セックスレスの心理5(1)~都市生活者とセックスレスの問題~

カウンセリングの中でとてもメジャーなテーマである「セックスレス」。様々なケースが存在しますが、今回は「都市生活」や「情報化社会」という角度から、このテーマを見ていきたいと思います。

都市で生活をしていくためには人と人との間の暗黙の“ルール”が必要となっていきますし、また、高度に情報化された社会においては一つの問題についても様々なアプローチが提示され、選べる自由の一方で、迷いや自信のなさを作り出しています。

特に、こうした社会においては「理性的、思考的」でることが奨励だれ、「感情、感覚」は抑圧されていく傾向にあります。頭で考えることが多く、心で感じることが相対的に少なくなっているのです。
そうすると感情のやり取りであるコミュニケーション、男女関係、そして、セックスにも大きな影響を与えていきます。

ルールに縛られ、理性的になる一方で感情が抑圧され、尊重という名の遠慮が生まれます。また、都市生活に多い核家族の傾向から女性の女性性の抑圧、男性の男性性の抑圧が生まれ、女であること、男であることに潜在的な嫌悪を持つようになるのです。

それが関係性に発展すると、強くなった女性が男性を完全に支配するような状態になりますし、また、結婚後の出産・子育てに関するプロセスにおいてもまたセックスレスの問題が潜んでいるのです。
そうした問題を解析し、どう向き合っていけばいいのかをご紹介していく4回シリーズです。

私のカウンセリングで大きなシェアを占めるテーマの一つが「セックスレス」の問題です。このテーマ単独でのご相談も少なくありませんが、たとえば「離婚問題」や「不妊」の原因として挙がってくる場合も多いんですね。
私はシンプルに「セックスとけんかがあるカップルは別れ難い」と捉えていまして、パートナーシップにおいてはセックスが重要な位置を占めると考えています。

セックスは単に性欲の解放ではありません。お互いを結び付け、愛を与え合うコミュニケーションであると同時に、心を解放し、つながることで深いレベルでのヒーリングが起こります。また、パートナーの力を借りながら自分自身のエネルギー、パワーを育てることができるので、イキイキとした生活を送り、前向きな人生を歩むための重要な動力源の一つとも言えるのです。もちろん、男性として、女性としての自信にも繋がるものです。

だから、「セックスがない関係」というのは、性的な意味のみならず、お互いの「つながり」にも影響してしまうのです。
セックスがないというのは、お互いの間に見えない溝や壁があるようなもの。
だから、カウンセリングでも「無いのはセックスだけでしょうか?つながりや信頼、安心感など、パートナーとの間でとても大切な感情が切れてしまっているところはありませんか?」という質問を必ずと言っていいほど投げかけています。

さて、そんな事例を多く見ていくと様々な傾向、原因が見えてきます。今までも数多くこのテーマを扱ってきましたが、今回もまた別の角度からこの問題を見ていきたいと思います。

都市生活者の抱える問題

人口の多い都市に生活をするということは必然、他人との接点が増えるということです。そして、その都市生活を維持していくためには、ある程度の「ルール」が必要になってくるのも当然ですよね。
たとえば、他人のプライバシーに深入りしないとか、誰かに頼ることなく自立して物事を処理する能力が必要だとか、他人に迷惑をかける行為はタブーで、相手の様子、その場の空気を読みながら生活をしていくこととか、様々なルールが求められるのです。

そうすると、相手との距離感や関係性について、慎重かつ丁寧に見ていかないと人間関係がうまく築けないことになるのです。
だから、この時点で「人とうまく付き合えない」という問題が数多く現れるわけですね。

また、現代は高度情報化社会ですから、何か一つの物事に対してもあらゆる情報が溢れています。

今回のテーマの「セックスレス」についても、ありとあらゆる考え方がありますよね。

その情報の中で、私たちはどれがいいのかを選択していかなければならないのです。もちろん、選択の自由が与えられていることは幸せなことなのですが、情報が多すぎて選べなかったり、慎重を期すがあまりストレスを抱え込んでしまったり、ということも少なくないでしょう。

こうした環境で生活していくと、私たちの意識はどんどん理性的・思考的に偏り、感情的な面はどんどん抑圧されていきます。
つまり、「何を感じているか?どう思うか?」よりも「何が正しいか?どうすべきか?」という方向に意識を向けやすくなっているんです。

人間だから朝からイライラしてしまう日もあります。でも、その気持ちを表に出すことなく、駅のホームでは列にきちんと並ばなければなりません。
寂しく人恋しい夜に、友達や誰かに遠慮なく電話をかけられる人ってどれくらいいるでしょう?今大丈夫かな?でも、仕事が忙しいって言ってたから疲れてるんじゃないか?などと考えませんか?

当然、その気遣いはパートナーシップにも影響します。
カウンセリングを通じて感じるのは、そんな「遠慮し合っているカップル」の存在です。
良く言えば相手を尊重しています。相手の気持ちや考え方、状況を考慮する、やさしい彼であり、思いやりのある彼女です。

しかし、その本音は?

「寂しくないですか?」ってよくお聞きします。
でも、仮にさびしくても、我慢してしまうんですよね。それは当たり前のことだと思ってしまいます。

寂しさを感じる自分が悪い、不安を感じる自分がまだ子供なんだと言い聞かせたこと、ありませんか?

そして、「尊重」や「配慮」などの名目で物分りのいい彼氏、彼女になって、自分の感情を抑圧していきます。

そうすることが「正しい」ことで、「あるべき姿」だと思ってしまうのです。

お互いに仕事や趣味を持って忙しくしている場合などは、実はこの傾向は顕著になります。

「お互い好きなことをやり、お互いにそれを認め合い、尊重しあっている。そんな私たちは最高のカップルだ」と思っていることもあるのです。

言いたいことを言い、ケンカして、激しく罵り合い、それで自己嫌悪に陥って、屈辱的だけど過ちを認めて謝罪して、そして、相手も謝ってくれて仲直りをし、愛情を確かめ合うようなセックスをして、「やっぱりこいつがいい」という時間を過ごす方が、本当は人間的だと思うのです。

しかし、不可侵条約を結んでしまっているかのように、尊重という名目で遠慮をし、やさしさという名目で我慢をしいているとしたら、知らないうちに二人の間に溝が掘られていきます。壁が作られていきます。見えない溝、壁が、着々と。

その心理的な不可侵条約は当然、肉体にも影響を与えます。
すなわち、そこでセックスレスの状態が生まれます。相手に入り込まない関係です。

こうした都会的な生活のもとでは結果的に理性的・思考的になることが増え(要するに「考えることが多すぎる」状態となり)、感情が抑圧され、女性性が否定されていきます。

さて、次回からはこの感情の抑圧と女性性の否定について詳しく見ていくことにしましょう。

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