職場で必要とされていないと感じるとき

職場で過ごす時間というのは、寝ている時間をを除くと、起きている時間の大半を占めてしまいます。
生活の中で大きなウエイトを占めていますので、この職場環境が居心地が良いかどうかはとても重要なことだと思います。

その職場で自分が必要とされていないと感じだすと、とても辛くなると思います。
どうしてこんな感情がでてきて、どのようにすればいいのでしょうか?
考えてみましょう。
 

居場所といってもいいかもしれません。
職場の中に、ここに自分がいてもいいんだよという場所があると安心できるし、そこにいても自分らしく振舞える。
のびのびとそこにいることができる。
それは周囲の人からも、そこがあなたの居場所だよと思われていると感じられるからそこにいることができる。

ここで重要なことは周囲の人たちがそう思っていると言うことではなくて、自分が周囲はそう思ってくれていると感じられるところにあります。
 

わたしは40年ちかくサラリーマンとして生活してきました。
その中で、一度だけ、すごく疎外感を感じたときがあるのです。
それは大阪から東京に転勤した時のことです。

転勤というものはサラリーマンにはつきもので、それまでも何回となく転勤の経験はあったのです。
ところがその転勤ではそれまでは感じたことのない疎外感を感じました。
わたしは関西の出身なので、東京のことばになじめなかったというのがあるのかもしれません。
よそよそしさや冷たさを感じたのですね。
だれもわたしのことなんか気にしていない、とわたしは感じたのです。

そう思ったわたしは、その場所にいたたまれなくなりました。
確かにフロアに自分の席はあるのですが、針のむしろに座っているように感じたのです。
結果として、心を閉ざして孤立していき、わたしはその職場を退職しました。
そのときは辛い退職だったのですが、後から考えてみると、わたしに退職を促すためにそういう環境に身を置くことになったと思っていますが、それはまた別の話です。
いずれそのことについてもお話をする機会があるかもしれません。
 

さて、仮の話です。
もし、当時の転勤先の仲間たちにインタビューをしたとしら、どんな返答が返ってきたでしょうか?

わたしはあなた方の仲間ですか?と尋ねたら、もちろん仲間です、と返ってきたと思います。

わたしは、あなた方の間に隔たりを感じるのですが?と尋ねると、彼らも、わたしたちも隔たりを感じます、と返ってきたのではないかと思うのです。
わたしが、だれも自分のことを認めてくれていないと思っていたように、彼らもわたしから認めてもらっていないと感じていたのではないかと思うのです。
わたしと彼らの間には大きな溝がありましたが、その溝を埋める行動をしてはいなかったのです。
新しい土地、職場だったのでわからないこともたくさんあったはずです。
でもそれを聞いて教えてもらうこともしなかった。
彼らと距離を感じたのは、わたしが心を閉ざしていたからかもしれないのです。

人は、興味関心を持ってあげると、認められたように感じて嬉しいものです。
何か少し教えを乞うていたら少しはきずなが生まれていたかもしれない。
素直に、教えてという甘える勇気があれば違っていたかもしれません。
 

職場の雰囲気というのは、職場職場で違います。
その職場のメンバー全員が混ざり合ってでてくるのがそこの雰囲気です。
自分が新たに加わることでまた違った雰囲気になっているはずなんです。

その雰囲気の中で自分の色をどうだしていくか?自分という存在をどうアピールしていくか。
アピールすることで周囲の人に自分という存在を理解してもらえる。
周囲の人にとって、理解できない人とはコミュニケーションがとりにくいだろうと思うからです。

殻に閉じこもるのではなくて、殻を脱ぎ捨てる。
そうすることで職場の雰囲気の中に溶け込めるのではないかと思います。

周囲にとって自分という存在をわかりやすくすること。
ここに意識を向けて行動したら、わたしに興味関心を示してきた人が増えてきていただろうなと思います。
そのために、少しの甘える勇気と少しの素直さがあれば良かったかもしれません。

お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

職場や家族間の対人関係、パートナーシップ、自己肯定感の実現を得意としている。欠点としか思えなかったことを長所に変えるものの見方の提案と、楽になるためにの考え方の提案を行う。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。