「怒り」をぶつける人の心理

「怒り」を態度でぶつけてくる人と、どう信頼関係を築いたらいいのでしょう。

「怒り」をかう事情が思い当たらないと、自分のどこが悪いのか、不安になったり、理不尽さに腹を立てたり、悲しい思いをします。「怒り」の下には、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」(のにそれがかなわない)という深い「悲しみ」が横たわっていて、「怒り」をぶつけられるのはSOSを投げかけられているとも解釈できます。

何を「わかってもらいたい」と思っているのか、真正面から聞けるようであれば、突破口が見出せます。「わからない」ときは、自分が「わからない」こと、そして、「怒り」をぶつけられたことで自分も怒っていることを心の中で認めてみましょう。

それが相手を「許す」ことにつながり、「分かり合いたいけれど分からない」悲しみを共有することで接点が見つかる可能性が出てきます。

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怒りを態度(無視や嫌味)でぶつけてくる人に対して、自分がどう変われば信頼関係を築くことができますか?良い関係を築くには、まず、こちらから心からの笑顔で接したり、相手を褒めたり、好きな趣味の話題をふったり、遠距離なら季節の挨拶のメールを送る、など、相手がどうであれ、温かい態度を取り続けていれば、いつか心が通じ合えるようになるのでしょうか。ちなみに、私は、人を傷つけるようなことは言えず、どちらかといえば大人しい真面目なタイプで、嫌われたくないので人の言動を気にしてしまいがちです。
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人に怒りをぶつけられた経験をもつ人は案外多いのではないでしょうか。多少なりとも怒りをかう事情が思い当たるならまだしも、「なぜ?」と合点がいかないと、「何かまずいことをしただろうか」と不安にかられ、その理不尽さが腹立たしくも、悲しくもなります。こんな時、「怒り」という感情の性質を知っていると、少し冷静に受けとめて、やみくもに自分を責めずにすむかもしれません。

「怒り」は、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」という心の叫び

「怒り」は感情の「蓋」だ、と言います。「怒る」という感情表現をしていますが、よくよく聞いてみると、本当に伝えたいことは「怒り」ではないことが多いからです。「私は怒っている」の後には理由があって、それは「自分の気持ちが理解されていない」、「助けて欲しかったのに助けてもらえなかった」、「愛されたかったのに愛されなかった」からで、そこには深い悲しみがあります。鍋の蓋が、中の圧力に耐えかねてカタカタと音をたてるように、悲しみや孤独感が抑え込めなくて吹きこぼれるときに「怒り」という大きな音をたてる、と私たちは考えます。

「怒り」が、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」という心の叫びだとしたら、それをぶつけられるのは、「あなたならそれがわかってくれるだろう」という期待をかけられているから、ということになります。(ぶつけられる側はそう感じられないので、効果的なコミュニケーションとは言い難いのですが。)

もしも、あなたが良い関係を作ろうと笑顔で丁寧に接しているのに、相手の「怒り」モードがエスカレートするならば、それは、相手があなたにわかってほしい何かをまだ「わかっていない」のかもしれません。そして、理不尽な話ですが、この「わかっていない」状態で、あなたが相変わらず「優しく」接すると、怒っている側は、自分の必死の訴えが無視されたと感じるようです。

怒られたから謝ったのに、今度は、「謝ればいいというものではない」と言って怒られた、なんてことがあります。「わかってほしいのにわかってもらえないから悲しい」が「怒り」の底にある感情だとしたら、そのことに気づかずに謝られると、ますます「わかってもらえていない」気持ちになってしまうのでしょう。

「怒り」をぶつけられて傷つかない人はいません。それでも関係を良くしようと辛抱強く「優しく」接するにも限界があるでしょう。度重なれば、あなたの中にも「怒り」は蓄積します。もし、あなたが「怒る」ことを自分に禁じているタイプだとしたら、「人に怒らないように頑張っているのに、どうして私をそんなに怒らせるようなことをするのよ!」という「怒り」も出てきそうです。

では、どうしたらいいのでしょう?どうしたら、相手の「わかってほしい」期待に応えられるのでしょうか。

 相手を「許す」ことは、自分の「怒り」や「わからない」にもOKということ

正面から、「何か怒らせてしまったかしら?」、「私がわかっていないことがあるかしら?」と聞けるようであれば、ホンネで話し合うことができるかもしれません。でも、その勇気を自分がもてなかったり、相手がのってくれないこともあります。

何を怒られているのかわからない時は、簡単に謝らない方がいいでしょう。怒られると怖いので、つい早く怒りを治めて欲しいと思って謝るのですが、そのこと自体が、「あなたは怒っていて怖いです」というメッセージになるので、謝られた方は、「私はそんな『怖い人』なの?」と傷ついてしまいます(実際、そうなのですが。汗)。

同様に、どんなに「怒り」をぶつけられても「優しい、いい人」であることが、「怒るのはいけない」というメッセージになることがあります。怒っている時に気分のいい人はいません。怒りをぶつけていながら、本当はそんな自分を誰よりも嫌い、責めていたりします。なので、あなたの「優しい、いい人」の態度が、相手の自己嫌悪を一層かきたてることがあるのです。

もし、そんな「怒ってしまう」相手を「許す」気持ちになれるのであれば、自分がそんな相手にムカつくことも受け容れてみてください。「怒り」を相手にぶつけるかどうかは別にしても、「ムカつくよね」「わからないものはわからない」と自分が「怒り」や「悲しみ」を感じることが、怒ってしまい、自己嫌悪に苦しむ相手を「許す」ことにつながります。

「橋をかけたい」と思うなら、、、

身に覚えのない「怒り」をぶつけられたとき、それが「わかってほしい」という期待の裏返しであっても、無理に距離を縮める必要はないと私は考えます。大人どうしの関係では、「怒っている」相手が、その気持ちを言葉で表現できるようになるまで時機を待ってもいいと思うからです。

それでも相手と心を通じ合わせたいと思うならば、自分と相手の心に「橋をかける」つもりで、仲良くなりたいのに分かり合えない「悲しみ」を分かち合ってはいかがでしょうか。表現の仕方こそ違いますが、「わかってほしい」のに「わかってもらえない」悲しみこそ、二人が同じように感じている感情かもしれません。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

みずがき ひろみ

感情や感覚といった女性性をフルに使い、心のブロックを外すカウンセリングが得意。「目からウロコが何枚も落ちる」と見方が変わることに定評がある。 深層心理に眠る「願い」を掘り起こす「癒し」を通して、人生の豊かさを受け取りたい人の、恋愛、ビジネスでの自己実現をパワフルにサポートしている。