◇最後に残るものは

私は文章を書くときは、たいていタイトルを決めてから、内容を書き始めま
す。
その方がテーマが絞れるので、内容が暴走しない気がするのです(笑)
ところが、今回はタイトルと決めないまま、文章を書き始めてみました。
私の
中の何かが自然に現したいと言っているかのようです。
いったい、どうなることでしょう。良かったらお付き合いくださいね。
先日、初めて犬の写真にお水を供えました。
6年経って初めてです。
亡くなっ
た人の写真などに、お水を供えるといい。と言うのは、あちこちで聞いていた
のですが、やったことがありませんでした。
もしかしたら、犬が死んだことを
心の底から、受け入れられていなかったのかもしれませんね。
そのきっかけになったのは、前日にたまたま見ていたテレビのゲストの方が、
亡くなったお父様に、毎日お水を供えているということが、ふっと私の心の中
に入ってきたんです。
そうだ、明日写真にお水を供えて見ようかなぁ。
そんな風に思わせてくれたんです。
朝目覚めて、まずは、写真を机の前に移動しました。
窓を開けて朝日と新鮮な空気を部屋の中に入れて、お水を・・・。
う〜ん。何に入れたら良いんだろう(笑)
仏壇用のものは持ってないし。。。
結局一番小さなグラスにお水を入れることにしました。
お水をあげると、色んなことを思い出してきました。
かつて散歩のあとに、お
いしそうに彼がお水を飲んでいた事。朝の散歩の風景。ご飯を食べている姿。
出かける時に見送ってくれた瞳。帰ってきたときの嬉しそうな尻尾の振り方。
遠い昔のようであり、昨日の出来事の様にも感じます。
現実を受け入れると言
うのは、こういう気持ちなのでしょうか。よくわかりませんが、なんだか不思
議な気持ちなのは確かでした。
以前はこんなことを思い出したら、ものすご〜く悲しかったんです。
でも、今
回は違っていました。
今あげたお水を彼が生きて飲んでいるかのように感じて、
「そうだよね。ずっとお水もらってなかったら、そりゃぁ、喉渇くよね。」
などと思っていたのです。
写真は動かないし、体もないのに、ものすごくそばに居る。なんだかそんな感
じがしました。
この時間は何ものにも邪魔されずに、彼との間に存在していた
信頼、愛情そういうものだけを、ただただ感じていたにすぎません。
ただ、愛情の空間が広がっている。と言うのか、空間に愛情が広がっている。
と言うのか。ただ、それだけなんです。
大切な誰かを亡くしてしまった時。現実を受け入れられなくて、苦しくて、辛
くて、悲しくて・・・。
誰かと出会って共に生きてきたこと、そして、その大切な人を亡くしてしまう
と言う出来事。それは、とても言葉では言い尽くせないくらいの出来後でしょ
うし、想いや悲しみの形はそれぞれの人の数だけ存在するのだと思います。
でも、その出会いと別れの後に残るのは、きっとその人との間に存在していた
『愛』だけが残るのかもしれませんね。
人はたくさんの愛や信頼を育みながら、たくさんの人に出会って、別れていき
ます。
その別れは、生きて別々の道を生きて行くものであったり、あの世に旅
立つ別れであったりもします。
その出会いの数だけ、この地上にたくさんの愛
が残っていくのではないでしょうか。
かつて、私達がこの世に生まれてきたときに、感じていたまどろみの中で、そ
んな愛をたくさん感じていたのかもしれませんね。
これを読んでくださっている方の中にも、大切な人を失った悲しみの中にいる
方もいらっしゃるかもしれません。言葉で言ってしまうことは簡単なのかもし
れません。ですが、いつの日かもう一度、その方と育まれた愛を感じられる日
が来ることを、心から祈っています。
そして、たくさんの愛に満たされますように。
渡辺 晴美のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。