●夫婦について

「あんたら、よくそんだけ一緒にいて飽きひんなあ」
友人が時折こんなことを言います。
そのたびにちょっと意外な感じがして、周りから見たら、不思議だったり、疑問だったりするのだろうか?と思うものです。
仕事でも、電話カウンセリングやこうして記事を書いているときは別々に過ごしますけど、面談になればほとんど一緒ですし、遊びに行くのも、飲みに行くのも一緒にいます。
だから、時々僕一人でいると、一緒にいる仲間や友達から、
「今日、理加ちゃんはどうしたん?」
と聞かれます。
妻も同じ。
趣味や嗜好が良く似てる、というのは確かにあります。
付き合い始めの頃、お互いの好きなものを色々と列挙したことがあるんです。
そのほとんどが似通っていたのでびっくりしたものです。
もちろんすべてが一緒ってわけではないし、細かいところは結構違っていたりもします。
例えば、僕らはお寺や神社が好きなのでよく出かけるんですけど、理加は京都の雅な風情が好きで、僕はどちらかと雄大さや荘厳さが好きですね。
だから、どちらかというと僕好みの寺社が多い奈良へ出かけるときには、予め理加が好きそうなショップやカフェをチェックしておくようにしています。
カフェでのんびりお茶をするのは夫婦共々大好きなので、出かける先のガイドブックで良さげなカフェを見つけたときは大喜びです。
でも、カフェでオーダーするのは僕がコーヒーが多くて、理加はミルクティがほとんどとこれまた違ってきたりします。
僕からすると「一緒にいることが前提」なんですね。
仕事にしても、プライベートにしても。
だから、サラリーマンをしていたときは、僕が会社に行って、理加は家にいるわけだけど、ちょっと違和感があったのも事実です。
僕の両親は自営で商売をしていて、いつも一緒にいるようなイメージが強かったんですね。
だから、自然と僕にとっては「夫婦は一緒にいるもの」という思いで育ちました。
今からは想像できない人も多いだろうけど、小学校の頃はスポーツ少年だったんです。
地元のチームに入ってソフトボールをしてましたけど、その試合の時には夫婦揃って応援に来てくれたこともありました。
夕方になると早めに仕事を切り上げてきた両親(この辺が自営の強みですね)と庭で夕涼みをしながら晩御飯を食べることもありましたし、家族旅行も毎年のように出かけてました。
まあ、今から思えば、それも親父が結構好きにやっていて、母親がそれを受け入れているスタイルだったんだろうと思います。
だから、母親が親父について行けなくなったときに喧嘩が多くなって、結果的に離婚してしまったんだろうと今は思ってます。
そんな両親の影響もあって、僕の中にある「一緒にいて当たり前」という概念が確立されていったんでしょう。
だから、一緒にいることを前提にして、その細かいメソッドを考えていくことが癖のようになっています。
それは仲の良い友達と一緒に出かけるときに、その友達のことを考えて行動するのと多分同じです。
因みに元々理加はカウンセラーになりたいけど自信がないってタイプだったので、一緒に仕事がしたいが故に、僕があのテこのテを使って一緒にカウンセラーをやれるようにしてきたのも事実です。
彼女にその才能があるってことは僕自身見極めてましたしね。
後は「辞めたい〜」「やる気がない〜」と時折駄々捏ねるのをどうなだめすかしてその気にさせるか?ということを色々考えて実行してました。
まあ、女の子をどう口説こうか?というのはかつて実践でトレーニングしましたので、その成果かもしれないです。
(そういう意味では、理加はなかなか落とすのが難しい女でしたけど(笑))
違いはあって当然のものだから、それをどんな風に吸収してお互いに楽しめるようになるんだろう?というのが僕の基本的な考え方なんだろうと思います。
好きな人と一緒にいて、楽しめなかったらやっぱり寂しいし、辛いですからね。
相手にばかり合わせてしまったら犠牲になってしまうでしょうし、自分の好きなことばかりしていたら相手はつまらなくなってしまうかもしれません。
二人が一緒でいられるようにその微妙なバランスを取っていくのが僕にとっては当たり前のことと思っているのかもしれないです。
「じゃあ、やっぱり我慢することとか多いんでしょ?」と聞かれることもあります。
実は僕自身、我慢できない性質なんですね。
理加に「裕幸は本当に待つことが出来ない人だねえ」と言われるくらい“いらち”な性質なので。
じゃあ、理加は我慢してることいっぱいあるのか?というと、理加はもともと我慢しぃなのですが、僕と付き合うようになってから、だんだん許容範囲が狭くなったようで、やっぱり我慢ばっかりは出来なくなってきてるようです。
でも、時にはそれが必要になるときはやっぱりありますよ、もちろん。
でも、それは欲しいものがあるときに、他のものを我慢してお金を貯めようとするのと同じように、一緒にいると楽しくて、面白くて、それを手に入れるためのものだから、それほど苦痛に感じないことが多いですね。
だから、それは“我慢”とは言わずに“忍耐”というのかもしれません。
もちろん、その我慢も限界があるのでその時は喧嘩になります。
最近は減りましたけど、怒鳴り合いや力に訴えることもかつてはありました。
夜中に家を飛び出したり、外で喧嘩して街中を逃げる理加を追いかけたり。
そんな不満が溜まりに溜まって離婚寸前まで行ったこともありました。
でも、そういう危機を乗り越えるには周りの援助が欠かせないものなんですが、幸い僕らの友達はこの「いつも一緒」の行動パターンのお陰でほとんど共通してますから、そこで随分と助けられたものです。
それに加えて、一緒にいることでより太い絆が出来ていたこともあるでしょう。
何年か後にはぜんぜん違うこと言うてるかもしれないし、関係も変わっているかもしれないけれど、今のところは「どうしたら一緒にいられるんだろう?」ということを考えながら過ごして行くんだろうと思います。
もっと楽しめるように、もっと絆の太い夫婦になれるように。
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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