お金を支払わないと心開けないのが空しい

相談者名
サトシ(36)
僕はキャバクラ、病院、英会話、風俗など、お金を支払っていつも自分を元気にしたり癒されたりしてます。教室の先生も、水商売の店の女の子も、とても僕に優しい言葉をかけてくれるし、よくしてくれます。好きだと言ってくれます。
僕もそういう人たちに支えられ、そういう人達になら、本心が吐けます。本当の自分でいて良いと思えます。
彼女とか恋人ができたことないし友達もいません。
お金支払い無しで僕に優しくしてくれる人間はいません。
もしかしてあたりまえのことですか?

どんなに癒されても楽しくても「この人達はお金を払わなければ会うことすらできないひとたちなのだ」という辛さで頭いっぱいになります。皆、僕に優しくすること、おしえること、治すことが仕事です。でも仕事だからやってもらえてるとおもうと、その時間が終わってひとりになった途端涙が溢れそうになります。

最近は優しくされるのすら辛くなってきたので行くのやめようと何度も思います。でもお金を払って作っている時間でも僕にとってはかけがえのない居場所なのでやめられません。

お金が惜しいわけではないです。 そのひとたちの仕事を侮辱してることになりますか?どうやったら割りきってその時間を楽しめますか?ご教授ください。乱文すみません。

カウンセラー
近藤あきとし
サトシ(36)さん はじめまして。
カウンセラーの近藤あきとしと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

>お金が惜しいわけではないです。
そのひとたちの仕事を侮辱してることになりますか?
どうやったら割りきってその時間を楽しめますか?
ご教授ください。乱文すみません。

サトシ(36)さんにお聞きしたいのですが、
割り切らないといけないのはなぜだと思いますか?

割り切るというのは頭と心を切り離して、これはこういうものだと
感情抜きに納得しようとしていることだと思われます。
サトシ(36)さんの心が感じてしまったら良くないことがあるとしたら、
それはどんなことなのでしょうね?

もしかしたら、それは本当の意味で満たされていない自分自身なのかな?と私には感じられました。

お金を払っているから、優しくしてくれる。分かるように教えてくれる。
興味を持ってくれる。癒してくれる。気持ちよくしてくれる。

だけど、お金を払っていなかったら・・・

そう考えると寂しくて仕方がなくなって、
お金を払ってでも心に空いた空間を埋めたいと思ってしまうのかもしれませんね。
そしてまた、優しさをもらいに行くことになって、すると今度は虚しかったり惨めな気もしたり・・・

サトシ(36)さんの心のなかに
「自分なんて誰も愛してくれない」
「受け入れてくれる人なんて誰もいない」
いつもそんな思いが渦巻いてはいませんか?
そんな自信の無い自分を、サトシ(36)さん自身が嫌ってはいないでしょうか?

寂しい気持ちに耐えられそうにないとき、
一時的な手段で癒すことができたとしても、
本当の心と心のつながりやあたたかさを感じられなかったとしたら

「やっぱり誰も僕のことなんて、満たしてくれない・・・」

そんなたまらない気持ちで、よけいに寂しさが増してしまうこともあるでしょう。
もしかしたら、そこには大きな絶望があるかもしれませんね。

私たちは心に何らかの痛みがあって、その絶望が大きいほど、
色々なやり方でその感情を感じなくて済むようにするんですね。
サトシ(36)さんが、寂しさや満たされない思いを
まともに感じたくない場合と思っていたとしたら、
何かを使って麻痺させていることも考えられるんですね。麻酔でも使うかのように。

キャバクラや病院・英会話で優しい言葉をかけてもらえると、
受け入れてもらっている安心感や大切にされていると感じられて、
その瞬間は寂しさが薄らいでいきますよね。

ただ、しばらく経った後で、
あれは仕事上のサービスだから優しくしてくれているのかもしれないと思うと、
ふたたび寂しさが蘇ってきたり、自分は何をしているんだろうという虚しさが溢れてきたり
また麻酔が必要になるというサイクルなのかもしれません。

またセックスは親密感のシンボルですし、強いつながりを感じることが出来ますので、
一時的なものだと分かっていても、何度も求めてしまうこともあります。

そういった強い刺激が必要なくらい、サトシ(36)さんは寂しさを
心の中で切り離して麻痺させて、なかったことにしてきてはいなかったかな?
と自分の心に聞けるとしたらどんな感じがするでしょうか。

あるいは「寂しいのに寂しいと感じない」ように抑え込まないといけなかったとしたら、
ひょっとしたら、ずっと以前にとっても愛情をかけてもたいたかったのに、
もらえなかった時代があったのかもしれませんね。

今、サトシ(36)さんにとって必要なことがあるとしたら、
それは寂しさを受け入れていくことではないでしょうか。

私たちが子どもだったら、自分の寂しさはなかなか
受け入れきれないかもしれませんね。
親や周りの大人にかまってもらわないと、
自分の機嫌すらどうにもできないのが子どもですから。

それに対して、私たち大人は自分の感情を受け入れることができるんですよね。
感情を表現することで、相手に伝えたり、助けをもとめることもできます。
例えば、自立的な男性が「寂しいから一緒にいて欲しい」と言えたら、
私は素敵だなと思いますよ。

寂しさを乗り越えていくのに大切なこと、
それは、サトシ(36)さんが周りの人たちに優しさを表現することです。

話を聞いてあげるでも、メールをすることでも、しばらく会っていない人に
手紙を書いてみることでも何でもかまいません。

相手に何かを与えたいという気持ちによって、心の中の「寂しさ」が優しさと愛情で埋められていくんですね。

もちろん相手の事情もあることですので、受け取ってくれることもあれば、
そうでないこともあります。でもサトシ(36)さんの、その心の姿勢じたいが、
「自分から近づく」「自分から関わる」意識の変化になり、感じることも変わり
生き方も変わっていくことになるでしょう。

とっても勇気がいる試みですが、寂しさや虚しさを知る人は
その裏の親密感や満たされる感覚を誰よりも大切に扱える人になれるはずです。
誰よりも、その辛さ、惨めさを知っている分だけ、
その反対側にあるものが、人にとってかけがえのない価値であることを肌で実感しているでしょうからね。

誰かとつながることを自然に選んで、たくさん笑顔の中心で
笑っていられるサトシ(36)さんになれることを祈っています。

今回はご相談ありがとうございました。

近藤あきとし

この記事を書いたカウンセラー

About Author

超自立男性との恋愛・コミュニケーションに関わるお悩み・慢性的な生きづらさの解消などを得意とする。 理論的な“心理分析”と、感覚を使った“心理セラピー”を活用する多面的なサポートが好評。 問題の裏に隠れた「真実の物語」を読み解き「自分の本質を生きる」ことを目指すカウンセリングを提供している。