他人からの怒りについて考えてみる
◆怒っている人の心の叫び
怒っている人を見ると、誰だって「こわい」という感情がわいてきます。私も怒っている人がとても苦手でした。ですが、こうして怒りについて学んでみると、あることがわかってきました。「怒っている人は、困っている人なのだ」ということ。
心理学では「怒りは感情の蓋。怒りの下に本当の感情が隠れている」といいます。怒りの下にある感情は大きくわけると3つだと言われています。それは「愛してほしい」「わかってほしい」「助けてほしい」という気持ち。
怒っている人は「愛してほしい、わかってほしい、助けてほしいと心のなかで叫びながら、何かに困っている人なのだ」ということが、私なりにわかるようになってきたのです。
以前の私は、他人から怒りをぶつけられたとき、自分への攻撃だと感じてひどく傷ついていました。すべて自分が悪いと思い込みやすいところがあったので、相手の怒りを受け止め続けるようなところがありました。でも相手は、なかなか怒ることを止めてくれないのです。
自分のせいだと思い込みすぎて、そこから動けなくなり、何もできなくなっていました。すると、そんな私の態度をみて「ああ、あなたもわかってくれない、愛してくれない、助けてくれないのですね」と思われるので、ますます相手の怒りの炎に油を注いでいたのです。
心理学を学ぶようになってから、私は相手の感情の責任をとりすぎるところがあるようだと気がつきました。相手の機嫌まで自分の責任にしていたのです。なので、怒っている人がいたら「この人は何かに困っている人なのだ」と客観視するようにしたのです。
もちろん、相手が怒っているのは、自分に原因があるときもあれば、そうではないときもあるでしょう。どちらの場合であっても「この人は困っている人なのだ」と少し離れて相手を眺めることで、相手の怒りを全身で丸かぶりしないで済むようになったのです。
そもそも人は心に余裕があれば、感情的になって怒ったりしないものです。冷静に穏やかに伝えてもいいものを、その余裕すらない人だということになります。
◆誰でももっている心のコップ
怒りにはこんな例え話があります。みなさんは、それぞれ心のなかにひとつコップをもっていると思ってください。そのコップには「抑圧された感情」というラベルが貼ってあります。
朝起きてから寝るまでの間、そのコップのなかにはネガティブな感情が注ぎ込まれていきます。「つらい」「しんどい」「いやだ」といった感情がどんどん溜まっていくのです。
コップがネガティブな感情でいっぱいになったとき、怒りとなって溢れ出す。ということは、コップの中にネガティブな感情があまり入っていなかったとしたら、そんなに簡単に怒らなくて済むということになります、
つまり、怒りっぽい人は、いつ中身が溢れてもおかしくないようなコップを持ちながら毎日を過ごしているようなものだということになります。
◆コップの水をこぼして困っている人
先日こんな光景を見かけました。若い女の子がスマホを見ながら、駅の構内を歩いていました。すると、前方から歩いてきた年配の男性と肩がちょっとだけぶつかってしまったのです。
年配の男性は大声で怒鳴りつけました。「スマホ見てんじゃねぇぞ!こら!」と。それだけ言うと舌打ちをしながら立ち去っていきました。女の子はビックリしすぎて目がまん丸になっていました。
私はそれを見て思ったのです。この年配の男性は「もともと怒りたかったのだろう」と。女の子とぶつかったときに怒ったのではなく、もともと溢れんばかりのイライラのコップをもって歩いて来たのだろうと。
イライラのコップに女の子がほんの少しぶつかった。「俺がせっかくこぼさないようにもっていたコップの水をこぼしやがって!いったいどうしてくれるんだ!」と怒っているかのように見えたのです。
女の子がコップを怒りで満タンにしたわけではなく、もともと満タンのコップを持っていたのではないかと。そう考えてみると、あの年配の男性はだいぶ虫の居所が悪かったのだろうなとわかってくるのです。
怒っている人は困っている人。心のコップの水をこぼして困っている人。そのような客観性をもつことで、相手の感情を丸かぶりしないで済みます。客観性は自分を守る盾にもなるからです。
そんな目線をもちながらであれば、こぼれたコップの水を拭いてあげることもできるかもしれません。もちろん、こんなふうに考えられないこともあると思いますが、ひとつの見方として参考にしていただければと思います。
(完)