愛犬が繋げてくれた家族の絆

私は、去年の11月に18歳の愛犬を見送りました。
15歳くらいから耳が聞こえにくくなり、2年前から目も見えなくなりました。
犬も人間のように歳を取ると認知症のような症状が出てくることがあります。
我が家のミウも年々様々な症状が出て来ました。

一番困ったことは、夜中に吠えるようになったことでした。
私はマンションに住んでいるので、ペットの飼える部屋でもやはり近所迷惑になってしまいます。

散々悩んだ結果、ミウを連れてしばらくの間、実家のお世話になることにしました。
もともと、私は母親との問題があり、母のことは許したつもりではいるのですが、無駄な衝突を避けるためつかず離れずの距離を取って来ました。

生家は自営だったため居住空間も狭く、私は小5の頃から近くの祖母の家で暮らしていました。
両親と生活するのはそれ以来のことです。
生まれ育った家からも引っ越しもしているので今の実家に一度も住んだことがありません。

両親、特に母親とはお互い気を遣う生活になるだろうなと思っていました。
「めちゃめちゃ嫌だな~」でも、それ以外の方法が見つかりません。
人生の後半に差し掛かったところで思いがけず、両親と暮らすことになったのです。

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その当時、偶然にも弟が家族のトラブルで実家に戻って来ていました。
私は弟と暮らすのも40年ぶりで、一緒に暮らした頃の記憶はほとんどありません。
両親は弟のことで頭を悩ませていました。

ふだん、遠く離れて暮らしている私ですので、何か役に立てないかと力戦奮闘を始めたのですが、問題は複雑で弟は抑うつ状態、父はノイローゼに近い状態、母は不安で暗く沈んでいました。
気づけば、私はミウに加え3人のフォローをすることになっていたのです。

アドラー心理学に「課題の分離」という考え方があります。
私たちは親やきょうだい、子供であっても自分以外の人生を生きることができません。
ですので、その問題や課題に対して最終的に誰が困り、責任を取ることなのかを仕分けして複雑からシンプルに整理していくものです。

私自身、両親と弟の問題をまるで自分の問題かのようにとらえてしまい、とても苦しい状態に陥ってしまったのです。
課題の分離ができないと、私自身が困るだけでなく、抱えきれなくなって投げ出してしまったら、両親も弟もこれまで以上に困難な状況に追い込まれてしまったかもしれません。

それに気づいた私は、一旦、両親、弟、私を切り分けて、それぞれどんな課題があるかを考え、必要以上に人の課題に踏み込まないようにしました。
それを両親にも説明しました。
例えば、父には「今、弟が決めたことを対して、お父さんが弟の未来の責任までを取る必要はないんだよ」
心理学とは縁遠い父が理解できたか分かりませんが、毎日何時間も話をしました。

おのおのができる範囲のことを精いっぱいした結果、完璧とはいかないまでも、何とか折り合いのつく形に落ち着くことができました。
弟は実家を離れ、父のノイローゼもすっかり治りました。

弟の一件で両親と弟とたくさん話し合い、バラバラだった家族がまとまっていきました。
ミウはささくれだった私たちの気持ちを柔らかい雰囲気で包んでくれていました。

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実家で暮らし始めて半年が過ぎた頃、自宅のことで一度帰宅しなければならなくなりました。
しかし、夜鳴きをするミウを連れて行くことができません。

そこで、両親と妹家族が数日間ずつミウを預かってくれると言ってくれました。
妹には2人の子供がいるのですが、下の小学生のリナがミウをたくさんかわいがってくれました。
リナは産まれつき難病を患っていますが、とても強い子です。

遠距離のため、これまでリナとは年に1度会うか会わないかで、私には懐くことはありませんでした。
でも、ミウを通してリナともとても仲良くなれました。
女の子が欲しかった私は姪ってこんなにかわいいんだなと心から思うことができました。

私の息子はすでに独立しているので、時おり寂しくなっていましたが、今はリナが自分の娘のように感じられます。

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ミウのおかげで次々と家族の絆をつなぎ直すことができたのですが、とうとうミウと別れの日が来ました。
「しばらくの間」のつもりが実家暮らしは9ヶ月になっていました。

亡くなる数日前のことです。
ミウの夜鳴きがなくなったので、私はミウを連れて自宅に戻ることを決めていました。
しかし、段ボールに荷物を全て詰めて送った直後から、ミウの容態は悪化し始めたのです。

「もう、帰りたくないんだ」と思い、自宅に連れていくことを諦めました。
しかし、荷物は翌日には自宅に届いてしまいます。
その頃ミウの体調も良く、こんなことになるとは予想外で予定も入れていました。

ミウの薬も病犬用の餌もオムツも実家にはありません。
仕方がなく一旦、私だけ新幹線で自宅に戻ることにして、キャンセルできない用事だけ済ますことしました。

再び、実家に帰って来る前に亡くなることも覚悟していました。
しかし、3日後、実家に戻った時には、ミウは水さえも飲むことができませんでしたが何とか生きていてくれました。
「待っていてくれてありがとう」

そしてその翌朝、ミウは私の腕の中で静かに息を引き取りました。

この3日間、両親、特に父がミウの面倒をみてくれていました。
実家で暮らすようになって、私は大好きだと思っていた父にも怒りがあったと気づいていました。
子供の頃、母と問題が起きてもいつも父は助けてくれなかったという思いです。
そんな父に優しい言葉をかけられないこともありました。

でも、父は私が戻るまでミウの横に布団を敷き、夜中も起きてくれていました。
もしも、父が見守ってくれていなかったら、私はミウに再び会うことができなかったかもしれません。
今は、両親に対する怒りもすっかり消えてなくなりました。
ミウは私の全てのわだかまりを取り払って、天国に旅立ったんだと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛、夫婦関係、親子関係などの対人関係全般を幅広く扱う。 モットーは「母のように優しく、どんなネガティブな感情も否定しないで受け止める」であり、その包容力やきめ細やかなサポートに定評がある。 「とてもリラックスできる」「自分でいられる」など、安心感に包まれる時間を提供するカウンセラーである。