お料理嫌いは完璧主義だったから!?

最近、お家に彼が遊びに来た時にご飯を作りました。
「せっかくだから美味しいものを食べてもらいたい!」と張り切ったものの…。
お肉の量が多すぎたのか、牛肉の和風トマト煮は、ただの牛丼のような味になりました。

作った私は、すっかりパニックです。
なかったことにして、これから他の物を作り直そうか。
でも、もう彼が来るまで時間がないし謝って近所で何か買ってこようか。
延々と「どうしよう」と悩んでいるうちに彼がやってきてしまいました。

心も胃袋も広くて優しい彼は、おかわりまでして完食してくれました。
本当に感謝以外の何ものでもありません。
「次は、もっと頑張って美味しいものを作ろう」と思っている時に、ふと気付いたのです。

「あれ?私、失敗したのに次にチャレンジしてみようって思っている」

皆さんからすると、失敗してもまたチャレンジしてもいいって普通に思うことかもしれません。
初めてのことだったら失敗って誰でもしますよね。
それに失敗するって悪いことじゃありません。
そこから学んだり「次はどうしよう」「別の方法を探そう」と考えることで私達は成長していけます。

けれど、昔から私は失敗することが苦手でした。
失敗するのが怖くてチャレンジするのがとても怖かったのです。
料理は、その中でも嫌なものの一つで彼氏がいるいないに関わらず避けてきた分野の一つでした。

だからと言っても、最初から怖さを感じていたわけではありません。
ただ、私の実家は田舎で子供の頃は家事は女性がやるもの。
その中でも料理上手であることが、一番に褒められるような風潮がありました。

そんな場所で育っていると、子供の頃から料理をしたら絶対に美味しいものを作って相手を満足させないといけないように私は感じていたのです。
しかも、私のお母さんは家族も親戚も…果ては私の友達まで全員が「美味しい!」というご飯を作る人でした。
その姿は私の憧れでもあると同時に、ずっとプレッシャーを感じていたのです。

「美味しいものを作らないと認めてもらえない」

そのプレッシャーは、いつの間にか私の中でそんな気持ちに変化していました。
そして、そう感じるほど料理をすることを想像するだけで気が重くなって、やる気が出なくなる自分が出てきたのです。

私も娘なので、年頃になると家族も私に料理をすることを求めるようになりました。
でも、学生のうちは「学校が忙しい」「バイトがある」と理由をつけて断っていたものです。
けれど、それが20代の後半にもなるとさすがに「いい加減にしなさい」と言われたのです。

私も、お母さんのように料理上手になりたいと本当は思っていました。
だから「毎週、あなたの仕事がお休みの水曜日には家族分の夕食を作りなさい」と言われた時には、これを機会に頑張ってみようとやっと重い腰を上げました。

でも、やってみた料理は苦痛なだけで楽しさの欠片もありませんでした。
思い返すと、作ったご飯に対して家族から「マズイ」と言われたことは一度もありません。
「美味しい」と言われたことだっていっぱいありましたし、自分でも「マズイ」と思ったものはほとんどなかったのです。
でも何を作っても、褒められても嬉しくはありませんでした。
むしろ、「お母さんの作ったご飯みたいに綺麗な見た目じゃない。手際が良くない。品数が作れない」なんてことを初心者なのに気にしてばかりいたのです。

今ではわかるのですが、その頃の私は「絶対に誰もが認める美味しいものを作らないといけない」と自分で過剰にプレッシャーをかけていました。

「完璧でないと認めてもらえない」

そんなふうに感じていたら、怖くなったり気が進まなくなったりするのも当然かもしれません。
段々と決められた水曜日に料理をしなくなり…それから料理は、一人暮らしを始めるまでずっとしていませんでした。

今になって思い返すと、あの頃の私は、まさに「完璧主義」の心理そのものでした。

完璧主義って言葉を聞くと、私達は何でもちゃんとこなせる人のようなイメージを持ちます。
すぐに何でもできなくても、チャレンジして何でもちゃんとできるようになる人が完璧主義で、そもそも最初からやらない人や途中で辞めてしまう私のような人は「完璧主義」ではないと私も昔は思っていました。

