タイミングが悪いことや生きづらさ

相談者名
そら
こんにちは。

私はなんとなくタイミングが悪いことに遭遇する機会が多いような気がします。
例えば、電車の始発で並んでいるのに変な人に割り込みされたり、普通に座っていても、熟睡して寄りかかられたり隣に大きな人が座って窮屈になったり。
ドア側に立っていて降りる時に押されたり…

もっと前は電車の斜め後ろで喧嘩を始めた男性同士が殴り合いのようになり、その流血が服につく。駅の階段を下りていたら若い男性が突然吐いて飛び散りズボンの裾について落ちなくて服を捨てる羽目に合うなど散々です。

私は普通にしているつもりなのに、嫌な目に遭うことが多いです。
あまりにムカついてしまうと暴言をボソッと吐いてしまうこともあります。

最近は不条理な世の中にも腹が立って仕方ありません。
ルールを守っている人が嫌な思いをして、平気で人を押しのけるような人がのうのうと生きていることが許せません。

事件事故、毎日のようにニュースで見るたびに何も悪くない人が死んだり傷ついたりしていることが許せません。

どうして、ちゃんとしている人が嫌な思いをしなければならないのでしょうか?
人殺しは幸せになる権利があるんですか?
だとしたら、勝手な理由で命を奪われた人はただの犠牲になっただけで
その人にも将来や人生があったあずなのに、どうゆう解釈をしたら良いのでしょうか。
残された家族はどんな思いでこれからの時間を送らないといけないのでしょうか。
救われることなんてありますか?

はっきり言って私は、世の中不公平だと思いますし、不幸な人はずっと不幸なままだと思います。

辛い苦しい思いをして生きていて何の意味があるのでしょうか。

人は何のために生まれてきたのか私には全然分りません。

カウンセラー
小倉健太郎
そらさん、はじめまして。
担当をさせて頂きます、小倉健太郎と申します。

文章、何度も読ませて頂きました。
まず初めに、そらさんに伝えたい事を伝えさせて下さい。

「そらさん、よく頑張った!えらい!」

いきなり、一体何の事かと思ったかもしれません。
けれどもこれは、私がそらさんに一番伝えたい言葉です。

そらさんの文章を読んで思うのですが、私もこんな気持ちになったことは、過去何度もあります。
あまりにムカついてしまうと暴言をボソッと吐いてしまうという気持ち、これもわかります。

しんどいときって、誰でも暴言を吐いてしまいたくなるものかと思います。
なのに、そらさんは、我慢して我慢して、それでも耐えられなくてついついボソッと吐いてしまった暴言を、「してしまった。」と後悔するところに、そらさんが、いかに実直で、信頼できるかということが、よくわかりますね。

そして、そらさんが書いてくれた、「不幸な人はずっと不幸なまま」という言葉、どうしてこう思ったのかも、気持ちはすごく、よくわかります。
そらさんは、ずっとずっと頑張ってきたんですよね?幸せになろう、世の中を良くしようとして、ずっとずっと頑張ってくれていたのではないですか?

それでも何も変わらなかったし、ちっとも幸せになれなかった。
だからこそ、「不幸な人はずっと不幸なまま」と感じたのではないですか?

だから、言いたいんです。

「そんな風に感じるまで頑張ったそらさんは、えらい!」

世の中には、結果だけを見れば、たいした苦労や、努力をしていないばかりか、そらさんが書いてくれたように、平気で人を押しのけるような人のほうが、真面目で実直にやっているひとよりも、うんといい結果を得ていたり、うんと高い評価を得ている事はあると思います。

でも、卑怯な事をして、表面的な結果だけを得ても、何の意味もないし、例え周りがどれだけ評価しても、その結果に意味が無い事は、本人だけはよく知っているから、とても虚しいものだと思います。

例えば、「カンニングをして100点ををとる。」とか。
そんな事をしたら、周りからすごいなと褒められても、何の意味も無いと思うのですね。

そして、今回のご相談内容を見ると、こんな風に世の中の不条理さを嘆くそらさんは、本当に実直な方なんだと思います。
そして、こんな不条理な世の中に必要なのは、「平気で人を押しのけるような人」や、「人殺し」ではなく、そらさんのように、真面目で実直な方なんだと思います。

そらさん、お願いします。もう一度、考えてみて頂けないでしょうか?
そらさんは、一体何のために、何をそんなに頑張っていたのかを。

そらさんが、何かの目的意識を持って一生懸命頑張っていたと、勝手に決めつけてしまっていますが、この文章を読むと、私にはそうとしか思えないのです。

そして、是非またその目的を達成する為に、そらさんの努力を、情熱を注ぎこんで欲しいのです。
なぜなら、それがそらさんが生まれてきた目的で、意味ではないかと感じるからです。

最後にもう一度言いますね。

「カンニングをしてとった100点」と、「努力に努力を重ねてとった60点」。
どちらが価値があると思いますか?

私は、努力に努力を重ねてとった60点のほうが、断然価値はあると思います。
そして、今のそらさんは、このどちらかかと言われれば、「努力に努力を重ねて60点をとっている人」の方だと思います。

そんな風に考えると、世の中には「平気で人を押しのけるような人」や、「人殺し」もいる事は否めませんが、だとしても、そんな人達には何の価値もなく、そらさんや、おそらくは日本人の大多数の人々のように、結果は思わしくなくても、真面目に実直に頑張っている人のほうが、断然素晴らしいと思いませんか?

私は、そらさんに言いたい。そして、贈りたい。

「そらさん、よく頑張った!えらい!」

今回は、ご相談ありがとうございました。
何かしらの参考になりましたら、幸いです。

小倉健太郎

この記事を書いたカウンセラー