バリバリ働くキャリアウーマンになりたいが

相談者名
ぱお
「長」これに弱いのです。 私はできることならば、
バリバリ働くキャリアウーマンになりたいとおもうのですが、
実際の私は・・・来春の人事異動により、私の上司が異動になる予定です。
そのことに対して、部署内はもちろん、ほかの部署でも
反対意見が多数でています。
私もそのうちのひとり。

管理職は何を考えてるんだろう!と血圧上がりまくりです。
なのですが・・・
どうして、こんなにムカツクんだろう。と冷静になったとき、
「責任者になるの、いややもん・・・。」という結論に達しました。

上司が抜けたあと、長になるのは、私なのです。
(ちいさい職場なので、若くても繰り上げ当選となるのです)

仕事をこなせる賢い女性になりたいのに、
長がつくのは、なんとしてでも回避したい。

「長になる=認められる。能力がある」プラスの評価ですよね?
でも私は「長になる=損をする」という、損得勘定が働くのです。

そして、損得勘定についてくるのが、
「おねえちゃんなんだから、がまんしなさい!」
「おねえちゃんなんだから、xxしなさい!」
「おねえちゃんなのに、どうしてxxできないの!」
「おねえちゃんがxxしてどうするの!」という
私が幼い頃の、母の声です。
私には5つ離れた兄弟がおり、何をするにも、
理不尽な裁きを受けたという印象が強く強く残っています。
母の言葉の前後には、理解や癒しもあったのかもしれませんが、
残念ながら、私の中には理不尽さしか残ってないのです。
これはこれで、別のことなのかもしれませんが、ついでに思い出すのです。

長につくこと、責任をもつこと、嫌がってたら、しんどいし、
不愉快だし、どうにか心穏やかに過ごす方に
心の向きを変えてみたいのですが・・・。
何か、方向転換のきっかけをいただけませんでしょうか?

カウンセラー
原裕輝
こんにちは、原裕輝といいます。>  管理職は何を考えてるんだろう!と血圧上がりまくりです。
> なのですが・・・
> どうして、こんなにムカツクんだろう。と冷静になったとき、
> 「責任者になるの、いややもん・・・。」という結論に達しました。
>
>  上司が抜けたあと、長になるのは、私なのです。
> (ちいさい職場なので、若くても繰り上げ当選となるのです)通常なら、おめでとうございます。・・というところでしょうが
そういう心境ではなさそうですね。
怒りやら、いろいろな感情が出てるようですね。
本当に嫌なんですね。

>  仕事をこなせる賢い女性になりたいのに、
> 長がつくのは、なんとしてでも回避したい。
>
> 「長になる=認められる。能力がある」プラスの評価ですよね?

そうですよね
認められる、価値を見てもらっている、評価がよい、たよりにされてる
という感じですよね。

> でも私は「長になる=損をする」という、損得勘定が働くのです。
>
> そして、損得勘定についてくるのが、
> 「おねえちゃんなんだから、がまんしなさい!」
> 「おねえちゃんなんだから、xxしなさい!」
> 「おねえちゃんなのに、どうしてxxできないの!」
> 「おねえちゃんがxxしてどうするの!」という
> 私が幼い頃の、母の声です。
> 私には5つ離れた兄弟がおり、何をするにも、
> 理不尽な裁きを受けたという印象が強く強く残っています。
> 母の言葉の前後には、理解や癒しもあったのかもしれませんが、
> 残念ながら、私の中には理不尽さしか残ってないのです。
> これはこれで、別のことなのかもしれませんが、ついでに思い出すのです。
>

お姉ちゃんであることで損をしてきたんですね、
我慢、しんぼう、いっぱいあったようですね。
理不尽さへの怒りがすごくあるようですね。
たぶん、怒りの下に隠れている感情があると思います。
甘えたかったとか、悲しかったとか、
やさしくしてほしかった、弟のように○○してほしかった
とかいろいろな感情や思を押さえつけてきたのではないでしょうか?
この思いに蓋をしているのが怒りのように思います。

>  長につくこと
、責任をもつこと、嫌がってたら、しんどいし、
> 不愉快だし、どうにか心穏やかに過ごす方に
> 心の向きを変えてみたいのですが・・・。
> 何か、方向転換のきっかけをいただけませんでしょうか?

