特殊な組織の在り方や体質も知る事が増えています。

私の友人でも、「勉強のため数年勤務校を離れてたけど、いよいよ帰らねばならない。
でも、あのセクハラ教授がいるから帰りたくないなー。」なんて話を聞いたことがあります。
そして、彼女と共に、この問題がなくなるように願い続けました。
すると、帰るほんの数ヶ月前に、「その教授のしていることが公になり、教官は出て行くことになったの。すごいミラクルでしょ!」
と報告を受けた事がありました。
友人と喜びを分かち合ったのだけど、私の職業上、その教官は、今どこに・・・と正直少し思ったりもしました。(苦渋)

さあ、takaさん、takaさんの場合は、これからどうして行ったらいいでしょうね。
まず、私のお勧めのお話をしましょう。

この問題を解決して、takaさんのやりたい事も止めないで、
教官とも、学び受け取りながら、自分を発揮する関係性を作り直すことが必要ですね。
このためには、『拒絶しないでNOと言おう』ということを学ぶというのはいかがでしょう?
強い態度をとったらとったで後のことが心配。
だからといって、教官の言うままに受け入れたら、自分を傷つける事になりますね。
じゃあ、どうしたらいいのかしら?と、今書きたい論文さえも集中できないほどの問題。

takaさんは、マーティン ルーサー キング Jrのお話はご存知ですか?
今でも、日本の中学校3年生の教科書に、彼の行った事が出てきます。
中でも、バスを一年以上にわたって乗る事をボイコットした話は有名ですね。
ただ、このお話のリーダーは、ミス ベイカーさんという女性です。
黒人は座ってはいけないとされていたシートに座り、逮捕され、その事をきっかけとして、
黒人全員におけるバスのボイコットは始まったと聞いています。
非常に勇気がいったことでしょう。
でも、とうとうミス ベーカーさんは自分の信念を貫きました。
そして、その事がどれだけ同じ苦しみの中にいる人々の心を打った事でしょう。
さらに、もうだまっていられないという人々の心を一つにしてゆき、時間がかかったけれど、
バスに差別なく乗る権利を得ました。

takaさん、さあ立ち上がるときですよ!!と言ってるのではありません。
それは、非常にリスクを伴う事になりますね。

そこで、お勧めしたいのは、『拒絶するのではなくNOと言おう』という事なのです。

これを言う前に、必要なレッスンが一つあります。
それは、『自愛』を高めるということです。
『自愛』とは、自分を愛し、自分を認め、自分を大切にし、自分は価値ある存在として扱う心です。

どこかで、権威に対する対応として、「嫌な事をされてても我慢しないと欲しいモノは得られないのじゃないか?」
というような経験をし、これが成功の秘訣になっていると、それを回避する方法を知らずに来てしまいます。
これは、子ども時代には、ほとんどみんな経験するマインドです。

でも、もし『自愛』の意識を持って、NOを言う事ができれば、
相手も拒絶されたという痛みに入る事もないでしょう。
もっと効果的なのは、takaさんが自愛を持って自分を相手に与えたら、相手も自愛の心を受け取り、
自らの悪い態度を改める機会を得られていることに気付くかもしれない可能性があるということなのです。

日本人は、NOと言う事が苦手な言語文化の中に生きています。
NOと言う事自体が、拒絶されたと感じてしまいがちです。
でも、もし『自愛』の意識があれば、全く違う反応と関係性に進めると私は思います。

ところで『自愛』を持つには、どうしたらいいですか?
となりそうですが、良かったら、またご相談いただければと思います。
takaさんの場合は、という事でお受けしますので、無料電話カウンセリングなども試してみてくださいね。

それでは、この大きな問題が解決し、男女ともセクハラという間違った方向で関係性を作るのでなく、
お互いを高めあう関係を創造し合える関係になる、そんな未来を願って終わります。

takaさん、自分の内なる声に従ってくださいね。
応援しています!

この記事を書いたカウンセラー

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