目標を大切にすることは自分を大切にすることーオリンピックに寄せてー

こんにちは。
2月もそろそろ終わりますね。
今年はうるう年でロンドンオリンピックが開催されます。
今から楽しみにされている方も大勢いらっしゃるのではと思います。
オリンピック開催まであと5ヶ月ほど。
出場する選手達は、大きな目標であるオリンピックに照準を合わせて、日々練習に励んでいますね。
大きな目標に向けて、自分をベストな状態に持っていくことは、それ自体が至難のワザなのかもしれません。
そのようにして日々の目標をクリアしてきたオリンピック選手達が、4年に一度、一同に会して行われるオリンピックだからこそ、観ている我々に格別の感動を与えてくれるのではと思っています。
話は変わりますが、私はと言えば、学生時代と社会人になってからもしばらくの間、趣味で楽器を吹いていました。
クラリネットという楽器です。
その頃は、演奏会の本番に向けて、日々、練習に励んでいました。
本番が近づくにつれて、他のメンバー達の緊張度合いも上がってきたり、指揮者の指導にも熱が入ってきたりして、本番直前ともなると結構ぴりぴりした雰囲気だったのを覚えています。
そのようにして、みんなで思いを込めて迎えた演奏会本番。
うまくいく所もあれば、練習ほどはうまくいかないところもありました。
でも、演奏会が終わればメンバー全員でお互いの苦労をねぎらい合い、打上げで一つになって達成感を共有し合う。
なんだか、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワーク後に行われる打ち上げに似たところもあって、今でも懐かしく思い出します。
子育てが本格的になってからは楽器からも遠ざかってしまいましたが、演奏会を通して味わっていた緊張感や一体感は、何ものにも代えがたい私の人生の宝物だと思っています。
さて、またまた話は変わります。
年初に今年の目標を立てられた方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
そろそろ1年の六分の一が経過しようとしています。
進み具合の方はいかがでしょうか。
もし進み具合が今ひとつであれば、達成可能なレベルの目標に思い切って変更されてみるのもよいかもしれません。
当初計画した目標を達成したいと思う気持ちが強ければ強いほど、目標を変更するのにも大きな勇気が必要となります。
真面目でがんばり屋な方ほど、最後までがんばってみたいという気持ちを強くされるのではないかと思います。
目標達成に向けてがんばること自体は悪いことではありませんが、変更可能な目標であれば、「目標を変更する」という選択肢も持っておかれたらよいのではと思います。
カウンセリングで申し上げることもあるのですが、「選択肢」を持っておいた方が、気を楽にして、余裕を持って生きられることにつながるんです。
「もう、これしかない!!」と思うと、視野が自然と狭まり、心がアップアップになりがちです。
そうではなくて、「こうすることもあり」とか、「後から変更もOK」と思えれば、その分、心に余裕が生まれますね。
余裕があると、他にもっとよい方法を考えついたり、自分の状態を冷静に分析して、現実的な代替策を考えられる余地も広がるというものです。
私にも経験があるのですが、状況が変わるなどして達成はほぼ無理とわかっている目標にいつまでもこだわり、挙げ句に目標を達成できないことで自分を無意識のうちに責めていた時期もありました。
でも、ことさら悪いことをしている訳でもありませんから、わざわざ自分を責めるようなことをする必要はありませんよね。
当初の計画の不備や無理な点を分析して、修正すれば済む場合がほとんどだと思います。
冷静に自分の状況を分析して、達成可能な目標に変更することは、後になってから、できなかった自分を責めるリスクが低くなりますから、「自分自身を大切にすること」につながります。
また、達成可能な目標を設定し直す練習にもなります。
人生にハプニングはつきもの。
怖れず慌てず、状況に柔軟に対応できるようになることは、「人生をうまく渡っていく上で必要なスキル」といえます。
そして、変更したとはいえ、自分で立てた目標を達成することができれば、そのことを通して自分自身が「自信」を持つことができるようになります。
静かに自分の心に気を向けて、「自分自身を大切にする」ことを考えながら、目標を達成した時の「自信」あふれる自分をイメージしてみることで、目標の修正がやりやすくなったり、もっと別の目標が考えつくかもしれませんね。
もう春はそこまでやってきています。
皆さんにとって素晴らしい春の芽吹きが訪れますように。
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退会しました。

2件のコメント

  1. 日曜日はありがとうございました。
    いっぱいの不満を一方的に話し続けてしまいました。
    けれど、中山さんの穏やかに、落ち着いて私の話す言葉に聞き入ってくださっている
    その空気にとても心が落ち着きました。
    最近の私は随分緩んだし、自分を認めることができるようになった。とはいっても
    どうしてもエネルギーが急に枯渇してしまったかのようになってしまうときもあります。
    鬱という病気で同情されたいわけではないんです。
    不幸とも思っていません。私だけがなぜ?とも思いません。
    ただ・・・
    なんていうか、なりたくてなったわけではないし
    もっと良くなりたいわけです。
    そう、だから人からはどんなにくだらない問題・苦悩でもその人にはデリケートな問題・重要なことなんですよね。
    それを踏みにじられたように感じるととても悲しいってことです。
    受け止めてもらっているという感覚がこんなにも強い安心感を生むんだなと、あの時は言葉にできない感情でしたが今そう思います。
    中山さんありがとうございました。