けれど心理学の世界では完璧主義であるほど、「完璧にできない状態」が嫌になってしまうのです。
完璧主義と言うよりも、「完全主義」と言った方がわかりやすいかもしれません。

物事をちゃんとやろうとする完璧主義は、大前提としてもちろん良いことなのです。
完璧主義を持っている人は、どんな人にも「真面目で誠実」「責任感が強い」「どんな場所に出ても大丈夫と感じさせてくれる安心感がある」「頑張り屋さん」そんなふうに周りから見られていることがとても多いのです。

けれど、「完璧じゃないと認めてもらえない」と言う自分を責める気持ちが自分の中で大きくなりすぎてしまうと、成功するまでにチャレンジして工夫して、自分のものにするプロセスを楽しみにくくなってしまうのです。
そして周りからの評価も感じにくくなってしまい褒められても全然嬉しくなかったり、否定したくなっちゃったりするんです。
そうなると、人間関係でも何かしてあげたいことがあっても「私なんか」と感じてしまい、与えることが怖くなってしまったりします。

料理のお話から、何だかとっても壮大な話に発展してしまいました。
でも、それくらい料理がプレッシャーだった私が、彼にご飯を作ろうと思えるまでの自分を振り返ってみると一人暮らしをしたことがとても大きかったのかもしれないと今では思います。

一人暮らしを始めると、どうしても外食ばかりと言うわけにはいかず料理をする機会も自然と増えていきました。
そこで初めて私は「自分のペースで、自分の好きなように作ってもいい」と自分に言ってあげることができたのです。

私は、家族といる時は栄養バランスや彩り、品数とあまりにもハードルを上げて作っていたんです。
でも、一人になると簡単なものを作っても、多少見た目が悪くても、作るのが遅くても誰も何も言いません。

「これでいいのよ」
「自分が美味しいものでいいのよ」
「作りたくなかったら、無理しなくてもいいのよ」

そんなことを、気付けばいっぱいいっぱい言って自分を許してあげていたのです。

だからこそ、彼に作ってあげたいと思えるくらいプレッシャーを感じなくなっていたんです。
でも、自分ひとりだけだとやっぱり「失敗しても」までは、急に思えませんでした。

「次は頑張って美味しいものを」
そこまで思えるくらい失敗の怖さを感じることが減ったのは、彼の存在が一番大きいのです。

彼は何か作ると必ずどこかを褒めてくれるのです。
外にご飯を食べに行っても、お味噌汁は私が作ったものが一番美味しいと言ってくれたりします。

彼が美味しく食べてくれたことが、一番、私の完璧主義を緩めてくれたのです。

もっと早く完璧主義を克服していたら、もっと料理も上手くなっていたかもしれない。
自分でプレッシャーをかけずに、料理だけじゃなくて色んなことに挑戦で来ていたかもしれない。

そんなふうに、今の私は思わないのです。
人よりも挑戦することに時間はかかったかもしれないけれど、今のプロセスで私は幸せなのです。

皆さんの中の完璧主義も、あって苦しいと感じる時があるかもしれません。
でも、そんな完璧主義さんな自分も「そのままでいい」とまずは受け止めてあげたり、好きになってあげていいのです。

その先には、きっと「全部これでいいんだ」と思える瞬間が必ずやってきます。
そんな日を楽しみに待ってみるのもいいのかもしれません。
その時、きっとあなたは完璧主義なんてどうでもよくなるくらい誰かと笑顔でいるはずです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

お客様からは「話していて安心できる」「気持ちが落ち着く、整理できる」と定評がある。自身の過去のいじめから来る対人恐怖(男性恐怖)、過食症を克服した経験を持ち、繊細な感受性でお客様ひとりひとりの心に寄り添い、どんな時もお客様の魅力と光を見続けるカウンセリングを心情としている。