先日、車を運転していたら、まさに「バケツをひっくり返したような」という表現がぴったりの、ものすごく激しい雨が急に降ってきたんです。
カンカン照りに晴れていた空が、急に黒い雲に覆われて、雷もゴロゴロと音を立て、思わず私も「うわぁーーー!」と叫んでしまうくらいでした。
赤信号で車を停めた時に、周りを見渡してみると・・・道を歩いている人たちは、みんな突然の雨にびっくりした様子。
気の毒なことに、あっという間に、びしょ濡れになってしまって、慌てて軒下を探したり、かばんの中から折り畳み傘を探し出して広げたり、急いで走ったり。
ふと、スーツ姿の年配の男性が、あまり急ぎもしないで歩いている様子が見えました。
おそらくお仕事の途中だったのでしょう。
彼は、眉間にぎゅっとシワを寄せて、とても辛そうな顔をして少し身を屈めるようにして歩いていました。
きっと、雨に濡れること自体も不快だったでしょうし、この後の予定をどうしようかとか、着替えもないのに最悪だ・・・色々な感情、困惑や焦りが一気に押し寄せてきていたのかもしれません。
自分は不運だと、ため息をついていたかもしれません。
一方、そんな男性のちょっと後ろから、今度は高校生くらいの男の子が2人歩いてきました。
この2人組も、同じくびしょ濡れになりながらも、なんだかやたらと楽しそうです。
「うわー、最悪だ!」って大声で言っています。
でも、決して嘆くのではなく、「なんだこれ、面白い!」って笑い合っている様子。
水たまりを避けずに、むしろわざと踏みつけて、はしゃいでいるようにも見えました。
同じ「突然の豪雨」という出来事なのに、スーツの男性と高校生の男の子たちでは、抱いている感情がまったく違いますよね。
これは、雨という出来事をどう捉えるか、それぞれの「心のフィルター」が違うからなのではないかと思うのです。
男性にとっては、「計画通りにいかないこと」「濡れることによる不快感や今後の仕事への不安」が、ネガティブな感情を引き起こすフィルターだったのかもしれません。
一方で男の子たちにとっては、「珍しい出来事」「友達と共有できるハプニング」が、いとも面白く、ポジティブな感情を引き出すフィルターになっていたのでしょう。
彼らの姿を見て、なんだか私まで心が軽くなったような気がしたんです。
そして、その時、隣に乗っていた中学生の娘が言ったんです。
『あの2人、すごく楽しそうにしてるけどさ、1人でいたらあんなに笑えてないよねー!』って。
確かに・・・。
もしあの高校生の男の子が、たった一人でびしょ濡れになっていたら。
多感なお年頃のティーンエイジャー、決して一人では、はしゃいだりはしないでしょう。
きっと、一人だったら「ついてない・・・」と、しょんぼりしてしまったかもしれません。
イライラした感じで走り抜けて行ったかもしれません。
でも、彼らは二人でいた。
一人が「やばい!」って言えば、もう一人が「マジで!」って笑う!
その一瞬に、「共感」が生まれていたんだと思います。
感情の不思議な力の一つ、共感。
ネガティブな出来事のはずなのに、信頼できる誰かとその時を共有して、そして共感することによって、急にその重々しさが取れてしまう感覚。
嬉しいことも、楽しいことも、そしてつらいことも、誰かと分かち合うことで、その感情は増幅されたり、全く別の形に変わったりします。
一人の「最悪」も、二人で「最高!」に変えることができる。
雨に濡れることは避けられなくても、その雨を「つらい雨」にするか、「面白いハプニング」にするかは、実は私たち自身が選べる。
私たちは、日々たくさんの出来事に遭遇します。
その出来事そのもの自体が、私たちを幸せにしたり、つらくさせたり、楽しませたりするわけではありません。
心理学では、その出来事を「どんな心のフィルターを通して見るか」が起きた出来事を意味づけしているのだと言われています。
そして、その「意味づけ」の選択を後押ししてくれるのが、身近な誰かとの「共感」の力だったりすることもあるのではないでしょうか。
もし今、あなたの心に雨が降っているなら、一人で抱え込まず、誰かに話してみませんか?
誰かと一緒に感情を感じたら、『ああ、私にもあるあるー!』って共感してもらえたら。
一緒に「ふふふ。」って、少し笑えたりするかもしれません。
そうしたら、不思議なことに、急にその出来事は、軽やかになってくれるはずだから。
私たち人間のもつ「共感」の力を実感した、ちょっとした出来事でした。