母のサボテン子育て

こんにちは、心理カウンセラーの新城謙吾です。

大切な誰かから頂いたプレゼントは、見るだけでその人を思い浮かべて、大切にしたいと思うものと思います。
“投影”といいますが、私たちはポジティブであれネガティブであれ、誰かへの思いや印象を他の誰かや、関わりのある何かへ思いを映し出す”投影”をしているようです。
今回は、僕が母へプレゼントしたサボテンについてのお話です。

つい先日の事です。
実家に帰った時に、小鉢に植えられた決して綺麗とはいえない(むしろ不恰好な)サボテンが居間の出窓に飾ってありました。
なぜかサボテンの鉢の横には割り箸が立てて刺してあります。
その割り箸には、鉛筆でマークも付けられていました。
「なんだこれ?」
と思いました。
そして、母に聞いてみたのです。
「このサボテンの鉢に鉢に割り箸が刺してあるのはどうして?」
母は、
「身長ゲージみたいなものだよ」
と言ったのです。

母は、園芸を趣味としています。
実家の庭は僕の幼い頃から花や植木で覆われて、季節折々の姿がありました。
その庭も姿形を変えながら今も続いています。
最近はバラのトンネルを作ることに凝っている母ですが、花を綺麗に大きく咲かせたいもと思っても、水は与えすぎてはいけないし、肥料もありすぎてもなさすぎても育たないそう。
いつも気にかけて育てる必要があるようなのです。
一つ一つの花を枯らす事なく育てるには、結構マメな手入れが必要なのですよね。

そんなマメな母ですが、僕には「愛情表現の下手な母」というイメージがあるのです。
料理やお菓子作りなど様々な事にも熱心で、僕が幼いときには一緒に作った事もありましたが、うまく出来た時に「上手になったね」とか「凄いね」という言葉を受けるなど、母から褒められた記憶がありません。
また、孫と接する時も〇〇ができるようになったなとか、よく食べるようになったな、という事は親の僕たちを介して伝えるのですが、孫と接する距離感などはどこかぎこちなく、「孫のあなたがかわいい」といった直接の愛情表現や親密感を育むのは苦手なのだろうな、と感じる事がよくあります。

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サボテンの話に戻りますね。
「身長ゲージみたいなものだよ」といった母。
どういうこと?と聞くと、どうやらこの(決して見栄えの良くない)サボテンは、10年以上前(!)に僕が母の日に渡したサボテンらしいのです。
母の日にサボテンを渡したという僕のセンスはさておき、言われてみれば10年以上前にサボテンが有名な所で見つけたかわいい親指程の小さなサボテンをプレゼントした記憶があります。
サボテンを室内で育てるのは難しいと聞きます。
日照の条件もありますが、よく聞くのは、水のほぼいらないサボテンに水を与え過ぎてしまって、枯れてしまうもの。
その小さなサボテンを、時に枯らしそうになった時期はあったものの、ずっと育て続けてきたようなのですね。
だから、少しだけ枯れた、不恰好なサボテンになっているのだと思います。

母にとって、どうやらあの時に渡した小さなサボテンが、とても嬉しいものだったようです。
そのサボテンを大事に大事に、わざわざ身長ゲージまでつけて我が子を育てるように今日まで育てて来ることが、言葉や親密感で愛を伝える事が苦手な母の、母なりの息子への感謝であり、愛し方なのですよね。

ここで“投影”が働いているようなのですよね。
僕がプレゼントした小さなサボテンは、母にとって僕(息子)を投影しているようなのです。
とはいっても、サボテンを息子だと思っているわけではなく、僕を大切に思い育ててきたように、サボテンを曽田撤退説にしている、ということのようですね。
身長ゲージまでつけて笑

しかし、相変わらずわかりにくい愛情表現だと思いました。
息子の僕が気付いて聞くまで一言も「こうやって育てているんだよ」なんて事は言わなかったのです。
“お母さん、その愛し方はわかりにくいよー!”と思いながらも、やっぱり母は母で、この愛し方で僕は今でも愛されているのだなと思いました。

そのサボテンも、身長ゲージを超えそうなくらいに大きくなってきました。
とは言っても20センチもないのですが、母は
「そろそろ割り箸を取り替えて長い棒に替えないとなぁ」
と話していました。

母のサボテン子育ては、まだまだ続きそうです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自身の生きることの辛さ、日常の悩みを乗り越えてきた経験から、心の束縛感や生き苦しさ、恋愛、夫婦関係の問題解決を得意とする。 ご相談内容を心理分析しながらお客様と共に考えていくことで、気付けなかった本当の気持ちを洗い出し、アンバランスになった心の整理整頓を行う。