罪悪感の心理学3~“自分は毒である”という観念~

罪悪感の一つに“自分は毒である”という観念があります。

これはパートナーシップなどで、大切なものを遠くに置いてしまう心理です。

罪悪感の一つに「自分は毒である」という観念があります。
「自分は穢れてしまっている」ような感覚のことです。

「私はあなたを愛する資格が無い女」とか「あなたに愛される資格のない女」と感じて、好きな人から距離を置いたこと、そうされたことのある方は結構多いのではないでしょうか?
無価値感が「愛したり、愛される価値なんて無い」と感じさせるのに対し、罪悪感は「愛したり、愛する資格が無い」と感じさせるんです。

●パートナーは遠くに、あるいはガラスケースに。

自分が毒な存在だとしたら、自分の愛する人をどう扱うでしょう?
自分の近くに置きますか?
それとも・・・。

そう、自分が大切にしたいものであればあるほど、遠いところに置こうとします。

大好きなものを遠くに置くのは辛いものです。
でも、自分の近くに居て、その毒で相手を苦しめてしまう、穢してしまう、と感じたら、相手を守るためにあえて距離を取ろうとし、自分に近づけさせないようにしてしまいます。

暴力や暴言を使う場合もあれば、わざと嫌われるような行動を取る場合もあります。
まるで「私は穢れた存在だから、近くに来ちゃ駄目」と言っているように。
自分でもそんなことを言えば嫌がられるって分かってるのに止まりませんし、あるいは、相手がどうしてそんな酷いことをするのか理解に苦しみます。

遠距離恋愛や不倫、なかなか通じ合えない、距離が縮まらない恋愛の背景には、こうした観念が潜んでいることがあります。

一方、結婚するなどして近くに置かなければいけない場合はどうするでしょう?

ガラスケースに入れて観賞用にしてしまうんですね。
相手を一見大切に扱っているように見えますが、全然触れようとしません。
磨くのは相手ではなく、ガラスケースなんです。
そしてセックスレスや、あるいは実用品を求めての浮気を引き起こしたりするんです。

もし、あなたが好きな人が近づいてくるとついつい怖くなって逃げてしまうところがあるとしたら、あなたの心の中にこうした無意識的な観念が根付いているのかもしれません。

●手にしたものには価値を感じない

また、この観念は人に対してだけでなく、自分の持ち物に対しても影響を与えます。
自分が穢れているとしたら、自分の持ち物もまた穢れているように感じてしまうからですね。
だから、どれくらいキレイなものを手に入れたとしても、それは美しいもの(良いもの)には見えません。

悩んで悩んで購入したのに、その途端、魅力を感じなくなって「別のにしたら良かったかも」と後悔してしまうんです。

ものだけではありません。
勤務先や配属部署もそうですし、自己啓発のために選んだスクール、頑張って取得した資格にも手にした直後から意味がないような、無駄だったような、合わないような感じがしてしまうんです。

●“毒の観念”と“セクシャリティ(性的魅力)”

この観念はセクシャリティと密接な関係を持ちます。

子どもから大人に変わり始める思春期の頃、大きな変化の一つは性的な成長です。
女性ならば初潮が始まり、胸が膨らんで、体も女性らしく丸みを帯びてきます。
男性ならば精通があって、声変わりが始まります。

これは大人になった今ならば自然な変化として捉えられるものの、最初の頃はその性的な変化をまるで自分が穢されてしまったように感じることがあります。
(それで思春期の女の子は平均的にお風呂の時間が長くなったりします)

特に性的な欲求は、社会的な風潮もあってそれ自体が醜いもの、毒のようなものとして捉えられます。
だから、自分が毒であるような観念があると、セックスや自分の性に関する問題を抱えることが少なくないようです。

また、女性の場合はそれが肉体的なコンプレックスとして出てくる場合があります。
「私の体はとても醜いからきっとあなたを苦しめてしまう。だから、近づかないで」という風に。

これはセクシャリティと繋がり、口、胸、性器、体毛などへの嫌悪感(コンプレックス)として意識できる場合もありますし、セックスをしても少しも感じない、気持ちよくならない原因になることもあります。
あるいは、全く逆に、セックスへの過剰な欲求や依存的な行動を作り出す場合もあります。
セックスを自分の穢れを証明する手段として使ってしまうんですね。

一方、男性にはこの観念を持つ方が多く、セックスで勃起しなかったり、セックスを遠ざけたりします。
無意識的に自分の男性器を“凶器”のように感じてしまうんですね。
性欲を強く感じる思春期に「穢れてる」という感覚を持ちやすい上に、セックスとは、女性の体の中に入っていくものですから、セックス=傷つける行為=穢す行為として捉えてしまうんです。
そうすると男性としての自信も持てなくなりますから、仕事もうまくいかなくなることもあります。

●無意識的な反応

これが相手に対して拒絶する態度として出てくる場合はまだ分かりやすいんですが、無意識の中に入ってしまうと逆の形で出てくることもあります。

つまりは、自分ではなく、相手に暴言、暴力を使わせる、コンプレックスを刺激させるなどして、自分から相手を遠ざけようとするんです。
もちろん、そんなことは意識していないことですから、ちょっと理解が難しいです。

また、罪悪感があると自分を愛させないように持っていくこともあります。
相手を選ぶ際に、自分を愛せなさそうな人を好きになってしまうんです。
典型的なものは不倫。
相手には帰る家があるとすれば、自分を愛させることを制限させてしまいますね。
他にも、暴力、借金などの問題がある相手を選んでしまう場合には、自分が毒である観念が影響している場合も少なくありません。

●“毒”を浄化する

こういう罪悪感からくる毒の観念は根深く、自分自身ではもう当たり前のようになっていることも少なくありません。
だから、なかなか気づけないことも多いですし、どうしても拭い去れないような感覚になって諦めてしまうこともあるんです。
だから、浮気や不倫、セックスレス、離婚などの問題などの大きな問題として目の前に現れてきます。

その観念を手放すためには、例えばカウンセリングでは、その毒を浄化させるようなセラピーを使っていきます。
「アク抜きしましょうね~」なんて言いながら。

その目的は今の自分をありのままに受け入れていくようなアプローチなんですね。
自分が感じることをネガティブに評価してしまうのではなく、そのまま受け入れていきます。
「愛される資格が無い」と感じる気持ちを無理に変えるのではなく、まずは、そのまま「ああ、私は愛される資格などないと思ってるんだなあ・・・」と思ってみることが大切なんです。
でも、急にはそうは思えないので、またそこで、そういう自分を受容していきます。

でも、私達はついそこで「そんな自分はダメだ!」と判断してしまいます。
でも、そうではなく、ただ、そのまま認めてあげることが大切なんですね。
そうすると、その観念に対して徐々にオープンになっていくことができます。
オープンになるということは、その毒を排出していく道ができるということです。

実は“毒である”というのは、一つの誤解なんです。
だから、自分が無害な存在で、毒というよりも薬にもなりうることを受け入れていくことが目標になります。

すぐには手放せなくても、徐々に緩和されていくことが多いですね。

そして、自分のその観念が浄化されていくと、今度は自分自身が人を浄化できるような(癒してあげられるような)アプローチが可能になっていくんです。
つまりは、自分のアクを抜いていくと、パートナーのその観念も癒してあげられるようになります。

それが心の持つ素敵な作用の一つです。

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