  2. 中山けんたろう on

    くぼ様
    コメントをいただきまして誠にありがとうございます。
    また、先日はいろいろお話しをお聴かせいただきましてありがとうございました。
    システムの都合上、お返事の掲載までにお日にちがかかりましたことをご容赦いただければと思っております。
    さて、ご自分のお気持ち、感情を伝えたいと思われ、このような形でお聞かせいただいたことを感謝しております。
    問題や苦悩を抱えながら、日々の生活をこなされているだけでも大変なことと思っております。
    そのような時間の経過の中で、ご自身なりに徐々に心を緩められ、ご自分を認めることができるようになってきたことは、本当に素晴らしいことだと思います。
    「うつ」という病気は、本当にしんどいものです。
    私も経験がありますので、その苦しみや辛さをいくばくかは理解させていただけるのではと思っております。
    「同情されたいわけではない」、「不幸とも思っていない」、「私だけがなぜ?とも思わない」という文面から、「うつ」という状態をしっかり受け止めておられる姿勢が伝わって参ります。
    「うつ」の辛さや、うつ状態がなかなか好転しないことへの苛立ちや絶望感から、私たち人間は、ともすれば、他人のせい、周りのせいにしてしまいがちです。
    けれども、くぼ様は、ご自分の問題として受け止め、もっと良くなりたいと思われているものと感じました。
    周りのせいにしていると、問題の解決を周りに委ねてしまうことになります。
    けれども、ご自分のこととして受け止めることができると、問題解決の主導権を自分で握ることができるようになります。
    様々な経緯があって現在の問題があると思いますので、普通は、自分の問題として捉えることが難しい場合がよくあります。
    くぼ様の場合、その段階はクリアされていらっしゃるようですので、問題解決のプロセスは確実に進んでいらっしゃるのではとお見受けいたしました。
    また、「エネルギーが急に枯渇してしまったかのようになってしまう」ということですね。
    全く同じ感じ方かどうかはわかりませんが、私も長らく同じような経験をしたことがあります。
    「急に電池が切れた感じ」とでも言えばよいのでしょうか。
    気力、体力を「充電」するために、しばしの休憩や、場合によったら横になるなどの休養が数日に亘って必要なこともありました。
    それはもしかしたら、もともと心のエネルギーが少なくなっている状態のところに、「もっと良くなりたい」、「なんとかこの状態から抜け出したい」という気持ちが強いため、そのことを考えるためにエネルギーの多くを費やしている状態と言えるのかも知れません。
    言い換えれば、それぐらい、「良い状態になりたい」、「幸せを感じたい」と思われていることの現れではないかと思いました。
    ご指摘のように、ある人にとっての問題・苦悩は、他人からどのように見えようとも、繊細で大切に扱う必要があると思います。
    また、問題の大小もあまり関係がないのではと思っています。
    例えば、腕に大けがをした場合、病院に行ってそのけがを治療すると思います。
    反対に、指先に小さなトゲが一本刺さっても、痛くて気になるのが人間です。
    自分でトゲを抜くことができればよいですが、どうしても抜くことができない場合は、やはり病院に行くことになるかもしれませんね。
    どのような問題でも、自分にとってはなんとか乗り越えたい問題であることに変わりはありません。
    体の問題は大抵の場合、目に見えて確認することができるので、病院に行くなどの対応を取りやすいものです。
    一方、心の問題となると、目には見えませんし、たとえ辛くてたまらなくても、我慢しようと思えば相当程度まで我慢できたりもします。
    それこそ、腕の大けが級ぐらいに大変な心の問題でも、我慢をしてしまわれる方もいらっしゃいます。
    心は「血」を流しません。
    でも、その代わりに、時として「涙」という形でサインを出してくれる場合があります。
    涙が出ることは、弱いことでも何でもありません。
    心が発している「言葉にならないメッセージ」と思って、ご自分の心の声に耳を澄ませてあげていただければと思います。
    もし、一人で心の声を聴くことに慣れていらっしゃらなかったり、心の整理がつきにくい場合は、ご遠慮なく、私どもカウンセラーをご活用いただければと思っております。
    この度は、貴重なコメントをいただきまして、誠にありがとうございました。
    また、私に対する肯定的なご意見を頂けましたことは、私にとって大いに励みとなるところです。
    今後もより一層、一人でも多くの皆さまの心の声に耳を傾け、問題解決やよりよい人生に向かうお手伝いをさせていただければと思っております。
    ありがとうございました。