老夫婦みたいな関係はもう終わりにしよう(2)~仲のいい老夫婦化してしまう原因~

仲がいいことは良いことですが、表面上の安全主義・平和主義では本当の信頼関係は築けないまま。

そうするとひたひたと不安がやってくるものです。その原因って何なのでしょう?遠慮や我慢、犠牲というもの。または、妥協した結婚の結果・・・。様々な要因が考えられます。しかし、どんな状況でも必ず乗り越えていけるもの。そのために、まずは原因をきちんと抑えたいところですね。

●仲のいい老夫婦化してしまう原因

なぜ、そのような関係性になってしまうかというと、「尊重」という名の、安全主義、平和主義という要素がまずは挙げられます。

お互いに自立した関係では、“自分のことは自分でする”といった原則があり、相手のしていることを「大人だから」と、あまり干渉しないようにするんですね。(だから、私は“不干渉主義”なんて呼ぶこともあります)

干渉しすぎて嫌われるのが怖い場合もありますし、長い将来を考えれば、余計なことを言って相手の気分を害するのは面倒だし、避けたい、というのもあります。
自分さえ我慢すれば、と思うのかもしれません。
「結婚ってこんなもん」と犠牲してしまうのかもしれません。

でも、こういう関係が果たして「信頼」と呼べるものなのか、言うのは失礼だからと言う「遠慮」によるものなのか、言ってもしょうがないからという「諦め」によるものなのか、ちょっと判別付きにくいんですね。

むしろ、問題を水面下で育む温床になってしまいがちだと思うんです。

また、巷では「結婚相手には自分が好きな人より、相手が好きでいてくれる人の方がいい」なんて話もありますよね。
相手の顔色や気持ちを伺ってどきどき不安な気持ちを抱えるよりも、相手の愛情に甘えられる関係の方が、浮気される心配もないし、安全かつ安心だからと考えてしまうのかもしれません。

でも、妥協して選んでしまった、安心かつ安定的な夫婦関係では、退屈と言う名の魔の手が忍び寄ってきます。
相手が刺激的ではない分、こんどは自分がスパイシーな役割を担ってしまうようになるんです。

「やっぱりこんな結婚するんじゃなかった」と浮気心が芽生えてしまったり、不満が募ってパートナーに感情をぶつけてしまったり。
でも、それではせっかく望んだ安全かつ安心な結婚生活を破壊してしまうことになりますから、その気持ちはグッと抑えて我慢します。
そうして、表面上はいい夫・妻を演じることになるのです。

あえて一歩踏み込まない心の姿勢が、結婚数年で老夫婦化してしまう要因を作っているとはいえないでしょうか。

さらに言えば、その安定化思考は子ども時代の親子関係にもたぶんに影響を受けます。

親がケンカばかりしていた家庭で育った子どもほど、自分がそんな思いをするのも、子どもにあんな辛い思いをさせるのも嫌だからと、我慢したり、犠牲したりして、いい関係を作ろうと努力する場合があります。
この場合の「いい関係」とは「争いや揉め事のない、平和な関係」なんですよね。

※あるいは、結婚にあまり大きな期待を持たない場合もあります。

また、両親が共働きなどで夫婦間の距離が空いてしまっていた場合にも、夫婦は独立した関係であるという意識が根付いてしまい、お互いに干渉しあわないのが“常識”になって“不干渉主義”になることもあります。
これは家がとても裕福でお金に困らない家庭でも起こりえますね。
「お互い自由でいいじゃないか」という誤った自由主義に陥ってしまうのです。

※あるいは、寂しさが強く出ると自分の創る家庭はそうなりたくないと、べったりした癒着した夫婦になることもあります。

さて、この章を呼んで「どうしよう・・・」と焦られた方、その必要はありません。
どんな要因で結婚したにせよ、今、どんな状態であろうとも、これが今の二人(自分)にとってはベストな状態と考えてみるのです。

かならず、良い方向に向かえますし、その方法も見つけていくことができます。

結婚に妥協したから、その生活にも妥協してしまう・・・のではなく、今こそ、自分を変えるとき、自分達の関係を変えるとき、そう思って前向きになってください。
私達も精一杯応援しますから、必要ならば、協力要請を出してくださいね!

>>>『老夫婦みたいな関係はもう終わりにしよう(3)~仲のいい老夫婦の実態とは?~』へ続く

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