●親の心子知らず、子の心親知らず

 親は、子供に色々な期待をします。
イチローみたいにビッグな野球選手になってほしいとか、浜崎あゆみのような歌手になってくれたら、というのもあるだろうし、手堅い仕事に就いて出世してもらったら良いなとか、田中さんのようにノーベル賞をもらうような研究をしてくれないだろうかとか…そこまでいかなくても塾に通わせたり、英語、ピアノ、リトルリーグ、スイミングetc.
いろんなことを子供に与えます。
つまりは子供たちに無限の可能性を見ているわけですね。
 ところが、成長に伴い現実が見えてくる感じがします。
それぞれの個性がはっきりしてくるだけなんですが、子供の側から見ると、『期待されていた自分』から『今の自分』を引き算したときに「不十分さ」が出てくる感じがします。
そうした時に、「もっとがんばらなければ」「今の自分では愛されない」「自分は迷惑な存在だ」…といった思いを抱いてしまいます。
ところが、親の方は自分の子供の本当の能力や個性と言ったことをわかっていると思うので、もっと頑張れないかな、と思ったりします。
違う言い方をすると親はそれだけ自分の子供の価値を知っているわけですが、あまりそのことを伝えたりはしないかもしれません。そうすると、子供の側にすると過重な負担を感じてしまいます。
こんなに頑張っているのに、まだまだやらないといけないのか…と言う感じです。
これも違う面から見れば、「出来る自分」のイメージがあるからなんですよね。でも、実際にはそうではない、と思って自分の評価を低くします。
 
 親の期待を上手に拾ったように、知らない間に親の希望する生き方を選んでしまうことがあります。
たとえば、一流大学に入って一流企業に就職してくれたら…30歳までに孫の顔が見たい…そこを拾ってしまうと、子供は頑張ってしまいます、期待に添うように。ただ、これは意識として表に上がってくることがあまり無いかもしれません。そういったときによく聞かれる言葉が「自分が何をしたいのかわからない」「誰が好きなのかわからない」ということになります。
自分の意志よりも、親の期待通りで無い自分は愛されない、と深いレベルで傷ついてしまうからなんです。
でも、親から見れば本当は職業や学歴や結婚相手や年齢なんかよりも大切なものがあるんですよ。
 
 それは、「子供の幸せ」です。
幼い頃、自分の腕の中で眠った子供の温かさと重みを思い出してみると、この子がいるだけで幸せな自分や、安心して眠る幸せそうな寝顔を守ってやりたい、と思ったことを思い出したりします。
本当はこれが全てなんですね。いつから、違ってしまったのでしょうか。
 いろんな問題の下には、昔どこかでちょっとした思い違いを抱いてしまったことから始まることがあります。
親が子供に期待するのは、ただ子供に幸せでいてほしいからなんですが、親の時代にはとても役に立った考え方を子供にも使ってしまいがちです。
例えば高学歴、特別な才能がステイタスシンボルとなっている裏にある、それをもっている人が豊かで幸せだ、という考え方です。
 
かく言う私自身も親の価値観と自分の価値観との凄まじい?戦いの経験があるので、今となればどちらの気持も良くわかるんですよ。私は決して親の言うことを全く聞かなかった子ではない(つもり)と思うんです。
でも親は「この子は言い出したら聞かない」とよく言っていました。
でも、私からすれば言い出すことがほとんど無かったんですね、だから譲れない感じだったんじゃないかな、と思います、今にしてみれば。
 
 でもこの「言い出したら聞かない」のさらに下には、親は私がこうなったら喜ぶな、と言うのを知っていたこともあります。
それが無謀だったり、親から見ればとても不安定なことだったりするので、親は一応留めてみるわけです。
でも、子供にとって親に引きとめられると言うことはすなわち強化されてしまうので(浦島太郎が玉手箱を開けてしまったかのごとくです)、やってしまいます。
 
「赤毛のアン」のシリーズのどれだったか忘れましたが、アンの知り合いが頑固な父親に結婚を反対されます。
反対されればされるほど二人は結婚に向けて燃えるんですね。で、みんなであんな頑固親父の言うことを聞かなくても良いよ、とばかりに画策をし結婚式を計画します。
でも実はこのお父さんは、娘の結婚に心から賛成し、うまくことを運ばせるために頑固親父を演じていました。
それぐらいしないと内気な娘はいつまでも彼との結婚を進められないだろう、と考えて、というお話だったと思いますが、このお父さんのやり方はすばらしいですよね。子供に何かをさせたいときには、あまり進めない方が効果的、かも知れません。うちの子達は「お母さんの本だからまだ読まないでね!」という私の言葉に、ものすごい勢いで読破したことがあります。
本と言っても漫画の「三国志」なのですが、それでも30巻をあっという間に二人は読破しました。
ちなみに私はまだ読めていないんですよね。これは、別に狙ってしたことではないのですが、結果として彼らは歴史に興味を持つことになりました。
  
育ててもらう側、育てる側の両方に立った今思うのは、子供の成長に大切なのはまるで植物の成長に必要な、光と水と土、そして適量の肥料のようなゆったりとしたゆとりをはらんだ愛情なのかもしれないと思うのです。
いろんな場面で、太陽がいつも公平に光を地上に与えるようであれれば良いな、と思います。
中村ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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