憧れは未来の自分からの招待状

今、憧れている人はいますか?
目標にしたい人、尊敬できる人はいますか?大人になるとどうしても、これまでの自分、もしくは周りの人たちの失敗や挫折から自らの可能性に限界を設けてしまい、「やりたいこと」や「なりたい自分像」に素直になれません。尊敬している人はいても、それは「その人だから」できることで、自分とは違うとしっかりと一線を引き、自分もそうなりたいという想いにも蓋をしませんか?

諦めるというのはこの憧れる「想い」をなかったことにするわけではありません。欲しいし、そうなりたいと思う気持ちを抱えながら、自分が今できることとできないことを見極めること、そこを明らかにして見ることなのではないかしら。だからこそ、厳しいと感じることも多いですよね。でも、それができると、これから自分が何に取り組んだらいいのかがわかってきます。できないことばかりを見て、焦って落ち込むのではなくて、今できることに力を注ぐことができます。

素直に憧れるためには、それが欲しいという自分の気持ちにYESという必要があります。そして、今はまだないけれど心全部で「欲しい」と思えたときに、それを引き寄せようという力が働き出します。

「欲しい」という想いはあるのに、自分がそれを(たとえ無意識的にではあっても)許していないと嫉妬感情が強くなって苦しいです。そして、心のどこかで自分はゼッタイにそれを手に入れることはない(自分には手に入れさせない)と思っている分、もっていそうな人を貶めたくなります。足を引っ張りたくなるんです。「いつか自分も」と思えればいいのですが。

ところが自分が(本当は)憧れているものに傷をつけるようなことを言ったりやったりすると、心の奥で罪悪感が募り、それが自己価値を蝕みます。自分をいいものだと思えなくなる分、ますます素直に憧れることができず、「欲しい」ものを「欲しい」と想う気持ちを許せない、嫉妬に縛られる悪循環から抜け出しにくくなります。

私たちの心には、「モデリング」という機能が備わっていて、関心のある(つまりは好きな)人を無自覚に、無意識的にまねるクセがあります。批判精神は、よりよいものを創ろうと自覚したときに成長するためのパワーに変えられますが、批判のための批判は、意識が向いているダメな(だと本人が思っている)ところをモデルとしてまねていくから残念だと感じます。

心の「モデリング」の力を最大限に活かすためにも、憧れる気持ちを大切にしませんか?

憧れる人がすぐに見つからなくても大丈夫です。「この人の◯◯とあの人の△△を併せた感じ!」と複数のイメージを心の中で何度も合成していくうちに、自分が本当に欲しがっているもののエッセンスが掴めるようになります。それをもったあなたこそが本当になりたい未来のあなたの姿です。

気になる人、尊敬できる人、憧れる人に近づいてみませんか?
その先に、未来の自分がきっといますから。

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