長=損をするの感覚をかえる方法のひとつに
怒りの下の感情を満足させてあげるといいと思います。
例えば、怒りの下に甘えたかったといのがあるとしたら
甘えるということを自分にゆるさなかったのかも知れません。
こんな場合は、「ああ、私甘えたかったんだ」と
自分に甘えるということを許可してあげてほしいなと思います。
許可してあげることで、怒りや不愉快な感じも
和らいでくると思います。

怒りの下の許可していない感情が多いほど自立的になるものです。
ぱおさんは自立的な女性なほうでしょうか?
なにか、いっぱいがんばってきたかたのような感じがします。

お母さんからはおねえちゃんだから・・といわれてた
ことが強烈な印象が残っているようですが?
弟の目からは、お姉ちゃんはどううつってたのでしょうか?
慕われてたおねえちゃんだったのでしょうか?
5歳も離れてたのでしたら、お姉ちゃんってすごい
とおもってたとこともあるのではないでしょうか?

もしかすると、部下が上司を見る目というのは、
「お姉ちゃんってすごい」って思うめかもしれませんね。
お姉ちゃんでよかったことをみていくこともいいと思います。
また、一緒に考えていきましょう。

またご連絡いただけるとうれしいです。

相談者名
ぱお
原さん、こんにちわ。
いつも、ステキな柔らかいエッセイ書かれますね。
読んでると思わず、微笑んでしまいます。仕事中なのに。危険危険!さて、原さんのお返事を読んで、
私は自分のペースを乱されることに抵抗を感じているだけなのかもしれない・・・
とおもいました。> 甘えるということを自分にゆるさなかったのかも知れません。
こう書かれて思い出しました。
私、就職を機に「ダメな子」の味を覚えたのです。
大学卒業するまでは、できること・得意なことはもちろん、
苦手なことも精一杯努力する。ドクターストップまで頑張る!
という方針で生きてました。

でも、就職してからは
「手ぇ抜いても、フル回転がんばっても同じお給料」という価値観が・・・。
こう書いていて、はずかしくなります・・・。

きっかけは、入社して3ヶ月たったころ、
「どんなに努力したかしらんけど、結果ださな意味ないねん。」と
先輩にいわれたことです。それからも何度もいろんな先輩から同じような台詞をききました。
「仕事は過程は関係ない。結果がすべて。」

もともと要領のよい子ではなかったんです。
まわりからも「地道に努力する子」「人の何倍も努力する子」という評価でした。
そうです。
それだけ努力しても 成功に結びつくことは 3割いくかいかないか。
結果はだせない子だったんです・・・。
でも、挑戦すること、努力する過程が大事なんだと信じてたのです。

が、それが通用しない。ことを知らされて。
しかも、仕事って「できない」とゆうたら、「できる」人がこなしてくれますよね。
楽チンというのか・・・。
頑張っても頑張らなくてもおんなじやん。じゃぁ出来ない子でもいいんじゃない?
目ぇむいて、がんばらなくても、いいんだぁ~。
かなりさみしい気持ちもありましたが、逃げることをしっかりと覚えました。
この逃げが私にとっての 「甘え」みたいなものです。
それ以来、すべてに対して言い訳を用意するようになってます。
これも嫌いな自分の一つです。

話、それてしまってますね・・・。

> 怒りの下の許可していない感情が多いほど自立的になるものです。
> ぱおさんは自立的な女性なほうでしょうか?
> なにか、いっぱいがんばってきたかたのような感じがします。
自立してたのは、就職するまでかもしれません。
すごく幼いころから、1人立ちしなきゃ。と必死だったとおもいます。
弟が 病弱&暴れん坊だったことに加えて、
なんでも自分できること、人様に迷惑をかけないことが
幸せなオトナになる”すべ”だと考えてたからだとおもいます。
ちいさいゆえに、間違った努力の仕方で、間違いにきづくこともなく長い間
空回りしつづけてクタクタになってたと思います。

就職してから、いろんな価値観がくずれて、自分を見失った時期がありまして。
いまはリハビリ過程の途中なのですが、
この年齢でこそ、自立しなきゃいけないのに、なれない。
空回りしていた自分に申し訳ない。とおもうこともあります。

転職してから、時間との戦いがないので、
イチロー選手のCMじゃないですけど、
「すきなこと、ちょっとがんばればできそうなこと。
これの積み重ねが 遠く(なりたい?)の自分につながっていく。」ことを
努力する方向をまちがえないように、実践しているとこです。

