怒りとショックを受けることは違うのか?

私達は、ある人に対して怒りがあるとき、その人を攻撃するか、距離をとりたくなります。
でも、怒りがなくても、距離をとりたくなってしまうこともあります。

心が衝撃をうけたとき、つまりショックな出来事があったとき、私達の心は「悲しみ」を感じます。
悲しみが強ければ強いほど、ショックが大きいとなるのですが、強いショックを受ければ、やはり自分の心を守りたいという気持ちになります。

怒りがあるわけではなくても、強い悲しみがあるときは、今以上に強い衝撃を受けない為に、その人との間に距離をとりたくなるのです。
怒りがあるときは、許しというのが大切になってきますが、ショックを受けて、悲しみを感じているときは、その悲しみを受け入れるということが大切になってくるのです。

◎リクエストを頂きました◎
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(一部を編集させていただいています。)
よく、怒りは感情の蓋であり、その下には悲しいとか、わかってほしいという感情が隠されていて、許すことで自分が楽になったり、本当にほしいものが手に入ってくると言いますが、怒りというよりはショックで今までのように接することができなくなる時があります。

ある時友達の携帯に電話をしたとき、たまたまその友達のそばにいた別の友達が私の悪口を言っているのが携帯の向こうから聞こえてきたのです。陰で言われたということは、面と向かって言われたときよりもショックで、それから彼女とは距離を置くようになりました。

そのため、彼女もなんとなく私のそういう雰囲気は感じているようです。

誰かに怒りをもつ時、わだかまりを持つ時は、許すことが自分のためになると何度もメルマガに出てきますが、彼女とはもう付き合いたくないと思うことは私が彼女を許していないということなのでしょうか。

私の心の中には彼女に対する恨み、つらみ、怒りはないように思います。ただ、さわやかで感じのいい人だっただけにショックは大きかったです。彼女を見ると避けるというのは執着があるということなのでしょうか。

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怒りは感情の蓋であるというお話しは、私もよくカウンセリングでさせていただきます。

確かに怒りの下には、「わかってほしい」「愛してほしい」「助けてほしい」という気持ちが隠れていて、それらの気持ちが表にでてこないように、怒りで蓋をするということがあります。

ですので、「わかってほしい」「愛してほしい」「助けてほしい」ということを、相手に伝えるまで、そして満たしてもらうまで、怒りという感情が治まらないのです。

相手との関係に「怒り」があるということは、相手と自分の間に「怒り」という感情の障害があるのと同じですので、相手に近づこうとすればするほど、怒りを感じて、近づきにくくなります。
その結果、相手と距離をとるようになったり、相手が近づいてこないように怒りを相手に向けてしまい、関係性が悪化していくことがあります。

ですが、リクエストをいただいた方のように、怒りや恨みつらみはないけれど、ショックを受けてしまって、相手との関係に距離を置きたくなることがあります。

ショックというのは、心が衝撃を受けたということです。
ショックを受けた結果、心が傷付き、その傷に触れると心が痛むので、怒りで蓋をすることもあります。
ですが、怒りで蓋をしない場合もあるのです。
あまりに、強い衝撃を受けたときなど、「心が凍りつく」などと表現したりすることがありますが、まさに凍りついてしまうのです。
凍りつくのは、「悲しい」というような気持ちです。

例えば、信頼していた友達に裏切られたと知ったとき、「悲しい」という気持ちを持ちます。
大好きな恋人に、突然別れを切り出されたとき、「悲しい」と感じます。
その衝撃が大きければ、大きいほど、心は凍りついてしまいます。

時間などが経過して、ショックが和らいでくると、凍りついた心もとけ始めます。
そうすると、「悲しい」という気持ちがどんどん出てきて、悲しいと言う気持ちを感じたくない為に、怒りで蓋をするということも起こってきます。

信頼していた友達に裏切られたのだとして、ショックを受けたときは、友達のことも好きだし、何か事情があったのかもしれないと、友達の裏切りに対して、理解しようとします。
「あの人に限って、そんなひどいことをするはずはない」「きっと何か事情があったのだ」という感じです。
友達を信頼しようとする素晴らしい気持ちでもあります。

ですが、友達に裏切られたという「悲しみ」を感じることができません。
悲しみを感じてしまえば、友達が裏切ったということを認めてしまうことになってしまうからです。
ですから、悲しみを封印して、凍らせてしまうのです。

もしそのような状態になったとして、その友達とそのまま同じようにお付き合いをしていけるかというと、なかなか難しいものです。
同じようにお付き合いをしていくということは、常に悲しいという感情にふれてしまうリスクが出てくるからです。
ですから、距離をとりたくなってしまうのです。

激しい怒りがあるわけではなく、恨みつらみがないと言う場合でも、誰かと距離をとりたくなってしまうとき、その人との間に、何らかの感情があるということです。
その大半は、悲しみかもしれません。
距離をとっていないと、悲しみにふれてしまうから、距離をとりたくなってしまうのです。

相手をみて、避けてしまうとか、距離をとりたくなってしまうのは、何も怒りを感じているときだけではないのです。

怒りではなく、悲しみを感じているわけですから、許しが必要というよりも、自分自身が感じている悲しみを受け入れていくことが必要になってきます。

相手のことを憎んでいるわけではないけれど、自分自身が傷ついているのです。

『自分はとても悲しいのだ』ということを、受け入れていくのは、つらいものです。
できることなら、悲しい思いはしたくありませんからね。

でも、ショックを受けた出来事を、のり越えていきたいと思うときは、その悲しみと向き合ってみるのも一つの方法ですね。

別にのり越えなくてもよいという場合もあるでしょう。
そんな時は、無理に悲しみに向き合わなくとも、ショックを受けた出来事や人と距離を取るのは、別に悪いことではありません。

ショックを受けた出来事や人から、距離をとるのは、執着があるということではなく、悲しいという自分の気持ちに、ただふれたくないだけです。
距離をとれるなら、距離をとっても問題はないのです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大門 昌代

恋愛や結婚、浮気や離婚など男女関係、対人関係やビジネス関係、家族関係や子育て、子供の反抗期、子離れ、親離れ問題など幅広いジャンルを得意とし、お客様からの支持が厚い。 女性ならではの視点と優しさ、母としての厳しさと懐の深さのあるカウンセリングが好評である。PHP研究所より2冊出版。