性格がお互いに正反対。
男女だと惹かれ合うこともあるのに、どうして女、女だと上手くいかないのか。
特に母と娘だと、反対だと全然いいことがない。
そんなふうに感じたことは、ありませんか?
私はあります。
私の母は手先が器用で、料理もお裁縫もできて典型的な「女の子らしい」というタイプでした。
子供の頃に母の実家に行くと、母の妹も同じようなタイプだったこともあって家には二人のお手製の小物や絵があって、いつも「すごいな」と圧倒されたものです。
そんな母だからこそ、娘の私が生まれた時には一緒にお菓子を作ったり、お裁縫をする仲間が増えると思っていたようです。
ところが、生まれた私は母とは性格も価値観もすべてが正反対でした。
私は、子供の頃から手先は不器用で、女の子の遊びにほとんど関心がなく、幼稚園の頃は男の子と一緒に探検ごっこをして、泥だらけになって遊んでいました。
かくれんぼをしても、上手く隠れすぎて警察に捜索願を出す寸前になる始末です。
大人になっても独りでバスや電車に乗るのは不安で、家にいるのが大好きな母からすると、私は、理解できないことをする危険な娘だったのです。
今ならわかりますが、これまで接したことがないタイプの女の子である私を育てることは、母にとっては驚きと戸惑いの連続だったことでしょう。
今の時代では、もうあまり言われなくなってきているかもしれませんが、よく「女の子なんだから」と枕詞のように怒られるたびに言われていました。
そう言われると、私自身も「どうして、お母さんみたいにできないんだろう」と自分が酷く悪い存在のように感じていたものです。
だから、「お母さんがどう思うかな」と考えて、言葉を飲み込んだことも我慢したこともいっぱいありました。
でも、同時に「わかってくれない」と母に対してずっと心の中で怒っていたんです。
だから、我慢できなくなるとケンカしたり拗ねたりすることもあれば、引きこもってしまうこともあり、余計に「よくわからない娘」になっていました。
思い返すと、母は母なりに私に歩み寄ろうとしてくれていた時もたくさんあったんです。
一時期、私が小説を書くのが好きだった時期に母も「私も書いてみようかな」と言ってくれたのですが、私はそれを素直に喜べませんでした。
むしろ、器用に何でもやってしまう母が私より素敵な話を書いてしまったら、ますます自分が何もできない烙印を押されてしまうように感じて、「絶対やめて」と拒否したものです。
でも、子供の頃から思春期を経て大人に至るまで…違いを抱えながらも、私も母もお互いどこかでずっと「分かり合いたい」と言う気持ちがあったんじゃないかなと思うんです。
もし、お互いに相手のことに無関心だったとしたら、性格の違いを苦しく感じたり、わかって欲しいなんて人は思いません。
けれど私の場合は、わかって欲しいからとケンカしたり拗ねたりしても、溝が広がるだけでした。
それは、自分の「わかって欲しい」の中にある怒りや寂しさ、他にもたくさん詰まっている感情の方を、お母さんにどうにかして欲しいとぶつけていただけだったんですよね。
本当に母と分かり合いたかったのは「お互い違ってもいい」と言う気持ちだったんです。
けれど、「私達は違うよね」と伝えてしまうと子供の頃、母の「女の子なんだから」と言っていた時の表情の中にある苦しさや、寂しさをたくさん感じさせてしまうかもしれないことの方が嫌だったんです。
それくらい、心理学で言う「癒着」を自分から選んでいる状態でした。
その癒着から離れることができるようになったのは、心理学に出会って、私が本当に自分の好きを選んで生きていこうと決めた日からだったと思います。
その頃から、私はこれまで言わずにいた自分の好きなことや思っていることを伝えたり、「私はできないから」と自分を責めることばかりに使っていた母の好きなことを、ちゃんと称賛したりするようになりました。
そうしているうちに、「お母さんと私は違うから良いんだよ」と言えるようになっていました。
そして、実家を出て一人暮らしをすることを決めた6年前の引っ越しの日。
母に「私にはできないこと、私とは違うことをして楽しそうにしているあなたを見るのが嬉しい」と言ってもらえたのです。
それは、人から見ると当たり前の会話かもしれません。
遅い自立だったかもしれないけれど、それくらい私は母のことが、心の中で大好きだったからこそ、「わかって欲しい」を使って違いを受け入れないようにしていたんです。
でも、本当に大切なことはお互いの違いを知って、その上で自分らしくあることだったのかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございました。