相手の要望に応えて助けてあげたいと思う時の留意点

相手の要望に応えて助けてあげたい、という気持ちがあっても、相手は「自分でがんばりたい」という気持ちと「一人でがんばるのはしんどい」という一見矛盾する気持ちを同時に抱えている場合もあります。

その辺りの相反する気持ちをどうとらえてあげるかで、こちらの対応は変わってきます。どうしたら相手の気持ちに寄り添い、よりよい助け方ができるのでしょうか。
また、相手を助けてあげたい、という気持ちのために自分自身が落ち着かなくなってしまうとしたら、そこには「相手を自分の思うようにコントロールしたい」という欲求が隠れていることもあります。

そういう場合は、どうしてそのような欲求を持ってしまうのか、など、自分の気持ちと向かい合うことでいろいろなことに気付くことができ、自分の心の癒しにつなげることもできます。
全体としては、相手の要望に応えて助けてあげたい時の留意点として読んでいただければと思います。

◎リクエストを頂きました◎
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義母の矛盾している要望にどう応えてあげたらいいのか困っています。義父が1人で暮らしていて、義母がパートで自立した生活をしながらそこへ通う日々です。2人は長らく別居中です。

その事で「経済的な援助はいらない、自分が元気なうちは面倒見る」と言うのですが、「生活費がかかる、通うのには身体がもたない」などとも言います。週1回1時間以上、毎回同じような話を電話で聞き役で話しますが本心を先読みしてあげたいのに、援助や提案はとても嫌がります。

ただの愚痴なのか、不安からくる変化への拒否反応なのか?矛盾点を伝えると、今後の話をしにくい空気が相手に伝わる気もして言ってません。どういう意味として受け止めたり捉えると良いでしょうか?
(一部編集させていただいております。)
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リクエストをいただきありがとうございます。

相手の要望に応えてあげたくても、二つの矛盾した要望がある場合、どうしてあげたらいいのかわからなくなりますね。ご相談の方のように年をとってきた親との関わりの中では多いケースかもしれません。そういう場合はどうしたらいいのでしょうか?

◇どちらの気持ちも本当の気持ち

「経済的な援助はいらない、自分が元気なうちは面倒見る」
「生活費がかかる、通うのには身体がもたない」

この2つの言葉は、一見矛盾していて、どちらが本当の気持ちだろう?と思ってしまうのも無理はありません。でも、実は人間はいろいろな気持ちを持っているのが当たり前だとも言えるのです。「援助なしでがんばりたい」という気持ちと、「でもいろいろとしんどい」という気持ちを両方持っていてもおかしくないわけです。

例えば、自分がマラソン大会に出たとします。長く走るにつれて、息が上がり、足も重くなってしんどくなってきます。そうすると、「最後までがんばって走りたい」という気持ちと、「もうこの辺りで走るのをやめたい」という気持ちを同時に持つ場合もありますよね。そんな時、どちらの気持ちも本当なわけです。それと同じような感じです。

それを理解してあげると、「ああ、両方の気持ちがあるんだな」という受け止め方ができ、「どっちの気持ちが本心???」と頭を悩ます必要がなくなります。

◇話をきいてもらえるだけで大きな助けになる

どちらの気持ちも本心だとしても、では、どうしてあげればいいのでしょうか?

このお義母さんにとっては、毎週話をきいてもらっていることが大きな助けになっているかと思います。愚痴も含め、いろいろな自分の気持ちを聞いてもらって受け止めてもらえるということは、とても大きな慰めになるものです。

ですから、週に一回一時間も話をきいてあげているということで、十分助けてあげているとも言えます。これ以上の助けは、様子を見ていて「これは限界を超えている、ほっておくわけにはいかない」という時が来るまで控えるというのも一つのやり方です。今の時点ではお義母さんとしては、「具体的に助けてもらうより毎週話をきいてもらう方がいい」のかもしれません。

◇自分の気持ちにも目を向けてみる

一方で、「相手は何を望んでいるのだろう?」とすごく気になってしまう自分の気持ちにも目を向けてみると、意外なことに気付くことがあります。

ご相談の方がおっしゃるように、お義母さんが援助や提案をとても嫌がるのは、「ラクになるとしても生活に変化があるのは不安で怖い」と思っている可能性は確かにあります。そうだとしても、それはお母さんの気持ちなので、それを先読みしてどうにかしてあげよう、と思うのは、たとえ善意だとしても立ち入り過ぎになり、お義母さんに嫌な気持ちを味あわせてしまうかもしれません。

相手の気持ちをそこまで読もうとすることは、ある意味「コントロール」になる危険性をはらんでいます。「コントロール」とは、相手や状況を自分の思い通りにしようとすること、です。これは一見相手のためを思っているように見えても、実は「自分が心配するのが苦しいから助けたい」とか、「自分が役に立つ人間だということを実感したいから何かしたい」など、自分でも気付かないながら、自分の都合でものを考えてしまっている時によく起こります。

人間誰でも、「コントロールされる」というのはどんな形であれ気持ちのいいものではありません。また、コントロールする側も、自分が本当の真心から行動しているわけではないことを無意識ではわかっていますから、結局あまりいい気分にはなれません。そのため、「コントロール」は双方にとっていい結果を生まないことが多いのです。

ご相談の方の気持ちに「コントロール」があるのかどうかはわかりませんが、「相手のことを助けてあげないといけない」と感じて気持ちが落ち着かなくなるような場合は、「コントロール」に陥っている場合が多々ありますので、似たようなケースで悩んでいらっしゃる場合はそういったことにも目を向けてみていただければと思います。「コントロール」の背後には、多くの場合「心の傷」があるものです。「心の傷」を癒すことでコントロールを自然にやめていくことができます。

◇最後に

相手の要望に応えてあげて相手をラクにしてあげたい、助けてあげたい、というのは、基本的には相手を気遣う優しい気持ちから湧き上がる思いです。その上で、その人が自分でがんばりたい気持ちも、しんどいな、と思う気持ちも理解してあげると、相手としては「わかってもらえる」という安心感が持て、お互いの間に信頼関係が築けます。そして、実際に具体的な助けが必要になった時、よりよい形でコミュニケーションをとれることにもつながりますので、大切にしたいポイントです。

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