引きこもり生活から学んだこと

僕は約6年ほど前まで、三年間ほどの引きこもり生活をしていました。
きっかけは色々とありましたが、高校を中退して目指したプロサッカー選手という夢を諦めざるを得なくなったことです。

夢が潰えた途端に、今まで誤魔化してきた人や社会が怖いという気持ちを隠せなくなっていきました。
人と目を合わせることはおろか、人と話をするだけで顔を常にひきつらせてしまうようになった僕は、これはもう家に引きこもって自分を見直しざるを得ないと思い、「そのうち外に出れるだろうという安易な思いのまま」家に閉じこもるようになりました。

でも一日一日と家に閉じこもる日々を過ごしていく中で、何も人に気を遣わず自由に家に居られる毎日に慣れていきました。
今までの緊張や焦りの日々から解放されると、段々と「このまま家に居たい気持ち」と「早く次に向かう場所を決めて進まない」とという二つの気持ちが葛藤していくようになりました。

でも葛藤を抱える日々ってそれだけで消耗するものです。
消耗すればするほど、何かをしたいというやる気も失われていき、段々と自堕落な生活を過ごすようになりました。
「このままじゃやばいから何とかしないと」そう僅かに焦る気持ちを感じはすれど、「いやでもどうせ何とかなるだろうと」今の現実から目を背けるようになりました。

時間だけが過ぎていきました。
引きこもりを抜け出すきっかけは何だったんでしょう。
今でもそれは良くはわかりませんが、もしかすると一番大きかったのは「自分のさせたいことをさせる時間を作ったこと」かもしれません。

昼夜逆転をして小説を読み漁りました。
ゲームもやりたいだけやりましたし、とにかく今までやらずにいたことを思う存分やれた時間でもあったと思います。
現実から目を背ける日々は焦りを助長させましたが、でも心の開放感は作ってくれたのかもしれません。

またネット内でゲームを通して、様々な人たちと交流をしました。
大学生。高校生。社会人。主婦の方。
引きこもりの僕が社会では決してまともに関わることのできない方たちと、ネットの世界では関わる機会を持つことができました。
ネットで多くの人と関われる時代環境も大きかったのだと思います。
今でも良い時代に引きこもれたなあと思うことはあります。

後は何より親の存在は大きかったように思います。
引きこもりから抜け出したある時、こんなことを友人から言われたことがあります。
「引きこもれるような環境だったんだね」
そうだと思います。
環境にも恵まれたのだろうなと思います。

でも引きこもっているときは自分しか見えていないですから、環境の有難みに気付くことはありません。
逆に現状や環境に対しての文句や不満ばかりを感じていました。
「俺がこうなったのは親や社会のせいだとも思っていました。」
何を勘違いしていたのだというお恥ずかしいお話でもありますが、でもそんな恥ずかしい自分でも「生きることができた時代や環境」だったのだと思います。

見えない中で多くの人に僕は支えられていたわけです。
不思議なことですけど、「引きこもっても」「このままじゃやばいと焦っても」「例え現状に目を向ける勇気を持てなくても」そんな僕を許してくれる時代と環境があった。
どんな自分でも愛されているという感動する話という以上に、自由に過ごさせてもらえる環境が事実として存在していたのだと思います。
気づけなかった支えに助けられた日々だったのだと思います。

心理学では「プロセスを信頼する」という言葉がありますが、自分一人ではどうすることもできないことが現実として多くあります。
現実に目を向けても変わらない現実もあれば、必死にした努力が実らないこともあります。
諦めなかったとしても叶わないことも中にはあります。
でも心はかき乱される中でも変わらないものはあります。

それは環境や人がくれる温かみや優しさや安心感かもしれません。
引きこもりの時代は、人の支えなど何も役に立たないと世の中に喧嘩腰なひ弱な僕が居ましたが、でも引きこもりという経験を通して、僕はどれだけのに支えられていたのだと学ぶことができたのかもしれません。

自分一人ではどうすることもできない現実は確かにあるけども、でも人の支えを通して「そんな現実でも大丈夫と」少しでも思うことができたとしたら、人や環境はどれだけ「受け入れたくない自分を受け入れたい思いに満ちているか」を気づけるのかもしれません。
今でもそこに気付くたびに、また勝手に自分を責めて一人になろうとしていたと身につまされることがあります。

「孤独感」でいっぱいな時に今あるあるものに目を向けるというのはとても勇気のいることで、できるならば一人で解決したいし乗り越えたいものだと思います。
でも良い意味での謙虚さを持ち、「決して自分を卑下することなく」周りの人に感謝する思いを持てたとしたら、それだけでも感じられる豊さはあるのではないかと思います。

心で感じる豊かさが私たちの現実を乗り越えるための原動力までにはならなくとも、今日一日の僅かな時間でも愛されていることを感じ笑うことができたなら、私たちというのは自然と明日を見ることができ、希望に進むことができるのではないかと思います。

頑張るためのきっかけまでわざわざ自分一人で作らなくても良い。
仲間や環境に助けられ支えられていることを感じながら、今日一日笑ってその良い思いのまま進みたい方向に進めばよい。
そんな心の豊かさを味方に付けながら軽やかに人生を進めることを、引きこもりの体験は僕に教えてくれたように思います。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

統合失調症を乗り越えた経験から「心のつながりが問題を癒す」を信念とし、どんな問題も感情も包み込んでくれる、安心感・包容力があると定評がある。 恋愛、仕事、人間関係など、自分らしさを一緒に見つけていくカウンセリングを大切にしており、深く心で繋がることを得意とするカウンセラーである。