障害児を育てる親が感じる悲しみは大切な人を失った時の悲しみに似ている

■障害児の子育てと「期待していた子どもの死」という考え方

わが子に障害があると知った親の心の状態は「大切な人の死」に直面した時と似ていると言われます。それほど、大きなショックを受け、受け入れるのには時間がかかる出来事なのだと思います。

おなかの中で赤ちゃんを育てているとき、わが子が障害を持って生まれることを想定する人はあまりいません。多くの人はかわいい赤ちゃんと過ごす幸せな時間を想像するんじゃないでしょうか?

だから「障害」があると知った時、それまで何となく想像していた「あたりまえ」に成長していくであろうと思っていたわが子の姿(「期待していた子」)がガラガラと音を立てて崩れていきます。

これを「期待していた子どもの死」と言ったりするのだそうです。

息子を育てていて「しんどいな」と感じることのひとつは、目の前にいる現実の息子の後ろに、時々現れる「定型発達の子(普通に成長している子ども)」との違いを感じること。

「うちの子はこんなふうにできない・・。でも、わたしだって、わが子のこういう姿を見たかったなぁ。」と感じるとき、わたしは、何とも言えない切なさとさみしさを感じます。

息子に何かができるようになって欲しい!!と思うのではなく、ただ、ちょっとだけさみしい気持ちになるのです。

「もし、この子に障害がなければ、こんな時間を過ごせたかもしれないなぁ」
という思いは、
「もし、あの子が生きていればこんなこともできただろうなぁ」という感覚に似ています。

障害のある子を育てていると、こんなふうな喪失感を何度も感じます。
この喪失感やさみしさを感じるのは、親にとってはつらいものですし、人によっては、こんな感情を感じるだなんて、目の前にいるわが子への裏切りだと感じることもあります。

「親は子どもの障害を受容して当然」という人もいますが、わたしは、そんなこと簡単に言わないでほしいと思っています。

いったん受容したはずの子どもの障害であったとしても、ちょっとしたきっかけで、親として思い描いていた子どもの成長を失ったような感覚が何度も現れ、そのたびに目の前にいる子どもの姿を受け入れる。

障害を持つ子どもを育てる親の悲しみは波のように何度も何度も繰り返すのです。

 

■思い描いていた子育てと現実のギャップが生む悲しみ

わたしの息子は、小さい頃、「やりとり遊び」をしない子でした。よちよち歩きを始めたころ、公園に連れて行くと、息子は私を振りかえることなくパタパタと歩き回って、わたしは振り返らない息子を追いかけてばかりでした。

同じくらいの年頃の子どもが公園で見つけた石ころをお母さんに見せに行くのを「いいなぁ」「なんでうちの子は・・」と思いながら横目で見ていました。

保育園の参観日。
ほかの子たちが小さなボールをお母さんに向かって転がして、お母さんは子供に向かって転がして・・という遊びをしていました。
でも、うちの子はいつまでたっても私に向かってボールを転がすことはありませんでした。何度息子に向かってボールを転がしても、ボールをつかんだ後は一人でコロコロ・・。

息子が悪いんじゃありません。
転がしっこができなくても大きな問題はありません。

でも、そのときのわたしは、なんだかとてもみじめな気持ちになって、悲しくてせつなくてやりきれない気分になったのです。

私が思い描いていた親子関係は、わたしと息子以外の保育園の子どもとお母さんとのような関係、(ボールの転がしっこができたり、お母さんを振り返りながらとことこ歩く姿)だったのに、私と息子との関係はそうではなくて、そのことがとても悲しかったのです。(息子が持つ発達特性の影響だと後になって知りました。)

 

■大きな悲しみから心を守る~怒りと罪悪感~

こんなはずじゃなかった。
どうしてうちの子は・・。
本当は、もっと違っていたかった。

障害を持つ息子とのかかわりの中で、こんな悲しみを何度も感じました。
悲しい気持ちを感じるは辛いし、本当に嫌ですよね。
そんな嫌な気持ちをずっと感じ続けなくて済むように、私たちの心は「心を守る」ように働き始めます。

「悲しみ」の代わりに「怒り」や「罪悪感」という気持ちを使う・・というやり方で、「心を守る」のです。

わたしの場合だとこんな感じでした。

「本当は、この子とボールの転がしっこしたかったな。できなくてさびしいし悲しい。」

「なんでみんなができることがこの子はできないのよ!」(息子への怒り)

「どうして転がしっこできるように育てられなかったのよ!」(自分への怒り・罪悪感)

「うちの子、思うように育ってくれないのよ!育てるの大変なの!みんなそんな苦労してなくていいわよね!わたしの気持ちなんてどうせ誰もわかってくれないのよ!」(周りの人への怒り)

「わたしがこんな思いしてるのに、何のんびりしてんのよ!」(夫への怒り)

「そもそも、息子とボール転がしができないくらいで落ち込んだりして!情けない!)ひどい母親!」(自分への怒り・罪悪感)

こんなふうにぷんぷん、イライラしていると、「悲しくて切なくて惨めな気持ち」を感じずに済みましたし、悲しいと感じていたことさえ忘れられました。
と、同時に怒ってばかりの自分のことが嫌で嫌でたまらなかったのです。

 

■喪失感や悲しさ、気持ちは話すとラクになる

本当は息子とボールの転がしっこがしたかった。

たったこれだけのことであっても、この悲しみや寂しさ、切なさを話すことはとても怖いことでした。こんな気持ちを話してもわかってもらえない気がしていました。

息子さんがかわいそう・・そんなふうに思われたり、言われたりするかも?と思うと話す勇気も出せませんでした。

重度の障害のため、言葉を話すことができないお子さんを持っているお母さんが
「一度でいいから『ママ』って呼んで欲しいって思うの」
と口に出した時、
「そんなこと言ったら、この子がかわいそうじゃない。」
「お母さん、障害をちゃんと受け入れましょう」
と言われることがあるそうです。

お母さんは、わが子を否定しているわけでも障害を受け入れていないわけでもなく、ただ、心の中にある思いを口にしただけ。

でも、それすら、口にすることができないのであれば、「悲しみ」は自分の心の中にを封じ込めるしかありません。

障害を持つ子どもを育てる中で、なんども感じる「期待していた子どもの死」。
「もし、この子が〇〇だったら・・」という思い。

そんな思いはなかなか話せないものだと思います。

でも、だからこそ、誰にも言えない、その思いを口にしたり、時には涙を流したり・・。
そういう時間や場所がとても大切なのです。

「話すことは放すこと」そんな言葉があります。

話すことで心に閉じ込めていた気持ちが解けていくからです。話すことで怒りや罪悪感がすぅーっと消えて、心が解放されるからです。

カウンセリングがあなたの気持ちを吐き出せる場所になれたらうれしいなと思います。

次週は池尾千里カウンセラーが担当します。
お楽しみに!

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