そこへ、長の話・・・。
また自分のペースじゃなくなる。
自分だけの話じゃなくなる。
また壊れるのか???いやだあ!!!!という具合です。

どこへいってもいまどき、マイペースでできる職場なんてないですから、
気持ちの切り替えが必要だと思ったのです。

> お母さんからはおねえちゃんだから・・といわれてた
> ことが強烈な印象が残っているようですが?
> 弟の目からは、お姉ちゃんはどううつってたのでしょうか?
> 慕われてたおねえちゃんだったのでしょうか?
> 5歳も離れてたのでしたら、お姉ちゃんってすごい
> とおもってたとこともあるのではないでしょうか?
弟とは疎遠でしたが、自分を見失ったときから交流を再開しました。
(一方的に私が彼を拒んでいたのですが。)

弟は私がうらやましかったそうです。
服や自転車など、お姉ちゃんのお下がりは嫌だった。とか。
私からしたら、服も自転車も、のちのち弟にゆずらなきゃいけないからと
黄色や水色、白のもの。好きなものを選ばせてもらえなかった。

弟がなぜ、暴れん坊になったのかという理由もわかって、
弟なりの傷みもしって、
私もなぜ、優等生だったのか、
なぜ、いま自分を見失ったいるのか、
お互い、お互いの事情がわかって以来、
顔を合わせたら話をするようにはなりました。

> もしかすると、部下が上司を見る目というのは、
> 「お姉ちゃんってすごい」って思うめかもしれませんね。
ごめんなさい。
これは、想像つかないです・・・。

> お姉ちゃんでよかったことをみていくこともいいと思います。
そんなのひとつもないようにおもうのですが・・・。
「お姉ちゃん」という称号は
自分のペースを乱されつづけた象徴みたいなものかもしれません。
でも、いいとこみつけてみるよう、意識してみます。

カウンセラー
原裕輝
> 原さん、こんにちわ。
> いつも、ステキな柔らかいエッセイ書かれますね。
> 読んでると思わず、微笑んでしまいます。仕事中なのに。危険危険!ありがとうございます。
ぱおさんが、またまた危険、危険になるような
エッセイを書かせてもらいます(笑)>
> さて、原さんのお返事を読んで、
>  私は自分のペースを乱されることに抵抗を感じているだけなのかもしれない・・・
> とおもいました。

そうですか。
ペースを乱される、僕も嫌なほうです。
気が合いそうですね。

>>甘えるということを自分にゆるさなかったのかも知れません。
> こう書かれて思い出しました。
> 私、就職を機に「ダメな子」の味を覚えたのです。
> 大学卒業するまでは、できること・得意なことはもちろん、
> 苦手なことも精一杯努力する。ドクターストップまで頑張る!
> という方針で生きてました

もう、がんばれないところまでがんばる人だったんですね。

>
> でも、就職してからは
> 「手ぇ抜いても、フル回転がんばっても同じお給料」という価値観が・・・。
> こう書いていて、はずかしくなります・・・。

はずかしくないですよ。
そう、思うようになったことがあったってことですよね

> きっかけは、入社して3ヶ月たったころ、
> 「どんなに努力したかしらんけど、結果ださな意味ないねん。」と
> 先輩にいわれたことです。それからも何度もいろんな先輩から同じような台詞をききました。
> 「仕事は過程は関係ない。結果がすべて。」

会社ってそういいますよね。
ショックだったんではないですか?

> もともと要領のよい子ではなかったんです。
> まわりからも「地道に努力する子」「人の何倍も努力する子」という評価でした。
> そうです。
> それだけ努力しても 成功に結びつくことは 3割いくかいかないか。
> 結果はだせない子だったんです・・・。
> でも、挑戦すること、努力する過程が大事なんだと信じてたのです。
>
> が、それが通用しない。ことを知らされて。
> しかも、仕事って「できない」とゆうたら、「できる」人がこなしてくれますよね。
> 楽チンというのか・・・。
> 頑張っても頑張らなくてもおんなじやん。じゃぁ出来ない子でもいいんじゃない?
> 目ぇむいて、がんばらなくても、いいんだぁ~。
> かなりさみしい気持ちもありましたが、逃げることをしっかりと覚えました。
> この逃げが私にとっての 「甘え」みたいなものです。
> それ以来、すべてに対して言い訳を用意するようになってます。
> これも嫌いな自分の一つです。
>
> 話、それてしまってますね・・・。

正直者がばかをみるという感じでしょうか?
がんばっても意味がない、誰も認めてくれない、
これは、もうがんばれないところまでがんばるものにとっては
ショックですね、今までの自分が否定されてしまう感じだったんでは
ないでしょうか?
だったら、がんばらなくてもいいんだ~と思ってしまうのも
無理ないとおもうんですね。

