ついつい人の目を気にしてしまう心理

人の目・表情を気にしすぎてしまう理由とは?

ついつい人の目・表情を気にしすぎてしまって、自分らしく振る舞えなかったり、自分は変だと思われているんじゃないか、といった思いを感じては、生きづらさを感じている方もいらっしゃるかもしれません。
では、なぜ人の目を気にしすぎて生きづらさを感じてしまうのでしょうか。その心理とパターンについて解説していきます。

■人の目が気になるパターンについて

さて、「人の目・表情を気にしすぎる」理由は大きく分けて2つのパターンに分けることができます。

・自分のことを否定的に見られているという意識

私は人に「笑われている」「責められている」「バカにされている」「悪く思われている」など、まわりの人からそのように見られることで嫌な感情を感じるパターンです。

・自分をよく見られたり、高く評価されることに対する意識

自分のことを良く見てもらえるとうれしいものですが、つい「みんなが思うほどすごい人じゃない」と言いたくなったことってないでしょうか。

これは、自分が思う「自分」と、他人が見る「自分」の違いに違和感を感じていたり、周囲からの期待や羨望の目から逃れたい気持ちが強くなり、人の目を気になるパターンです。

これらは、「自分が嫌な感情を感じないため」の一つの方法です。

どちらも「人に見られているという意識」を持つことによって「嫌な感情」を感じるところから、「嫌な感情」を感じないようにするために、人の目を気にするようになっているのですね。

 

■嫌な感情を感じる理由とは

こうしたパターンのルーツを探ると、子供時代の経験が影響しているケースが代表的な事例となります。

そもそも子供は、両親など、大人の顔色を伺いながら生きています。

それは、両親などの大人が好きだから、という理由もありますが、両親などの大人に「依存」していなければ生きていけないという事情もあるわけです。

もちろん、子供が依存的に生きることになんの問題もないですし、大人に教えてもらわないとできないことはたくさんあります。

しかし、子供は、大人の言動の動機・真意をすべて理解できるわけではないのです。

例えば、大人が大人の事情で起こしている行動(例えば怒っている、など)も、自分に向けられた感情として反応します。

もちろん、子供を教育する意味で起こしている行動(しつけの意味で怒っている、など)も、自分に向けられた感情として反応します。

その過程で、例えば「親(大人)はいつも怒っている」「親(大人)はいつも取り合ってくれない」としたら、「自分が悪い子だからだ」というような誤解をしてしまう事も起こります。

ここで子供の内面に罪悪感や無価値感が生じます。自分は「愛されない存在」「自分は悪い子(人間)」「幸せがふさわしくない」と、あたかも真実のように思い込んでしまうことが起こるのですね。

その結果、「自分は悪い人間だとバレてはいけない(人に見られることで耐え難い感情を感じる)」ので、人の目を気にするようになっていく、という考え方ですね。

そのため、自分を隠すように、人の目を気にして、自分の意見や行動を相手に合わせるようになっていくわけです。

もちろんこの考え方は一つの例であり、人によっては、失恋、離婚、挫折など、別の事情で人の目を気にするようになったと認識されるケースもあるでしょう。

ただ、その心を深く見つめていくと、子供時代にどのような経験をしたかというパターンが色濃く影響していることが多いともいえます。

例えば、子供の頃から、「親は今、何を考えているんだろう?怒っていないかな?」の顔色を伺っていた人がいたとすれば、「相手の顔色を伺うことなく自分を受け入れてくれる人がほしい」と願うこともありますよね。

そういった思いを持ちながら、恋愛し、残念なことだけれど別れという現実がやってきたとしたら、別れが大変なショックとなる場合もありますね。

しかし、その別れの理由が「自分のことをどう思っているのだろう?ちゃんと受け入れてくれているのかな?嫌な気分になっていないかな?」と、相手の顔色をうかがいすぎていて、言いたいことが言えなかったり、相手を疑うような素振りを見せたことが重なって、次第に別れにつながったとしたら、これは同じような、人の目を気にするパターンが影響していると考えることができる、というわけです。

こうした子供時代の痛みや誤解を理解し、一度受け容れ、もう一度自分を見つめ直していくと、徐々に人の目が気にならなくなっていくことも多いです。

何より大切なことは

「相手がどう思っているか」よりも「自分が今、相手に対して何を表現したいか」を優先していけるようになること。

相手がどう思っているかを理解することは大切なことですが、自分がどう思われるかで理解しても、相手も嬉しくないですし、何より自分がとてもしんどいです。

その行動動機が怖れや罪悪感になっていますからね。

そもそも「自分自身が感じている罪悪感が誤解なのだ」と癒やしを進めていくことで、自分の気持ちを相手に伝え、自分から相手を理解するという方法が使えるようになっていきます。

すると、「自分がどう見られているか」は、自分にメリットのある形で使うこともできるようになっていきます。

 

■もう一つの「人の目を気にする」の意味

「人の目を気にする」の、もう一つの意味とは、「見られている」という感覚を使って、自分自身のセクシャルエネルギーを活性化させることです。

「人に見られる」ことを、自分を高めるために使うというわけです。

どこか「見られているな」「人にどんな自分を見せたいだろうか」と考えることで、与える意識が強まったり、自分自身も背筋が伸びる感じがしますから、自分を高めていくことも可能になっていきます。

たとえば、「どんな自分を表現していこうか、相手をいい気分にさせたいな」という意味で、身だしなみ、おしゃれを意識したり、自分自身のスタイルや言葉の使い方、振る舞いを意識していくことは、いい意味での怖れ・緊張感を自分自身にもたらし、自己表現への意識も高まることから、自分自身のセクシャルエネルギーを活性化させる事につながるのです。

この考え方の主体は「自分」となりますから、自由さや開放感を感じられ、自分を表現することができる分だけ、とても生きやすくなっていきます。

つまり、「人の目を気にする」という言葉には2つのケースがあるといえます。

「人に見られることで耐え難い感情を感じる」場合と、「見られている意識を使って自分を高めている」場合です。

どちらも人に見られることで怖れを感じるものですが、その怖れの意味や使い方が違うというわけですね。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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浅野 寿和

年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。