●残された贈り物

先日友人のお母さんが亡くなられて、お通夜と告別式に行かせてもらいました。
私にとって父を亡くして以来のお葬式だったので、まるで再体験をするようで意味深いものでした。
残された友人の気持ちを思うと胸がつぶれる思いです。
友人の姿が6年前の自分の姿と重なって見えました。
以前は「お葬式」と聞くと、何かとてつもなく重く、悲しく、暗くて忌み嫌うもの。というイメージが私の中にあったのですが、身近な父を亡くしてからはイメージが変わりました。
確かに、とても辛く悲しいことには変わりはないのですが、一方で忌み嫌うようなものではなく、恩恵というか、うまく表現できないのですが、何か守られているような感覚が芽生えました。
「喪失感」というものは本当に辛くて、こう思えるようになるには、私自身時間がかかりました。
けれど今となっては色んなことを学べた気がするのです。
現在の私達は「死」に触れる機会っていうのは、本当に少なくてある意味タブーのように、ひっそりと覆い隠されています。
私も実際に触れてみるまでは、本来持つ意味以上に、恐ろしいもののように感じてしまっていました。
でも実際に身近で体験してみると、恐ろしさ、辛さ、悲しみ以外にも、そこから教えてもらうことが山ほどありました。
私は身近な人の死を通して命の重みを、初めて肌で実感した気がします。
それまでは苦しことや辛いことがあると、軽がるしく現実逃避から、死にたいような気持ちがよぎったこともありました。
でも死に行く人の「生きたい」という気持ちや、残された人の気持ちを知ってからは、命って何て尊いものなんだろうと思うようになりました。
生きているということは、それだけですごい事なんだ!と気付きました。
死に触れると逆に「一生懸命生きよう」という思いが溢れてくるんです。
当たり前のように過ごしている毎日のかけがえの無さ、有難さが身に染みました。
与えられている日々をどうしたら充実して楽しんで、精一杯暮らせるだろう?という考え方に変わりました。
私がカウンセラーになりたいと思った大きなきっかけも、父の死だったんです。
私達の毎日の中で問題って色々起こってきますよね。でもその問題を突き抜ける過程で学べること、抜けきった時にやってくる贈り物は必ずあると思うのです。
生きている間は父と距離や葛藤があって、あまり良い印象を持っていなかったのですが、亡くなって初めて父の本当の有難さや、父の愛情に気付きました。
ある意味、父が最後に自分の命をかけて教えてくれたことを、私は忘れません。
友人のお母さんのお葬式に出席させてもらって、また改めて日常の大切さを思い起こさせてもらいました。
彼女はこれから私が味わったように辛い日々を過ごすかも知れません。だから、私はできるだけそばにいて、そして、また大切なことを教えてくれた彼女に心から「ありがとう」といいたいです。
根本理加

この記事を書いたカウンセラー

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