パートナーを幸せにしたい人のための恋愛心理学(2) 〜相手の欠点が許せないときの処方箋〜

相手の欠点が許せないときは

パートナーを幸せにしたいと願い日々頑張っているのに相手の欠点ばかり目に付き、ケンカを繰り返す人がいます。心では愛したいのだけれど、つい相手にカチンと来てしまうというパターンです。これは一つのヤマアラシのジレンマだといえます。

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恋愛や夫婦関係のご相談を伺いますと、つい「パートナーと言い争いになってしまう」「相手のことを強く否定してしまって後悔している」なんて話と出会うことがあります。

もちろん誰も大切な人のことを傷つけたいとは思わないでしょう。しかし、些細なきっかけやお互いの我慢のチリツモの影響で、つい相手に対して否定的な言動をしてしまったり、「なんであなたはそうなの?」と詰め寄ってしまったり、「君は僕のことを何も分かっていない」なんてことを言ってしまうことがあるようです。

やはりケンカばかり続けていると、なかなか幸せを実感できないですし、パートナーを幸せにしたいと願っていてもそれが叶わなくなります。

どうしてそんな事が起きるのかについて解説していきます。

 

相手の欠点が許せない〜ヤマアラシのジレンマ〜

パートナーとのケンカのうらには「自分がどれだけ正しいことをしているか」という気持ちが隠れていることが多いものです。

多くのオトナは、相手のためになにかしている事が多いものですよね。愛する、ということだけでなく、自分の気持ちより相手の気持ちを優先していたり、しっかり稼ぐために努力していたり、相手のことを思って行動することが多いと思います。

だからこそ、パートナーと長く過ごすうちに「相手の至らない点」が目に付き、気になる始めることが少なくありません。

例えば、昨今のテレワークでともに家で過ごす時間が増えてきた男女がストレスを溜め込む理由の一つがここにありそうです。

自分が普段、自分の良心に従い正しいことをしていると思えば思うほど、相手の至らない点が許せなくなる。

これは心理学の中でよく使われる比喩の一つ「ヤマアラシのジレンマ」だといえます。

ヤマアラシのジレンマとは「体に鋭い針毛を持つヤマアラシは、互いに寄り添い合おうとすると自分の針毛で相手を傷つけてしまうため近づけない」というジレンマです。

これをパートナーとのケンカに応用するならば、「パートナーの欠点を見つめて嫌い続けている限り、互いに寄り添おうとすると相手を傷つけてしまうようで近づけない」という状態になるのです。

だから、「私をこんなにイライラさせるのはパートナーだ」と感じ、更にケンカが激しくなり正しさをぶつけ経ったり、自分の正当性を主張したり、相手の至らなさを指摘しては文句をいう、なんてことも起きるでしょう。

しかし、問題は相手の至らなさではありません。どんな人にも至らない点は存在するからです。

問題の本質は「パートナーの欠点ばかり見つめて嫌い続けている自分」にあります。

私達の深層心理には自尊感情があり、「愛する人の役に立ちたい」と願う分だけ、そうなれない自分を許せないでいる、と言われています。そんな自分には愛する価値も愛される価値もないと自分を責めてしまうことがあり、自分を責めたくないときにパートナーを責めていることが多いのです。

ただ、この事実を「パートナーの欠点を嫌い続けている自分が悪い」とだけ解釈すると少し厄介です。確かに相手を責め続けた結果、そんな自分を許せないと感じ続けていると「相手が私に欠点を見せつけるから(その欠点を直さないから)私をこんな嫌な気分にさせている」としか解釈できず、被害者意識だけが強まってしまうからですね。

そうではなく「どうしても相手の欠点が目についてしまい、相手の欠点を愛せなくなってしまった自分に罰を与えているから嫌な気分になる」と解釈するほうがいいでしょう。

相手の欠点ですら愛したいのは自分なのです。しかし「相手の欠点を愛せない自分を感じることが苦しい」からこそ起こることがケンカなのです。

そう考えると「相手の欠点が許せない」と思うことは、「相手の欠点を愛せない自分が許せない」と思い続けていることにほかならず、この状態を続けていても自分から愛する人に近づいたり、親密感を感じることが難しくなってしまうのですね。

 

欠点は罰するのではなく愛することが求められる

このように考えいくと、相手の欠点を許せないと思い、自分の気持ちを誤解し、コントロールできず、愛する人とケンカしてしまうこともまた私達の欠点かもしれません。

ただ、この欠点は罰するものではなく愛を向ける必要があります。

それは自分にも他人にも同じです。

もし、相手の欠点を愛せない自分を罰すればより苦しい気持ちになるでしょう。まるで自分は愛がないような存在だと感じることになるかもしれない。

しかし、その自分を理解し、受け入れることができたなら。また、そんな欠点のある自分を受け入れ愛してくれた人を思い出すことができたなら、「相手を愛せないことで自分を罰していたのは自分だ」と気づけるでしょう。

すると、相手の欠点を受け入れることができない自分を責めるほど、本当は愛したいと願っている偉大な自分に気づけるでしょう。

そしてそれはケンカ相手のパートナーも同じかもしれませんね。

だから、カウンセリングの世界では「ケンカが起きているうちはまだ復縁の可能性があるかもしれない。しかしケンカすらなくなって関係が冷たくなってしまったら、復縁はかなり難しい」と言われるのです。

なぜなら、ケンカが起きているうちはまだ「相手のことを愛したい」という気持ちが消えていない可能性があるからですね。

(続)

この記事を書いたカウンセラー

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年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。