伝統、慣習、愛し方~~新年の満月に想う~~

 満月が彩る、今年の元旦でした。
 
 子供の頃のお正月の景色はかけらもない昨今。あの頃は羽子板やコマ、凧が並んでいた近所の文具店の、シャッターの白さが冬の寒さを増すようです。
 いつもより随分大きな半紙での、書初め。家の前の路地で、友達や家族と楽しんだ羽つきにコマ回し。新聞紙で作った長い足をつけた凧を、父親と共に自慢げに飛ばしに出かける男の子たち。
 着物をまとった母親が甲斐甲斐しく運ぶ、お節の重箱。薬草を入れたお屠蘇。お雑煮用の、蓋つきのお椀。
 こんな風に、過ごしたお正月を、今年は珍しく思い出していました。
 両親が見せてくれたのはおそらく、自分たちがしてもらったこと、またはこうありたいと思ったこと。それはお正月の風物だけではなく、生活、人生全般にそうだったのだなあ、と改めて思います。
 仕事がら、色々なひとのお話を伺わせていただく中で、ご両親やごきょうだいなどについてのお尋ねをすることが少なくないのですが、それは、例えば、同じ年齢で同性、同じ出身地の方がおられたとしても、ご両親の年代や出身地が違っていることで、その生育歴に違いを感じることが多く、とても参考になることがたくさんあるからなのです。
 私たちの世代は、まさに高度成長期と共に生まれていますので、それ以前の両親たちの世代の苦労は、聞くにとどまります。
ただ全般的に言えることは、この国においては、ご本人やご家族(特に親)に第2次世界大戦の影響がどの程度あったのか、が、とても大きな影響力を持つのだ、ということです。
 その世界観を一瞬にして覆された、昭和1桁~15年あたりの方々の新しい日本は、教科書を墨で塗りつぶすところから始まったのだろうと思います。
文字通り、全てを覆す作業の第一歩だったことを、親から聞いたことがあります。
 
 その年齢が高ければ高いほど、つまり、自我と共に育ってきた価値観を覆さねばならないのですから、これはとても大仕事になることは想像に難くありません。人間不信、拝金主義といったことが蔓延するのも、無理からぬことだったのでしょう。
 また高度成長期とは、頑張れば頑張るだけの成果が、おそらくは手に入った時代でもあり(お金や地位や数字などのわかりやすい形で)、安定を重んじる風潮も強まっていったと思います。
戦後減少していた人口を取り戻し、社会や文化の再構築のために、頑張っていたその世代の人たちの背景にはこういったことがあった筈です。
 
 しかし、今はそうではありません。第1次ベビーブームに生まれた、いわゆる団塊の世代(昭和22~24年生まれ)の、子供世代、第2次ベビーブーム世代(別名・団塊ジュニア世代、昭和40年代前半生まれ)が、中堅を担っている世の中。 
 国中のどこにいても電話がつながり、殆どの場所ではスイッチひとつで灯りが点る。それどころか、携帯電話でテレビが見れる。世界中のどこにでもメールが送れる。
 こんな世の中を、私自身もまだ影も形もなかったあの頃、誰が想像したでしょうか。
 余談ですが、あの手塚治虫さん(やはり、昭和1桁世代)が唯一、その作品の中で描いていなかったものが、今ではものすごく普及してるものなんですが、何だかお分かりですか?
 そう、携帯電話、なんだそうです。
 あの頃に無かった物に溢れている世の中。取り残されていく気がするのは、私の世代以前の人々だけではなく、もしかしたら、物に溢れている環境に生まれ、なじんできた、私たちの子供世代や、団塊ジュニアの子供世代にも少なくない気がします。
 希薄なつながりが語られて長いこの国。誰に話すことも無く一日を過ごすことの増える人々。
 便利さの生み出した「魔法の国」の諸刃の刃の部分かもしれません。
 
 いろんな方とお話をさせていただく中で、じっくりと聞かせていただく長くは無い時間の中に、こういったことが見え隠れします。
 お正月の風景がかわりゆくのは、些細な変化のひとつなのかもしれません。
 