今までしてきたこと、今でがんばってきたこと
すべてに意味があったと思うんですね。
それが仕事の成績にはつながらなくても、
自分に休みを与えてあげるというのを学ぶために
倒れるまでがんばったのかもしれません。
なにかしら、意味があったと僕は思います。

>>怒りの下の許可していない感情が多いほど自立的になるものです。
>>ぱおさんは自立的な女性なほうでしょうか?
>>なにか、いっぱいがんばってきたかたのような感じがします。
> 自立してたのは、就職するまでかもしれません。
> すごく幼いころから、1人立ちしなきゃ。と必死だったとおもいます。
> 弟が 病弱&暴れん坊だったことに加えて、
> なんでも自分できること、人様に迷惑をかけないことが
> 幸せなオトナになる”すべ”だと考えてたからだとおもいます。
> ちいさいゆえに、間違った努力の仕方で、間違いにきづくこともなく長い間
> 空回りしつづけてクタクタになってたと思います。
>

クタクタになっていたというより
もしかしたら、今もクタクタのままに
なってるのではないでしょうか。
ぱおさんには、ほっと一息つける場所が
いるような気がします。

> 就職してから、いろんな価値観がくずれて、自分を見失った時期がありまして。
> いまはリハビリ過程の途中なのですが、
> この年齢でこそ、自立しなきゃいけないのに、なれない。
> 空回りしていた自分に申し訳ない。とおもうこともあります。
>
> 転職してから、時間との戦いがないので、
> イチロー選手のCMじゃないですけど、
> 「すきなこと、ちょっとがんばればできそうなこと。
> これの積み重ねが 遠く(なりたい?)の自分につながっていく。」ことを
> 努力する方向をまちがえないように、実践しているとこです。

なりたい自分があるということですね。
ちょっとずつ、一歩ずつ、そして遠くまで・・
素敵なことですね。
僕の好きな歌に遠くまで・・という歌があります。
この歌もそんな感じです。ぱおさんがなりたい自分になるのに
僕たちもお手伝いでききることがあったらいってくださいね。

> そこへ、長の話・・・。
> また自分のペースじゃなくなる。

自分のペースじゃなくなるが嫌だということは
ある程度コントロールがきく生活や仕事がいいということですね。
もう自分のペースをかき乱されてクタクタになるのが嫌なんでしょうね

> 自分だけの話じゃなくなる。
> また壊れるのか???いやだあ!!!!という具合です。
>

誰かの犠牲になったことがあるのでしょうか?
壊れてしまったことがあったのでしょうか?
とても、嫌な感じが伝わってきます。
恐れもでてくるんではないでしょうか?

> 弟とは疎遠でしたが、自分を見失ったときから交流を再開しました。
> (一方的に私が彼を拒んでいたのですが。)
>
拒まないとやってられないほど、弟を
うらやましいと思ったことがあったのかもしれないですね

> 弟は私がうらやましかったそうです。
> 服や自転車など、お姉ちゃんのお下がりは嫌だった。とか。
> 私からしたら、服も自転車も、のちのち弟にゆずらなきゃいけないからと
> 黄色や水色、白のもの。好きなものを選ばせてもらえなかった。
>
> 弟がなぜ、暴れん坊になったのかという理由もわかって、
> 弟なりの傷みもしって、
> 私もなぜ、優等生だったのか、
> なぜ、いま自分を見失ったいるのか、
> お互い、お互いの事情がわかって以来、
> 顔を合わせたら話をするようにはなりました。

弟さんの気持ち、人の痛みをみることのできる
やさしいひとですね

> そんなのひとつもないようにおもうのですが・・・。
> 「お姉ちゃん」という称号は
> 自分のペースを乱されつづけた象徴みたいなものかもしれません。
> でも、いいとこみつけてみるよう、意識してみます。

意識してみます。しらないうちにがんばてしまうところがあるようですね
お姉ちゃんとは○○ではならないという自分を縛ってる
みえない観念がいっぱいあるようですね
なにか束縛とか、不自由とか、自由がない感じもあるのではないでしょうか?
みえない鎖からときはなられて自由になることが
ぱおさんの次のステップの鍵になると思います。

またご協力できることがあらべいってくださいね。
それでは、今回はこれで失礼いたします。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

若年層から熟年層まで、幅広い層に支持されている、人気カウンセラー。 家族関係、恋愛、結婚、離婚、職場関係の問題などの対人関係の分野に高い支持を得る。 東京・名古屋・大阪の各地でカウンセリングや心理学ワークショップを開催。また、カウンセラー育成のトレーナーもしている。