ゆーきさん、こんにちは。 初めまして。ご相談を担当させて頂く大谷です。 よろしくお願いします。さて、思い入れがあるものが無く、辛いことがあるだけとうのはそれ自体がとて も辛い状況ですね。 無味乾燥の砂漠の中に住んでおられるようなイメージが湧きました。 更に言えば、砂漠の真ん中にある辛うじて生きられる程度のオアシスの中におら れて、さてここから旅立つべきか否かを迷っておられるような感じです。 きっと、周りにはずっとずっと砂漠が続いており、この辛うじて生きられるよう なオアシスを出ると生きられないかも知れない、でも、このオアシスを出ないと 自分が本当にこうありたい、こう生きたい人生を送れない。砂漠の先にはもっと 楽しい、豊かな世界が広がっているかも知れないという葛藤の中におられるよう に感じます。 ところで、人の前進を阻むものは怖れしかありません。 怖れがあると、考え込んでしまい動けなくなってしまいます。 ゆーきさんは客観的にご自分の事を分析されています。ご自身と向き合っている 証であり、とても凄いなぁと思います。しかし他方、結論が出ないことを考える のは防衛のためです。防衛のために色々考えることは、目的が防衛ですから最悪 の状況を想定することになり、良い状況は浮かびません。 ゆーきさんは、それを”意味”を考えるという側面から行っておられて、動かない ようにされているような気がします。 人生の意味・・・それは人により様々ですが、1つだけ共通していることに絞る とすれば、それは幸せな人生を送ることです。生物としてとか、人間としてとか の大いなる意味は存在しません。 換言すれば、ゆーきさんがいかに人生を楽しむか、という事なのです。 ゆーきさんは、今までの人生から外は砂漠が続いていると感じられているのだと 思います。 しかし、現実はそうではありません。 思い切って砂漠を突っ切る決意をしてみてください。 そこには本当の意味でのオアシスもある広大な世界が広がっています。 本気で一歩を歩み出すと決意しない限り、その世界には到達できないのです。 もちろん、道に迷う事もあるでしょう。それが人生というものであり、成長する 為の糧でもあります。 そのときには、道を間違った自分を責めるのではなく、これも1つのプロセスな のだと考えて受け容れていくことです。 何も失敗しない完璧な人間など世の中には存在しません。失敗は新しい自分、成 長した自分を生んでくれます。 “完璧”にこだわらず、勇気を持って進まれてはいかがかと思います。 大工さんが木を削るのに使う”カンナ”という道具をご存知でしょうか? カンナは、木をどの厚さで削るかによってその刃の出方を調整します。 この刃を大きく出し過ぎると、木に引っかかって刃が前に進めなくなります。 刃を少し引っ込めると、また削れるようになります。 考え込むというのは、このカンナの刃を出し過ぎて前に進めなくなった状態と同 じになります。 ぜひ、「まぁこんなものか」というような気楽な気分で、「結論が出ないことは 考えない」という事を実践してください。その為には、考え始めたら「~と思っ た。(マル)」という感じで考えを切る練習をしてください。永年やってきた癖 ですから、簡単には癖を直せないかも知れません。 でも、諦めないで続けてください。 そうするとやがてこの癖から抜けることができるようになります。 ゆーきさんは、今まで考えて、考え抜いてこられた方ですから、考えるのを止め ることは怖い事だと思います。 でもそこは、勇気をもってチャレンジしてみてください。 最後に、必ずしも人と同じ形や方法で人生を生きる必要はありません。そう言う 意味では今のやり方でこのままを生きるというのも立派な選択だと思います。し かし、何かご自身の中で違和感を感じるのであれば、それはゆーきさんが選択を するときなのだと思います。 回答がお役に立てれば幸甚です。 ありがとうございました。 |