贈り物〜親から子へ、子から親へ〜

お正月に実家に帰省してきました。
いつもの、ごく普通のありふれたお正月でした。
ただ、昨年は、家族の中でもいろんなできごとがあり、大波乱後の
静けさの中でのお正月でもありました。
ごく普通にお正月を迎え、久しぶりに両親と行く初詣。
お雑煮を食べて、甥や姪たちにお年玉をあげて。
ふとしたことから、3人のきょうだいだけになったのでした。
いつもなら、子供たちや、それぞれのお嫁さんや旦那さんがいて、
それはそれで楽しいのですが、今回、たまたま、仕事の都合や子供が
寝たなどで、3人で話をする時間がわずかですがあったのでした。
話すといっても、インターネットを見たり、携帯電話の設定を調節し
たり、とたいしたことを話すわけでもなく、とくにどうという内容で
はありませんでした。


けれども、3人はそれぞれどうでもいいことを話しながら、同じこと
を感じていたような気がしたのでした。
そんな瞬間ってないですか?
そのとき、何も言わないことで、お互いに、相手をとても大切に思っ
ていることが感じられたのでした。
それは、食事のあとにみんながくつろいだときに起きたのですが、私
はふと、食事の支度をしていたときのことを思い出しました。
箸おきと器を並べていたとき、数が足りなかったので、別の箸おきを
足そうとしたときのことです。
父「この箸おき、まだあるだろう」
私「これしか用意がなかったよ」
父「そんなはずはない、8個あるはずだ」
父は、最近定年したのですが、定年後、陶芸を始めました。
父はずっとカターい仕事をしていたのですが、もともと、絵など、
感性を生かしたりと、創造性が豊かでしたので、陶芸を始めたのは、
自然なことだと思っていました。
むしろ、以前から、父はそういった仕事に就いたほうが向いていたの
では、と子供ながらに思っていたほどです。
今は、地区の民生委員をして、幼稚園などを訪問して子供の世話を
したりと楽しそうです。
父らしいなあ、なぞと思ったりします。
子供の母親すらさじを投げるような、寝前のむずかる子供も、父が
あやすとごきげんになるほど、子供の扱いがうまいのです。
末っ子のせいか、けっこう人情派で、おちゃめでカワイイのです(笑)。
以前は私も娘らしく(?)、そんな父親の要素を、「ちゃっかり屋」「ごま
かしている」と嫌っていましたが(苦笑)。
陶芸は順調に楽しんでいるらしく、帰省するたびにぞくぞくと新作を
見せられるのでした。
その日に使われた茄子の箸おきと、深い土色の器も新作のひとつでし
た。
父「この箸おきと器は、8コ作ったもん」
父は抱いているマゴに「そうだよねえ」とでも言うように、言ったの
でした。
私は、ふうん、と思いつつも、8個という数が中途半端な気がして父
に問い返したのでした。
私「8個なの?」
父「そう。大人の数」
大人の数?
数を数えようとした次の瞬間、理解しました。
そうです、私は3人きょうだいなのです。
両親と、子供たちとその配偶者たち。
全てがそろえば8人なのです。
父は、子供たちに何もいいませんでした。
何も言わずに、ただ、自分が楽しむ陶芸を通して、その願いを込めて
いたのでした。
そのとき、それが本当に父の願いであり、望みなのだと感じたのでし
た。
そんなことを思い出しながら、ふと、パソコンをしながら目の前に
いる弟妹を見て、私は3人きょうだいがいてよかった、と思ったので
した。
両親がいて、きょうだいがいて、こうして、お互いのことを大切に思っ
ているということ。
何も言わなくても通じる思い。
それが恵まれたことであると知ってはいました。
けれども、静かに、心に染み入るように、このとき、すんなりと私の
中に入ってきたのでした。
父が守ってきたかったものは、これだったのだと。
こんなにも家族に対して感謝を感じたことはありませんでした。
3人がよかった、とか、両親がいることがよかった、といったことが
らを肯定したいのではなく、ただ、私に与えられていたもの、そのこ
とに。
あたりまえだと思ってきたこと。
不器用だったこともあったし、そのために犠牲にしたもの、うまくい
かなかったことも、たくさんあります。
けれども、家族をずっと守ってきてくれたことに、この真実に感謝を
したのでした。
その父の思いに対して、かつては反抗的な思いもあったけれど。
すべて、父の愛だったのだ、とすんなり入ってきたのでした。
知っていたつもりだったのに、初めて教えられたかのような。
わかっていたと思っていたのに、初めて理解したような。
遠くにいても、いつも自分を思い、そして自分もまた相手のことを願
うような、大切なひとがいるということ。
これは、わたしにとって、ずっと長い期間を通しての、父からの、
母からの贈り物でした。
8個という数は、誰一人として、取り残すことのないように、という
父の願いでした。
お正月、ずっと贈り続けられていた贈り物を、私はようやく受け取っ
たのでした。
そして、帰省後すぐに、両親にあてて感謝の手紙を贈りました。
ひさしぶりに「故郷に帰ってきた」、そんなやさしい感覚が広がったの
でした。
「40代からの心理学」をご購読の皆さんは、お子さんがいらっしゃる
方がほとんどだと思います。
子育ての真っ最中の方もいらっしゃるかもしれません。
子供たちは、照れくさくて、いえないのですよね。
だから、今日は、私が代弁して伝えたいと思います。
あなたたたちがしてきたことは、無駄ではない、と。
がまんしたり、無理したり、精一杯やってきたこと。
犠牲にしたことも、不器用だったことも、全て含めて。
無駄ではないんです。
そのとき、一番よかれと思ってやってきてくれたこと。
ちゃんと、子供たちは受け取っています。
両親の思いを。
ありがとう。
いま、やんちゃの真っ最中で、この言葉をいえなくて、苦しんでいる
子供たちもたくさんいます。
どうか、もう少し、待ってあげてください。
この言葉を、口にできるときまで。
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