好きでも嫌いでもない父と私の話

私は若い頃から、自分が父に対して感じている感情がよくわかりませんでした。

父は威圧的でも暴力的でもなく親子の会話もあったし、不自由なく大学まで行かせてもらいました。
一般的にはなんの問題もない父と娘の関係です。
けれど私は、父が好きかと聞かれればそうでもなく、嫌いかと言われればそんなこともない。

けれどここ最近、あるきっかけから「父への感情に繋がり直してみる」ということをしてみたのです。
そうすることで私が見つけたものお話です。

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物心ついたときから私の父は、家では「何もしない人」でした。
毎日決まった時間に仕事に行き、決まった時間に帰り、お酒を飲みながらテレビを見てご飯を食べて寝る。
家事も育児も母まかせ。

娘の私との会話は、いつも自分のペースで言いたいことを言うだけの「明るいけど頑固な昭和オヤジ」でした。
面と向かって愛情を伝えられたことはなく、可愛がられたり褒められた記憶もありません。
そんな父なので私も、父に向けるのは売り言葉に買い言葉の軽口ばかりだったんですね。

それでも小さな頃の私は父に憎まれ口をたたき、たまには遊んでもらい、それなりの親子仲ではありました。
今思えば、その生意気なコミュニケーションが私の精一杯の親密感の表現で、父との繋がりだったのだろうと思います。

けれどちょうど思春期に入った頃、父からその態度をとても強く叱られたことがありました。
その時に感じたのは、今までOKだったことを責められる理不尽に対する強烈な怒り。
「親だからって、自分の方が力があるからって偉そうに!!」
そんな腹立たしさと悔しさでいっぱいでした。

反抗期も重なって、その頃から私の父への態度は刺々しく冷めたものになります。
激しい怒りは時間とともに収まったけれど、閉ざした気持ちは変わらないままでした。
私と夫が結婚して子どもが生まれてからは実家に帰る機会も増え、家族で談笑するようにもなりましたが、相変わらず父のことは好きでも嫌いでもないまま。

さて、勘の良い方はお気づきかもしれません。
実は「何も感じない」というのは、心理的な見方をすると「見たくない抑えた感情がある」ことがとても多く、ものすごーく匂う案件なんですね…。

私が、少しずつ自分の心を拾ってあげることで出会ってしまったのは「何をしても父と繋がれない、手ごたえのない寂しさや痛み」でした。

小さな頃から「ただ素の自分で可愛がられる」という感覚がわからず、あるときまでは父に生意気な態度を取ることで親密感を感じようとしました。
小さな私はその方法しか知らなかったからです。
てすが、あの叱られた時から親密感の梯子は外されてしまいます。
(少なくとも当時の私には、そう感じるに十分な出来事でした)

それからの私は、表面的には反抗的な態度を取りながら、無意識に「愛される」ではなくて「認めさせる」という方法で父と繋がろうとしたようです。
だけど本当はあるがままを愛してほしい相手に「認めさせよう」って頑張っても、手応えを感じられるはずもないんですよね。
しかもこの昭和オヤジは、簡単には認めたり誉めたりはしません。

ほしい形の愛情を感じられないし、自分も伝えられない。
頑張っているのに、認めてもらえないし役に立たせてもらえない。
心の奥で長らく感じていたのは、そんな静かで冷え切った失望。
そして私が見たくなかった感情は、そんな失望をする前の「父ともっと仲良くしたい、普通の愛情で繋がりたい」と求める気持ちでした。

でもそんな感情を感じたら、またあの小さな頃の弱くて傷つく自分になってしまう。
そのことがたまらなく嫌で、心にめちゃくちゃ分厚い蓋をして「何も感じない」と、やり過ごしていたんです。

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私が父への感情と向き合っている最中、実家に帰省する機会がありました。

実家のリビングには、白いブタのぬいぐるみがあります。
それは私と夫が結婚したとき、両親に記念品として送ったもので、私が生まれたときの体重と同じに作られたものです。

晩ごはんの時、父がこう言いました。
「ああ、そのぬいぐるみ、もうお前が持って帰らないか?」って。
娘が結婚した時に送ったものを父親が持って帰れなんて、言わなくないですか??笑
父は終活として色々なものを整理しているけど、さすがにそりゃないだろ…。

けれどその時、傷付くのではなく妙に納得してしまう私がいたんですね。
「ああ、この親父だもんな。そりゃあ昔の私、報われないよね」って。
デリカシーのない父親の関わり方に散々傷ついた子どもの私を、心から労わって、父の代わりに誉めて寄り添ってあげたくなりました。

愛情はあっても、それを素直に表現しない父。
自分の考えは誰に対しても曲げない頑固な父。
冗談は言っても根っこは昭和気質で、自分も人も褒めない父。

この父と心を繋げたい、認められたいと頑張っていた私の健気さに、なんだか泣けてもきました。
父が嫌いとか憎いとかではなく、とにかく昔の私を認めてあげたい、「あなたには何の不足もないし十分に頑張った、大丈夫だよ」って。

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私が父に感じていた感情の蓋を外して拾い直し、小さな私に伝えてあげた「大丈夫」は今、大人の私の心にも溶け込んでいます。
「役に立たなくても大丈夫。そんなに頑張らなくても、完璧を目指さなくても大丈夫」
じんわりと育っているこの感覚は、私にとっては小さくても堅実な心の変化です。

そして、ずっと私にとって「好きでも嫌いでもない父」が今、どうなっているかというと。

今でも父の反応の手ごたえのなさに、ため息が出ることもあります。
御年80歳に父は、きっと変わりません。
でも父に対して「一緒に笑いたい」とか「できるだけ優しくしたい」とか、私が自分の感情を素直に認識できていることが嬉しいんですね。
正直、今さら自分が傷ついていたなんて認めたくなかったし、いい年して「父が好きだった」なんて認識するのも恥ずかしくて嫌でしたが、それでも「このあったかい感情に繋がれてよかった」、そう感じます。

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今、もしあなたが「何を感じているのかわからない」と思うことがあるとしたら。
少しだけ、「どんな感情を見たくないんだろう?」という視点に立ってみることが、良い変化のきっかけになるかもしれません。
そしてその変化が、あなたがもっと心地よく生きることに繋がったなら、本当に嬉しく思います。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自分に自信が持てないことから生まれる、恋愛・夫婦問題や日々の閉塞感のご相談を得意とする。1人ひとりの価値観やペースを尊重し「自分軸の幸せに向かうカウンセリング」をご提供。理論的な解説と実体験からの感覚をあわせたサポートで「本当の気持ちに気づけた、勇気が持てた」との声も多い。