自分を変えたい(2)~自己嫌悪を無くしても自分は変わらない!?~

自分を変えようとする時に、自己嫌悪の部分に目を向けて、その部分を無くそうとする形で自分を変えようとすることがあります。

自己嫌悪の部分を我慢や禁止といった形で自分から切り離したり、抑圧してその部分を隠すことで無くなったかのようにすることができますが、心から「変わった」と感じることができなくなってしまうことがあります。

●自己嫌悪を無くしても自分は変わらない!?

自分を変えようとする時に、自己嫌悪の部分に目を向けることになりますが、「この部分があるからいけないんだ」「こんな私じゃダメなんだ」と、その部分を責めたり否定したりしてしまいます。

そして、その部分を自分から切り離して、新しい要素を自分の外から調達してきて、新しい自分になろうとします。

このやり方で自分を変えようとすると、やればやるほどに、うまくいけばいくほどに苦しくなってきてしまいます。

例えば、「自分は走るのが遅くて100mを30秒でしか走れない」ということで悩んでいたとしますよね。

そこで、「この超高性能の人工の脚に付け替えることで、100mを5秒で走れるようになります」「本来は8000万円かかるのですが、今回は特別に無料でプレゼントしますよ」と言われたら、どうしても早く走りたい人にとっては大きなチャンスですよね。

これまでどんなに頑張っても30秒でしか走れなかったのが、いきなり5秒で走れるようになるわけですから、それは大きな良い変化ですよね。

では、続けてこのように言われたとしたら、どのように感じるでしょうか?

「その代わり、その超高性能人工脚の装着にあたり、自分の脚を切断していただくことになります」

とてつもなく速く走れる脚力を手に入れられる代わりに、自分自身の脚を切断するというのは、悩ましい選択ですよね。

それでもどうしてもその脚力が欲しければ、超高性能人工脚を選択するでしょう。

その結果、100mを5秒で走れるようになったら、しばらくは喜んで走り回ってその脚力を満喫するでしょうが、その喜びは長くは続かなかったりします。

速く走れるようになっても、素直に喜べなくなってしまうのです。

「超高性能人工脚のおかげでこのスピードで走れるんだ」
「超高性能人工脚がなければ、決してこのスピードでは走れないんだ…」

と、せっかく100mを5秒で走れる自分に変わることができても、それが自分の実力ではないことを感じたり、その分だけ、自分の真の実力を感じさせられたりしてしまって、素直に喜べなくなってしまうのです。

確かに自分は変わって早く走れるようになっているのですが、その分だけ「切断した100mを30秒でしか走れない自分の脚」を感じて、自分が本当に変わったとは感じられないのです。

ちょっとグロテスクな例えになってしまったかもしれませんが、心の中で行っている「自己嫌悪の部分を否定して切り離して、新しいものに変えて…」というのを肉体に置き換えてみると、このようなことを行っているのです。

このように、自分から切り離したり隠したりして、新しい要素を自分の外から調達してくる形で自分を変えることができたとしても、「自分が変わった」「良くなった」と感じることができなくなってしまいます。

自分を変えたいけどうまくいかないという時、やればやるほど苦しくて大変になっているという時、頑張って変えたのに変わったように思えなかったり、よくなったと感じられず心が軽くならないような時には、上記のようなやり方で自分を変えようとしていないかをチェックしてみるといいかもしれませんね。

>>>「自分を変えたい(3)~何をどう変えればいいの!?~」に続く

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