●桜の咲く頃には・・・〜〜いくつもの春を想う〜〜

 テレビを観ていたら、春・桜の頃を思わせるようなCMがいくつかあり、
空気まで薄紅色の季節にすっかり入っていってしまいました。
画面の中はど
れも幸せそうな家族。私にもそんな時があったかしら・・・と想うと何だか
センチメンタルな気分になりました。
もちろん想い出は皆無ではないのです
が、何だか今日は妙にシニカルな気分になっているんです。
 高校時代の卒業式は2月下旬。桜の花はまだまだ姿もありませんが、イメ
ージとしては、桜吹雪の中を、仲間といるのです。
穏やかな陽射しがところ
どころをまだらに温めている、そんな景色が、頭の中にはあります。
 夕暮れ時の、薄墨の中を歩いていると、母校の男子生徒と女子生徒が、仲
良く並んで坂道を上がり、最寄の駅に向かっています・・・30年経っても
変わらない景色に、ちょっとほっとしたりして。彼らの歩いている頭の上を
桜が春をちりばめだすのは、まだ一月以上も先です。
そのころ彼らはここを
通りはしないのかもしれません。でも、またこの通りを違った顔ぶれが歩い
ていることでしょう。
 中学校の入学式の日、制服を着て小学校のグラウンドに集合しました。

元の公立中学に入学するので、ありきたりの制服なのですが、それでも少し
オトナになった気がして嬉しかったものです。
私には特段の想いもありまし
た。年末に、父が入院し、紙一重の幸運で生還したのですが、まだまだ本調
子ではなかったと記憶しています。
親しかった何人かの友人のうち、既にお
母さまが亡くなっていた友達もいたし、私の父と同時期に病に倒れ、後に闘
病の果てお父様が他界される、といった友達もいました。
 十三歳の春、それぞれの環境や想いを抱いての入学でした。
 父はそれから二十四年間、それは元気に生きてくれましたし、私たちの
側から見れば、孫達とも逢えているので、完全ではないにせよ、納得のい
く人生でもあったと、思って良いのではないかな、と思っています。
 父が倒れたのはちょうどクリスマス。どんなお正月だったのか全く覚えて
いませんが、母方の叔母や祖母がとてもよくしてくれたことを覚えています。
私は一人でタクシーに乗り、こわごわでも父の病院に行けるようになった、
とも覚えています。
幸いにこの時父は戻ってくれましたが、私の気持ちの中では、全くお正月
どころではなかった。将来の自分の行く末を考えたりしたことを後で恥じま
したが、当時仲良しだった友達もお父さんが闘病中で、そのためではなかっ
たにしろ、ずいぶん一緒にいて、二人で色んな話をしました。
彼女のお父さ
まは、突発的な事態の急変であったうちの父とは違い、時を経ることが命の
長さと直結していましたから、本当に瞬間瞬間が大切だったんだな、と今に
して思うのです。
自分のことばかり考えていて、自分が恥ずかしくなったの
はこんなことを重ねている友達家族をみたから、かもしれません。
 何度かの入院を経て、仕事場に復帰された彼女のお父さまが、私の家の前
の坂道を彼女のお母さまと二人でゆっくりと歩いておられた姿が、今も忘れ
られません。穏やかに毎日を過ごされている様子を見ては、ほっとしていた
のですが、また姿を見なくなり・・・訃報が入りました。
私たちが高校生の
頃でした。
まだ二つ下に弟さんがおられ、無念な想いはあったでしょうが、
今、この年になると、友達も弟さんも、お父さまの生き様を継ぐように生
きているので、つくづくと親子の繋がりは時の長さではなく、如何に真摯
に生きるのか、と言うことと、そのことをどのように伝えていくのか、と
言うことではないかな、と思うのです。
 そして彼女のお父さまは、娘の友達に過ぎない私にも、深い感銘を刻みま
した。結果論になりますが、生前は教育に携わっておられたので、喜んで下
さっているのでは?と思います。
 季節ごとに行事があり、花が咲く。人が集まる。笑い声が聞える。
 そんな当たり前のことを、目の前の目標にして、一日一日を生きている。
一日でも大切な人と、大切な場所で過ごすために、一生懸命身体の細胞が生
きようとしている。身体が滅びても心はそうではない、とも言いますが、や
はり目の前に姿があるのとないのは違います。
 
 先日ご縁があり、臓器移植コーディネーターの方のお話を伺うことがあり
ました。
亡き父は早くからアイバンクに登録していたこともあり、また自分
が死んだら大学病院の解剖教室の献体にしてくれ、と言っていたこともあり
(ちなみに、幼かったので当時の私は泣いて反対しましたが・・・)、色ん
な想いでお話を聞かせていただきました。
 ドナー(被提供者)の気持ち、レシピエント(提供者)の家族の想い。い
ずれにも誰だってなり得る立場ですから、それに自分の生きてきた中にも想
う材料はたくさんあって・・・。人の命は言わずもがなですが限りがありま
す。その命をどう救うかと言うのも大切ですが、どう生きるか、と言うこと
は周りの家族や友人、恋人、果ては私のように家族の友達にまで、大きな影
響を醸し出します。
 命の時間を限定される、と言う事は、元気なときには当たり前だったこと
の多くが、自力ではできなくなると言う事でもあります。
歩いたり、笑った
り、ご飯を食べたり・・・そして食べた物を消化して排泄したり、呼吸をし
たり、体温を保持したり・・・。普通に機能していたことがそうではなくな
り、薬や器材なしには生きられなくなったりもします。
正直なところ、かつ
ての私なら、そこまでして生きなくてもいいや、と思っていました。
 でも、誰かのそうして生きる姿が脈々と伝わることで、誰かの人生を、密
かに彩っていくこともあるでしょう。家庭、職場、地域、昔なじみ・・・色
んなところでその姿を応援し、見守っている姿があるのです。
それは、闘病
者にだけではなく、周りへの計り知れない大きなギフトにちがいありません。
そう思うと、できる長生きはしても良いかなぁ、などと思うようにもなりま
した。・・・ってまだまだですけどね(^^)
 冷たい風の中、芽を密かに抱いている木々が、やがてつぼみを持ち、幸せ
な春を連れて来るでしょう。母校の生徒達もまた、違う友達と連れ立って歩
き、私たちのようにいろんな経験をしながら、つながりを広げていくことで
しょう。
 昔、夢一杯では決してなかった高校時代の私を重ねながら、密かに応援を
する私です。

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