恐れを越えて流れに乗る~恐れをワクワクに変える~

思い切って次のステージに行く前に、私たちは躊躇してタイミングを逃してしまうことがあります。

その先にあるものが魅力的なほど、私たちは恐れが強くなるようです。
期待して違ったら・・・そんな気持ちが出てくるからなんですね。
私たちの究極の恐れは、実はしあわせになることなんです。
そして、恐れとは、不確かな未来への疑いです。
本当に大丈夫なのという疑いは、実は過去の経験に基づく自分への疑いでもあり、自分の中にある幻想でもあります。

幻想であれば、真実は何なのでしょうか。
恐れを越えて流れに乗るために、この恐れをどう扱えばいいのでしょうか。
実は、恐れとワクワクは、エネルギーレベルでは同じです。
つまり、恐れは、ワクワクのエネルギーに変えていくことができるのです。
そのためには、自分の中にある幻想の枠を破る必要があります。
自分の外側にある真実に目を向けたとき、私たちは流れに乗ることができるのです。

◎リクエストを頂きました◎
===================================
恐れが強すぎて、思い切ったことができません。
やりたいことがあるならそれをすればいいのに、準備をしてからでないと前へ進めない、慎重すぎるときにはどうしたら思い切ったことができるでしょうか?
流れにのってやってみようと思ったけど、結局あとから不安がきてやめてしまったことがあります。
どうしたらいいのでしょうか。
(一部、頂いた内容を編集させていただきました)
===================================

私たちは変化をするとき、「恐れ」を感じます。
恐れは、ある意味では事故を未然に防ぐなど、生きていくうえで欠かせないものでもあります。
この恐れをどう扱っていったらいいのでしょうか。

●変化への恐れ

私たちは、この変化への恐れについてこんな喩えを使うことがあります。
「よく知らない天国より、勝手知ったる地獄」

私たちはしあわせになりたいと願いますが、いざ天国ゆきのチケットを受け取ると、
「本当に~?」
「これはニセのチケットじゃないの~?」
と疑ってしまいます。

その先にあるものが魅力的なほど、私たちは恐れが強くなるようです。
私たちは、究極的にはしあわせになることが怖いのです。
期待が大きいほど、もし違ったら・・・怖いですよね。
それならば、少なくとも今までなんとかやってこられた地獄のほうが安心するんですね。

でも、ここで気づいて欲しいのは、ここに居続けるつもりであれぱ「恐れ」は出てこないのです。
恐れから流れに乗れないと気づいているならば、それはあなたが「前に進もう」と意識し始めたことを教えてくれています。

●恐れの正体

私たちは過去の経験から未来を見ます。
過去の恋愛で傷ついたとしたら、次の恋愛を考えたとき、また傷ついちゃうんじゃないか、という気持ちが少なからず出てきますね。
もう傷つきたくない、そのために防衛したい気持ちが恐れになります。

でも、過去の彼と、これから出会う(もしくは今の)彼は違うひとなんですよね。
また、恐れはまだ来ていない「未来」に対して感じているもので、たった「今」は何も起こっていないのです。
つまり、恐れは自分の心の中にある幻想に過ぎないんです。

幻想ならば見なければいい、と私たちは考えがちですが、私たちの心は意識して見ないようにすると逆に強化してしまいます。
恐れが出てきたときには、正体を見るつもりで恐れの中に飛び込むと、真実が見えてくるのです。
得体の知れない巨大な影に追いかけられているとき、立ち止まってよくよく正体を見ると、小さな犬だった、ということが分かったりします。

●恐れを変化させる

恐れとワクワクは、実はエネルギーレベルでは同じです。
ゲームでバージョンアップして次のステージに行くときなども、新しい経験値を積み上げること、つまり未知への恐れがワクワクになっています。
スポーツも、互角であるほど楽しく、どうなるか分からない恐れがいい意味での緊張感を生み出します。
いい意味での緊張感がワクワクです。

先ほどの犬の喩えでも、恐れの正体が分かると、なんだ、こんなものだったんだと、怖がっていた自分に笑ってしまったり、こんなかわいい子犬なら遊べるわと楽しんだりできます。

こんな風に、恐れは、ワクワクや楽しさに変えることができるのです。
このとき、流れに乗っていくことができます。
では、どうしたら恐れをワクワクに変えられるのでしょうか。

恐れは「自分の中」にある幻想です。
ですから、自分の外側にある何かに信頼をもって目を向けることができたとき、恐れを越えることができるのです。
そのためには、誰かとの「つながり」を持ちながら、そのことを楽しもうという意欲を持つことが大切なんです。

流れにに乗るということは、あなた以外の誰かや何ものかに身をゆだねるということでもあります。
そこに安心感やつながりを感じられないとき、流れに身を任せることができません。

小さな子供が公園で遊んでいるとき、時々ママがいるかどうか確認しますよね。
ママがちゃんといるな、と思うとき、子供は遊び続けたり、新しい遊具に行くことができます。
ママがいないと、さあ大変、それどころではありませんよね。

そして、つながりを感じる誰かは、たった一人でいいのです。
誰かとのつながり、見守ってくれている存在やしあわせを願ってくれる存在を感じたとき、私たちは勇気を持って前に進むことが出来ます。
それは状況がどうということではなく、「あなたが感じられるかどうか」です。

そのためには、こんなことを心がけてみるといいでしょう。
・あなたがしあわせになったら喜んでくれる誰かを思い浮かべる。
・あなたが一緒にいて安心できる誰かと過ごしてみる。
・自分の夢を誰かにシェアする。
・親密感を持って、誰かに歩み寄ってみる。

恐れの下にあるもの、それはかつて自分が欲しかったのに得られなかったものなんですよね。
彼との関係で傷ついたなら、本当はしあわせなパートナーシップが欲しかったんはずなんです。
それを得るのが、自分のしあわせのためだけだと、私たちは遠慮して制限したり、恐れに負けてしまいます。
でも、大切な誰かのためになら、枠を超えることができるのです。
自分のしあわせが、自分だけのしあわせではないと信じられる誰かの存在を感じたとき、私たちは制限なくしあわせを受け取ることができるのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。