宮古島を卒業します。

こんにちは。
真冬というのに、快晴で汗ばむような陽気の宮古島から五十嵐です。
ここの冬は風が強く曇りと雨ばかりなので、ここ数日はめずらしく気持ちの良い日が続いています。
透明度の高い冬の海は、飛び込みたくなるほどに青く透き通って瞬いています。
窓の外に拡がる薄いブルーから濃いブルーに変わる水平線を見ながら
波の音と時々通る車の音ををバックにこのコラムを書くのも最後になりました。
この原稿をあなたに読んでもらっている頃、わたしは東京にいます。
2年半の素晴らしい時間を終えて、宮古島を卒業することになりました。
いつかは帰る・・・そう思っていたものの、決まる時はあっという間で
いっきに進んで行く現実に自分でついていけない日々。
ブログで書いていたとおり、五十嵐の宮古島生活は「なんとなく1ヶ月」のつもりから、海にはまり、仕事にはまり、友達が増え、イベントが楽しく、気づいたら2年半も経っていたという「旅行の途中」でした。
個人的にはだいぶ長い「ロングバケーション」になってるな、と思いながら。
もちろんずっと観光していたわけではなく、部屋を借り、仕事もして、しっかり生活していたわけで、まわりからは「移住」だと思われて当たり前なんですけどね。
実際にまわりからも「すっかり馴染んでるよね」と言われることが多く、私自身とても居心地がよかったんです。
それでも、自分の中で「3月」が区切りだと、根拠もなく思い始めたのが夏ごろ。
宮古島での将来を決めて根付くため、本気で就職するか
東京に帰って、新しく生活をやり直すか。
早めに考え始めようと思い、
ふと先輩に「もし帰ったら仕事ありますか?」と連絡したことがきっかけ。
「あるどころじゃない、忙しくて困っているんだ。
 3月?待てないよ、今晩帰ってきて打合せするぞっ!」
いやいやいやいやいやいや・・・・・
そんなすぐとかありえないし。飛行機のチケットもとれないですから。
しばらく待ってくださいって。
「今晩は無理でも、仕事やるの?やらないの?
 返事はyes、noしかいらないよ。」
笑いながら言ってるけど、実際のところその通りだわ・・・
「・・・考えさせて下さい」
今思えば、全ては自分が「そうしたくて引き寄せた」現実。
この先輩ならそう言われるのをどこかでわかっていて、自分で連絡したのかもしれない。
塾講師の仕事は3月までやらないと、生徒にも先生方にも迷惑がかかる。
辞められないし。友達とも離れたくない。この海をずっと見てたい。ここでずっと生活したい。
その思いとは裏腹に頭の中、暗闇のずっと遠くのほうでフワッと小さな明かりみたいなものが
「帰るんだ」
というメッセージを持って小さく光りました。
わたしはこれを「直感」というものだと思っています。
人がだれでも持っている感覚。
ただ、ほとんどの人がこれを無視して生きている。
無視しないとやっていけない社会でもある。
無視し続けていると、そのうち見えなくなってしまうもの。
これに従ったからと言って、全てが上手くいくわけではない。
でもこれに従うことで、本当に経験するべき道を通って行ける。
失敗しても、成功しても、それは全部後の自分に必要なもの。
そうなんだ、帰るんだ・・・
それからしばらく、引きこもりのように部屋で一人落ち込みました。
「意思」は決まっているのに「感情」がついてこない。
それをわかったうえで、落ち込んでいる。
約4日ほど、仕事以外はひたすら眠り続ける日々。
目を覚ますと自分で決めた現実と向き合わなければいけないから。
変なの。わかっている。でも決めたこと。
落ち込むだけ落ち込もう。悲しみも寂しさも「底」はある。下までいったら、あとは上がっていくだけ。
そう決めて、落ち込むことを自分で許して下まで行ってきました。
眠るのにもあき、落ち込むことにも気が済んだ時。覚悟も決まりました。
やることが決まったら、あとは行動するだけ。
部屋を解約して、新しい部屋を探す。
書類や事務的な手続きだけでこんなに簡単に移動できてしまう。
肝心の仕事。悩んで、落ち込んで、罪悪感いっぱいで塾長に相談したところ、
「もったいない・・・けどね、内地で仕事があるなら行ったほうがいいですよ。
自分の人生です。
ここでの仕事に縛られないで。後は何とでもなりますから。」と快諾。
そうしたら本当に私がここにいる理由がなくなってしまった。
「いたいから、いただけなんだな。」つくづく実感。
物事が決まると、まるでパズルのピースがはまるように現実が動いていく。
始まったばかりの英語のレッスン、変わりに参加したいメンバーが決まり、
大好きだった行きつけのバー、偶然同じ時期にマスターが辞めると知らされ、
友達から3月で島を出るという報告を逆にもらったり。今のところ5人!
東京で住む場所は、隣駅にずっと行きたかった趣味の教室があり、3駅先には仕事を頂く先輩の家があり(後から知って驚き)、幸運にも格安で部屋を借りることができて。
宮古島に仕事や観光で来た時に知り合った友達がその近所だと連絡をもらって。
ここで仲の良かった友達の実家もご近所さんだとわかったり。なんと2人も!
友達が住んでいたので知った駅なのですが、きっかけとなった彼女は私が引越すと決めた時には他へ引越すことになっていました。
まるでその場所を案内されたかのようです。
「めぐり合い、ご縁だな」と思わずにはいられません。
輸送費が高すぎて、処分しなきゃならない車も冷蔵庫もソファーも、ぴったりなタイミングで欲しいと言ってくれる人が出てきて。
ここでは書ききれないくらい、他にもたくさんの奇跡がありました。
いろいろなことがうまく行く時は「この道であっているよ~」という神様からのメッセージ。
今まで何度も東京に帰ろうと思って、タイミングを逃していたのとは全く逆の状態。
まさしく2013年の流行語大賞。「いまでしょ!」
「『いま』なんだな」
宮古ブルーが毎日見られなくなることは本当に寂しい。
それよりもっと寂しいのは、ここでの友達と離れること。
とくに、ここ1年でたくさんの友人ができ、みんな大好きで大切で仕方ない。
ずっと昔から一緒にいたような感覚の仲間たち。
でも、現実の距離と心の距離は比例しない。
それを知っていても、やっぱり寂しくなる。
ただ、宮古島を離れると決めたのは自分。
ここでいる以上に東京に帰ってもっとやりたいことがある。
ここにいなくても「楽しい」や「大丈夫」な自分になれた。
宮古島とたくさんの人たちのおかげ。
だから「いま」なんだと。
五十嵐、宮古島を卒業します。
この島の人たち、内地でずっと支えてくれた方たちに、海より深い感謝をこめて。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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