 70~80年の間に、こんなにも変化のあった時代を、脈々と継がれてきた様々と共に、これからも生きていく私たちには、おそらく、戸惑うことの方が多いのでしょう。
 価値観の多様化の、背景のほんの一部に過ぎないと思うのですが、個々の理解や思いやりの中に、この激しい時の流れを考慮に入れる必要があると、私は感じています。
 それぞれの世代を育んだ「上」の世代の全てが、次の世代にとっては決して正しいものばかりではないと思います。
が、そこに込められた願いや愛情まで、否定できるものではありません。
 むしろ、愛情からきたことが多いのですが、そのことが次世代・・・子供たちを苦しめていることだって、実は少なくありません。
 時には、「愛情があるから」の言葉のもと、子供たちに向けられた、子供側からすれば言われの無い抑圧もあり、このことが成長して後にも、心に射す影にことも目立つ昨今です。
 過日、「子ども虐待と子育て支援」*と言う、公開講座に参加させていただいたのですが、その中でも特に印象に残った言葉があります。
 「虐待の定義とは、親の想いの如何(しつけである、愛情があるなど)によらず、子供の側からみてどうであるか」
 現時点で、年齢的・身体的には十分成長していたとしても、幼い頃に負った、親からのプレッシャーによるパターンは、易々とは変えがたいものがあります。
これは、大人である私たち、社会で十分な活動をしている私たちにおいても同じです。
 子ども虐待の場面だけではなく、セクハラ・パワハラ・アカハラ等と呼ばれる、時には犯罪に結びつきかねない、対人関係においておこる「捉え方の違い」の齟齬においても、同じことが言えるのではないか、と、聞きながら感じていました。
 パートナーや家族、友人、職場、地域において、さらにはもっと大きな社会的な状況や場面での、問題の種や、時には問題そのものになっていることが、本当に少なくありません。
 そうなると、昔はよかった、と一概に済ませないことが多いと思うのですが、身に染み付いていることが多く、気づいたときには、とんでもない状況になっていることもまた、残念ながらあるのです。
 起こってしまったこと、生きてきた時間や社会の全ては、否定するわけにはいきませんが、そんなことが自分の身にも起こっていたことに気づき、向き合うことは、例えば自分を含む特定の誰かのせいにし続けて生きることを、やめるきっかけになるのではないでしょうか。
 大きなことは、言えません。かく言う私にしても、「パターン」に気づき、直していく途上にあります。
いや、これはきっと誰にしても、この世を去るまで続くのでしょうね。
 これからも、繰り返し、変化しながら、個人だけではなく社会自体が成長したり、時には退化したり老化したり、していくのかもしれません。
 さて。
 今年の1月は、満月が2回あったのだそうです。
2度目の満月はブルームーンと言うのだそうですが(因みに、”Once in a blue moon”と言う『めったに無い』と言う、意味の英熟語があります)、文字通り青く美しい満月でした。
 
 地球上の、ささやかな国にいる私たちを、あの月はただそこに在り、見守ってくれています。
 親世代が子ども達にして上げられる最高にして最上の愛し方は、もしかしたら、こんな風なのかもしれません。
   *「子ども虐待と子育て支援」
  大阪市立大学医学部看護学科・都筑千景準教授による第137回市民公開講座より

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1件のコメント

  1. 中盤、深く深く頷いてしまいました。
    人がどんな価値観を持ち、どんな観念に縛られるか、ほんの数十年違うだけでも全く違うことってありますね。寂しいですが、人は孤独なんだなと思う瞬間です。
    私事ですが最近子供が出来、幸いなことに手伝ってくれる親も、愚痴を聞いてくれる友人も身近にいるので、メンタル面では何も不自由は無いはずだったのですが、何故か寂しくて寂しくて仕方なくなってしまいました。
    なぜだろうと考えてみたのですが・・・どうやら「子供にも、自分の子供の頃と同じ体験をして欲しい」と思うようになったみたいです。
    それが叶わないことが寂しいと。今は都会に住んでいますが、故郷は小さな田舎町です。
    そこで四季折々の豊かな自然に囲まれ、地域の行事の輪に加わりながら、自分も学んだ学び舎で子供も学べたら、どんなに素晴らしいだろう・・・と夢想するようになりました。
    生まれ育った場所で、そこのコミュニティや自然に包まれて、守られながら、子供も産み育てられたら、何の憂うことも不安も無いんだろうなあと。ほんの数カ月前までの、自分の過去を否定的に捉えていた頃には想像だにしたことのない感情が湧いてきたことに自分でも本当にびっくりしました。
    現実的には実現は難しいことですし、田舎がそんなにいいことばかりでないのは承知なのですが、自分の源流である故郷のことや自分の幼い頃を肯定的にとらえることができるようになったから生まれてきた気持ちなのだなあと気ずくと同時に、世のお母さんが感じる不安や孤独というのは、お金が無いとか世話が大変ということもあるでしょうが、もっと基本的なところで、自分たちの存在する場所、あるいは過去から未来へ続く時間的なものとの繋がりが途切れてしまっていると感じることからくるのかも知れないなあと思いました。
    親から受け継がれるものというと、負の連鎖を思い浮かべがちな昨今ですが、文化でも伝統でも自然でも、価値があると信じられるものを受け継ぎ、担い、受け渡し、また自分が死んだ後世にも永遠に続いてゆくだろうと信じられる、その流れの中にいることが、人が幸せを感じて生きるには必要なことなのではないかと最近は考えるようになりました。
    長文失礼いたしました。