母からのコントロールがしんどい~母親の人生を承認してみよう~

母親の期待や願いが強くて、それに従わないと罪悪感を感じるために、まるで母親に自分の人生をコントロールされるようで辛い。このようなコントロールをしてしまう、されてしまう心理のルーツをたどると、お母さんと赤ちゃんがまだ二人で一つだった時代(共生期)にさかのぼります。

母子が同じことを想い、感じる一体感は、やがて子供の自我の成長とともになくなりますが、この分離の寂しさや悲しみを耐えがたいと感じると無理にでも「同じである」ことで一体感を得ようと執着してしまいます。

しかし、本当は分離は誤解で、心の奥底では常に深い愛と尊重と慈しみという絆があることを感じられると、現実の生活における生き方や在り方の違いをお互いに受け容れられるようになります。そんなつながりを感じるために、今一度母親の人生を承認するところからはじめてみませんか。

◎リクエストを頂きました◎
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「私の母は父や私に、「こういう風であって欲しい」「こう行動してほしい」「私と同じように感じてほしい」など、自分の思うように相手をコントロールしようとします。どうしてこのようになってしまうのでしょうか。」この方以外にも、母親の期待や願いが強くて、それに従わないと罪悪感を感じるので、まるで母親に自分の人生をコントロールされているようで辛いというご相談をよくいただきます。こうしたコントロールのルーツや背景にあるものに目を向けながら、コントロールから自分を解放する道を探ります。
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コントロールの下には「分離」の痛みがある

リクエストをありがとうございます。

親の期待を「重い」と感じる人は少なくないでしょう。「期待」のやっかいなところは、大好きな人に「期待」されると何としてもそれを実現させたいと思い、その想いが「頑張ろう」という意欲にもなれば、プレッシャーという重荷にもなりかねない点です。プレッシャーをしんどいと感じる時は「もう期待しないでほしい」と思いますが、まったく「期待」されなければ、それはそれで寂しい気持ちにもなります。

「こういう人であってほしい」という親の「期待」があまりに強いと、それを受け取る子供の側はその期待に応えられないと罪悪感をおぼえるので、「それ以外の選択肢がない」「コントロールされている」と感じます。「そんなのムリ!」「私は違うようにしたいの」「そうは考えないけれど」と笑いとばしても良さそうなのに、なぜ、そうも親の「期待」に応えなければならないと感じてしまうのでしょうか。なぜ、コントロール「されて」しまうのでしょう。

私たちは誰しも、母親と一体だった時代があります。母親の子宮の中にいた胎児の頃はもちろん、人間は一人では食べられない、歩けない未熟な存在として生まれてきますから、生後もしばらくは母親(もしくはその役割を担う人)と子供は二人で一つの存在と言っていいほどにつながっています。そうでなければ赤ちゃんは生き延びられません。

その一体感の中で、母親(養育者)は赤ちゃんの「オギャー」という泣き声が、お腹が空いたのか、おしめを変えてほしいのか、暑いのか寒いのか、を察する力を身につけていきます。文字通り、「同じように感じる」ことを覚えるのです。

子供が成長するとともに、自我が発達し、自分らしさを生きるようになるのですが、これは母子が一体となった状態から母と子に「分離」するプロセスでもあります。そこには成長するという喜びもありますが、「分離する」寂しさや悲しみもあります。

この寂しさや悲しみが耐えがたいと感じるほど、母子がいっしょに生きていた時代の一体感にしがみつきたくなり、つい「いっしょよね」と周りの親密な人に一体であることを求めたくなりますし、求められた方も、心の深いところでは同じ寂しさや悲しみを共有していると、それを断つことに罪悪感をおぼえるのでそれに従わざるをえないように感じます。

「コントロール」の下には、「分離」の痛みがあって、コントロールする側もされる側もその痛みを耐えがたいものだと感じているようです。でも、この「分離」の痛みは本当は誤解で、現実の世界では個性を生きるために違う道を歩むことになったとしても、心の深いところでお互いの存在を尊重し慈しみ合う想いがなくなるわけではありません。そんな真実のつながりに気づくことができると、コントロールしたくなってしまう(されてしまう)怖れを越えていけそうです。

母親の人生を承認してみる

よくオリンピック競技で、金メダルを取った当の選手よりも観客席にいたお母さんの方が緊張していたり喜びで泣き崩れていたりします。私たちは自分でやりたいけれど成し遂げられない想いを誰かに託すことで想いを成就しようとします。同郷の選手や似た生い立ちのタレントさんに肩入れしたくなる気持ちです。親にしてみれば子供は分身なので、子供の成功は即自分の成功ですし、子供の失敗は自分のこと以上に痛いです。

子供の方も親のその想いを感じますので、親の幸不幸を担ってしまうプレッシャーを負担に感じることもあるでしょう。親のことが好きで、親の幸せをかなえたいと思っているからこそ、自分が親の期待に応えられていないと情けなく感じると、何か大きな成功を手にしなければならないと余計に自分を追い込んでしまう方もおられます。そんな時は、親子ともに自分を肯定できずに苦しんでいることが多いです。

ここで本当に欲しいのは、「そのままのあなたでいいよ」という自己肯定感ではないでしょうか。

「お母さん、私をコントロールしようとしないで!」と思うとき、本当は、「お母さん、このままの私でいいと言って!」と言いたいのかもしれませんね。

でも、実はそんなあなた以上にお母さんが「このままの自分でいい」と思えなくて、自分と同じでいてほしいと願ったり、自分の分身である子供に大きな夢を託したくなっているのかもしれません。

親の願いと自分の夢が違うことで、親の期待がコントロールとして負担に感じられるとき、そっと親の人生に想いをめぐらしてみてください。一人の人間として親が苦しみながらも生き抜いてきたことの素晴らしさや美しさを見てみてください。「よくやったなぁ」、「見事だな」。親の人生の生き証人として、慈しみをもってその人生を承認できたとき、きっとあなた自身についても、「私はこのままの私でいい」と素直に思えるでしょう。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

みずがき ひろみ

感情や感覚といった女性性をフルに使い、心のブロックを外すカウンセリングが得意。「目からウロコが何枚も落ちる」と見方が変わることに定評がある。 深層心理に眠る「願い」を掘り起こす「癒し」を通して、人生の豊かさを受け取りたい人の、恋愛、ビジネスでの自己実現をパワフルにサポートしている。