子どもたちが心配!~自立サイドから見た依存~

言われたことしかできない指示待ち体質。

時として、子どもや若者世代のことを私たちはそんな風に評することがあります。

そして「どうしてもっと自主的に動けないの?」と心配になったり、イライラしたりすることもあるでしょう。

そんなとき、私たちはつい、「もっと自分で考えなさい!」と彼らを変えようとしてしまいます。けれどそのアプローチは果たして効果的だといえるのでしょうか?

「自主性のない子ども達が心配」 そんな時に心掛けたいアプローチ、コミュニケーションと取り方について、自立と依存の関係性を交えながら、カウンセラー目線でのアドバイスをします。

◎リクエストを頂きました◎
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小学校で教員をしています。
最近、言われないと動けない子が増えているように思います。「指示待ち傾向がある」などと教員間では話しているのですが、次に何をするのかが先生のいう順番通りでないと安心できない、どうすればよいか自分で考えて工夫することができない、などの、一見大人しくて扱いやすいけれど、生きる力が弱い?ようにも感じられる子どもたちです。

学校では問題視されることが少ないので、いい子としてそのままになってしまうことが多いです。

将来的にいろいろな場面に遭遇した時に自分で考えてうまくやっていけるのか心配になってしまいます。

彼らはこのままだとやはり何か生きづらいことになりますか。彼らはどうしてそうなってしまったのでしょうか。それを改善するためには本人や保護者にどのような働きかけをしたらよいのでしょうか。

教えてください。
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◆言われた事しかできない若者たち

指示待ち傾向で言われたことしかできない。そんな風に新入社員を評したコメントを時々見かけます。

「仕事は自分でみつけるもんだ」と教えられた世代からみると、確かに、今の若い世代というのは、やや積極性に欠けるようにも思えます。「失敗してもいいからチャレンジしてみたら?」そんな風に思うこともあるかもしれません。

「最近の若いモンはなってない」そんな表現が古代エジプトの石版にも刻まれているとかいないとか。いつの時代も年長者は、若い世代に対して批判的な目を向ける傾向にあるようです。

自分で考えられない子ども達。

それもまた、私たち大人からみた、期待と心配故の批判的な見方なのかもしれませんが、そんな風に子ども達が見えるのは、自立サイドと依存サイド、対人関係の相反する両極にそれぞれが立っているからなのかもしれません。

◆自立と依存の関係

自立と依存の関係は「親子」「夫婦」「上司と部下」などあらゆる関係性においてしばしば現れてくるもので、「ひとりでは何もできない」という依存サイドと、「何でもひとりでやっていく」という自立サイドとが、天秤の左右でバランスを保っているような関係性といえます。

依存サイドから自立サイドを見ると、それは「見上げるような関係性」で、カップルなら女性側がこちらに立つ場合が多いのですが、「依存」と「自立」それぞれのサイドは固定的ではなく、環境により立位置が入れ替わることもしばしばあります。

また、家庭では自立的な男性が職場では上司に対して依存的であったりと、相対する相手によっても「依存」と「自立」の立位置は変わります。

依存サイドでは、他者から認められ、受け容れられることが重要であり、自立サイドでは他者からの評価よりも、自分自身の達成感や満足感の方を優先したいという気持ちが表れてきます。親と子どもの関係では、殆んどの場合、子どもが「依存」、親が「自立」の立ち位置をとりますから、依存サイドにある子どもは「親から認められる」ことを求め、自立サイドにある親は、「思うように子どもを扱いたい」という欲求を持ちやすくなります。

「親から認められたい子ども」と、「意のままに子どもを扱いたい親」。

そして、子どもは親や大人からもっとも認められ、受け容れられる確実な方法として、大人が望むように振舞うということを学びます。期待外れに終ってがっかりされるよりも、また、失敗して怒られるよりも、言われた通りに行動していた方が「安全」と考えるわけです。

◆ 自主性を育むコミュニケーション

自立サイドから見た依存サイドというのは、どこか頼りなく、時に弱々しくさえ思えるものです。

「大丈夫なの?」と心配になったり、「もっとしっかりしなきゃ駄目でしょ」とイライラしてしまうこともあるかもしれません。

そんな時私たちは、言われないと動けない子ども達の方に意識が向かいやすいものですが、「考えて行動しなさい!」と注意する前に、まずは私たち自身が「自分で考える」という機会を彼らに与えられているか?を見直す必要があります。

ママのおっぱいを飲んでいた赤ちゃんはやがて、哺乳瓶を持ってミルクを飲むようになり、「あーんして」と離乳食を食べさせてもらっていた幼児もいずれ、スプーンを奪ってご飯を食べるようになります。

「自分でやる」というプログラムが、子ども達には本能的に備わっているのです。けれど時に私たちは、「○○しなさい」と子ども達に指し示すことで、彼らの中の「自分でやる」という本能が目覚める機会を奪ってはいないでしょうか?

自立サイドからみると、頼りない存在の子ども達。

けれど、もしかすると彼らは、「自分の考え」よりも、私たち大人の考えを優先しているだけなのかもしれません。

では、子ども達の自主性を育み、自分で考えて行動できるように導くにはどのようなアプローチとコミュニケーションが効果的なのでしょう。

それは、「理解と受容の『褒める』コミュニケーション」です。

「何でできないの?」という目で見る代わりに、「どうしてそうするのだろう?」と理解の目でみつめてみましょう。

どうして彼らは自分の考えよりも「大人の考え」を優先しているのでしょう?

そこには、「期待に応えよう」とするひたむきさや、「がっかりさせたくない」「怒られたくない」という恐れ、そして「認めて欲しい」という願望が潜んでいるのかもしれません。

もし今あなたが、子ども達の自主性を育みたいと望まれるなら、まずは彼らに充分な理解を注いであげること、そして彼らの努力を充分に「褒めて」あげること。それは、子ども達の中で眠っている小さな自信の種に水をあげるような小さなコミュニケーションかもしれません。けれどそれは、やがて芽を吹き自信の苗となって、「自分で考える」自主性の葉を大きく広げる樹に育てていくのです。

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